第13話

 カイへの殴り込みを決意したユキは、ひとまずジュンを父と母の部屋へ連れていった。

 あいにく部屋には誰もいなかったので、どちらかが戻ってきたら『帰りそびれた』と行って家まで送ってもらうように言い含めた。

 

 簡単な書き置きをしたためジュンに託すと、ユキはまた素早く部屋に戻り、夜着から簡単な外着に着替えてダッシュで酒場へ向かった。


 ――――


「あ?養育院とこのユキじゃねーか。どうした」


 酒場の戸を開けると、酒場の亭主が赤ら顔でユキを見下ろした。

 

「カンライさん、メイはここに来てない?探してるの」

 

 言いながら、ユキは油断なく店内に目を走らせた。

 

「んー、見てないな。今日はメイが仕事にくる日でもねぇし」 

「そう。じゃ、カイ、ル様……魔聖さまのお部屋はどこ?緊急事態なの。教えて」


 メイはここの従業員だ。カンライに見つからないよう、裏口からこっそり侵入した可能性もある。

 

 ユキの切羽詰まったような様子を見て、カンライは訝しげな目をした。

 

「何があったか知らんが、それは教えらんねーよ。シュヒギムってやつだな」

「ギムでもガムでもそんなのどうでもいいわよ!いい?これは乙女の危機、ひいてはお国の危機よ。アンタがこうやってグズグズしてるうちに、取りかえしのつかないことになったらどーしてくれんのよ!」


 でまかせをポイポイ混ぜながらユキが一喝すると、カンライはあまりの剣幕に押され、一歩身を引いた。


「そんなおっかねー顔すんなよ、お前、まじで母親に似たな……本当に言えねぇんだよ。誰にも言うなってお付きの魔道士様に釘を刺されてさ。ご丁寧に今も部屋の前で不届きものが来ねぇかじーっと睨み聞かせてるんだぜ…………あっ」


 ユキがニヤリと笑い、カンライは青ざめた。


「ち、ちがうちがう!えっとだな、」

「そう、魔道士様が見張ってる部屋が魔聖さまの部屋なのね。ありがとう。自分で探すからもう案内は結構よ」


 その時、また酒場の扉が開き、その場はがやがやと騒がしい声で一杯になった。

 村の技術衆が視察の反省会を終え、最後に一杯にひっかけようと大勢でやってきたのだった。


 ユキは素早くその場を飛び退いたが、酔っぱらって足元が怪しくなっているカンライは、そのまま人波に呑まれてしまった。

  

「おい、ユキ!」

「心配しないで!あたし、カンライさんに聞いたなんて絶対言わないから!」

 

 ユキは背後へひらひらと手を振り、次の瞬間には宿への階段をかけ上っていった。




 

 それらしき人影がないか確認しながら三階まで到達し、廊下の角を曲がると、不意に黒い塊にぶつかりそうになってユキは急停止した。


「あっぶな……」

「お、お前は……!」


 食堂でユキを睨み付けていた、あの鼻の大きな魔道士がそこに立っていた。

 

 驚いた様子の魔道士の脇をすっと抜けると、ユキは部屋の扉をドンドン叩いた。

 

「あたしよ!開けなさい!!おら、開けろっての!」

「……無駄だ」


 魔道士はユキの背後で口の端を上げニヤリと笑った。


「そこには強力な結界を張っている。おまえが叫ぼうが喚こうがあの方には聞こえない」

「結界……」

「身の程を知れ、薄汚い小娘が。魔聖さまはお前ではない女と夜を共にする。その意味をよく考えるんだな」


 ユキは頭を抱えた。

 魔道士はユキへ憎しみを込めた視線を送り続け、口元には優越感が浮かんでいた。

   

「結界というと、あの魔法……そしたら……」

「おい、何をブツブツと」

「合鍵があれば問題ないわね」

  

 ユキは不適な笑みを浮かべ、廊下の角まで戻り、壁の溝を手で探った。――隠し扉だ。

 そして隠し扉をパッと開くと、ユキは中からマスターキーを取り出したのだった。


 唖然とする魔道士は無視して、再び部屋の扉の前に立ったユキは、斧を振りかぶり「セイッ」と掛け声を出しながら思い切り振り下ろした。


 鈍い大きな音と、耳を割くような音を立て、部屋の扉には大きな亀裂が入っていた。


「“定義“を壊しちゃえば魔法の効果も弱まるのよ」


 勝ち誇ったように言うと、ユキはまた斧を振り回した。


――――


 

