2-2

「……あ?」


 おちょくっているのか、こいつ。

 空腹と頭痛で未だ朦朧としながらも、偽アンゼリカは精一杯男を睨みつけてみせる。すると、本心では全く思っていないだろうに、彼は「おお恐っ」と大げさな反応を見せた。


「どうどうどう……いや実はねぇ、絶賛スパイ募集中なんだよ。もちろん本気だよ?」


 猜疑心を一ミリも緩める気配のない幼女をなだめつつ、アンダンテは何とか真面目な声を取り繕う。それでも、マスクで籠ったその声色が上ずっているのを、彼女は聞き逃さなかった。


「ほら、ちょうど今戦争やってるだろう?上で」


 そう言って、彼は天井を指さす。偽アンゼリカの曖昧な意識にも頭の片隅に響いているが、眠りにつく前に聞いた轟音はかすかに上階からも聞こえていた。


「まあ君も感じ取ってはいるだろうけど、この戦争はウチの負けだよ、負け。あと数時間もすれば、ここにも敵兵がなだれ込んでくるだろう。その前に、有望な人材は確保しようと思ったんだ」


「有望……?」


「そう、”ゆうぼう”。つまり、使い勝手が良さそうってことだ」


 まるで玩具でも見繕うかのような視線。嫌悪感がさらに増す。


「君の推しポイントは、やっぱりその眼の色だね。僕はこれまで何人も敵国のスパイを拷問にかけてきたけど、こんなに綺麗な青い瞳は見たことがない。こんな輝きの眼をしていて、王国民っていうのはやっぱり無理があるよねえ」


 しばらく前かがみに嘗め回すように彼女の瞳を眺め、それを終えると彼はどこからかバインダーを一つ取り出した。


「スパイ狩りに躍起になっているアホ憲兵の一味が、市街地で倒れている君を嬉々として処刑しようとしていて、あん時咄嗟に制止できてよかったよ。……あいつら、こんな幼子が本気で敵国のスパイだと思って、それで仕事した気になっているんだから」


 どうしようもない、と呆れた口調でバインダーに挟まれた紙を目で追うアンダンテ。どうやら、そこに偽アンゼリカの情報が記されているようだった。


「悪いが、君が意識を失っている間に、憲兵本部や警察に照会とってちょっと調べさせてもらった。氏名不詳性別女性、年齢は……6歳。生まれてまもなく両親に捨てられて孤児になる。その後はスラム街を生活の拠点にしていて、生きていくためなら盗みに脅し、詐欺に……ふぅん、殺しも」


……この短時間で、しかも王都陥落間近だというのに、よくそこまで調べたものだ。呆れる。


「ま、君が犯した数々の罪の是非はこの際置いておくとして……2年前に始まった今次戦争は、確かに国民に戦時協力を強いた。労働力の提供と物資の徴用、そして、青い眼をした非国民の迫害だ。敵国民の象徴である”青”を極端に嫌う集団心理が、村八分と陰湿な虐めに走った」


「……。」


「君の両親も、おそらくその同調圧力に負けたんだね。それで、たまたま青い目を持って生まれた我が子を、生きるために捨てたんだ」


 そこから、しばらく沈黙が続いた。最初の軽薄な口ぶりはどこへやら、アンダンテは静かに息を吐き、それがマスクからシューッと漏れる。


  所々単語の意味は分からなかったが、社会のどん底を生き抜いてきた彼女にはそのニュアンスで何となく理解できた。そのため、自分を憐れむような重苦しい空気に耐え切れず、これまでの態度をなるべく崩さないよう、ぶっきらぼうな口調で切り出した。


「それで……わたしに何させる気なの」


 この怪しげな男は、どうやら自分の敵ではないらしい。しかし、使い勝手云々の件があったのだから、最低限の警戒は怠るべきではないだろう。


 すると、まるでこの展開を待っていたかのように、それまでうつむき気味であった彼のマスクがピクッと数センチ浮き上がった。

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