 少し時間は戻り、ユキが酒場に飛び込んできた頃、タツキは自室の布団に横たわりながら、まんじりもしないで夜を過ごしていた。

 真っ暗な天井を見上げ、考えていたのはここ数日の出来事だ。魔聖さま、ユキ、それに…………

 

 その時、あたりに耳鳴りのようなキーンとした音が響いた。

 何事かと暗闇に目を凝らした次の瞬間、タツキの上に柔らかく重量のあるものがどさっと落っこちてきた。

 

「うおっ」

「キャッ」

 

 なんと人間だ。女の声がした。

 慌てて飛び退き、八間行灯へ小さな火を飛ばし灯りをつける。


「あ……」


 視界に飛び込んできた光景にタツキは目を剥いた。

 そこにはとんでもなく薄い生地で丈の短い下着を着た、もはやほぼハダカのような女性が……いや、メイだ。

 メイが、怯えた顔でうずくまっていたのだ。

 タツキは慌てて目を背け、近くにあった羽織をメイの方に放り投げた。

「と、とりあえずそれで隠せ」

「……」


 衣擦れの音でメイがそれを羽織ったのを確認して、そちらに再度目を向ける。


「お前、どうしたんだ、どうやってここに……」

 

 目が合うと、メイの瞳がどんどん潤み、ついにはポロポロと涙を流しはじめた。タツキは呻いた。ただ事ではない。


「すまん、責めてはないんだ。誰かに何かされたのか?」

「……グスッ、ちが、あの、あたし……グスッ……魔聖さまの、」

「魔聖さまに……!?無理やりそんな格好にされたのか!?そうか、そんで何とか逃げてきたってとこだな……許さねえ、一発殴ってやる!メイ、お前はここで待ってろ」

「え、待って!タツキ、そうじゃな」


 メイが口を開いたその時、上の階から何かが壊れるようなものすごい音が聞こえた。

 呆然とした様子のメイに、もういちど「待ってろ」と声をかけると、タツキは部屋を飛び出し、階段をかけ上った。


 上階奥の部屋に向かうため、廊下の角を曲がったタツキは、またまたとんでもない光景に驚き、自分が何をしにきたのかも忘れあんぐりと口を開けた。

 

 魔聖さまの部屋の扉が、跡形もなく破壊されている。

 

 部屋の入り口では、ひしゃげた斧を片手に持ったユキが、ひきつった顔の魔道士に羽交い締めにされていた。


「何が……」


 ポカンと口を開けたままのタツキに気づいたユキは思い切り叫んだ。

 

「タツキ!あんた、惚れた女の手綱くらいしっかり握っときなさいよ!ふざけんじゃないわよ!」

「な、何の話だよ」

「しらばっくれても無駄よ!メイに決まってんじゃない!いつまでもウジウジウジウジと……!」


 タツキはどうやら油に火を注いだようだった。ユキは憤怒の形相で斧を振り上げ、魔道士はギョッと目を剥いた。

 

 状況についていくのを諦めたタツキが(危ねぇな……)と他人事のように思った瞬間、ユキの手から斧がすっぽ抜け、ゆっくりと宙に浮かんで廊下の隅へと着地した。


「ユキ」


 部屋の中から、渦中の人もとい、魔聖さまが妙に嬉しそうな顔で現れた。

 その姿を視認したユキは怒りに任せて暴れ出し、ユキを抑えていた魔道士は顔面へモロにその拳を食らってとうとう昏倒してしまった。

 タツキは心の中で合掌した。

 

「あーら、やっとイロオトコの登場ね」


 肩で息をしながら、ユキは腕で汗を拭った。


「さ、あたしになんか言うことあるんじゃない?正直に言うならグーじゃなくてパーにしてあげるわよ」

「おい、ユキ……魔聖さまになんてことを」

「あ?」

 

 ユキのあまりにも不遜な物言いをたしなめようとしたタツキは、振り返った彼女の表情を見て震え上がり、思わず頬を手で押さえた。 


「いや、なんでもないです」


 タツキに鋭い舌打ちだけを寄越して再び魔聖さまへ向き直ったユキは、腕を組み魔聖さまを睨めつけた。

 睨み付けられた方はといえば、なんと、まだ嬉しそうに笑っている。タツキは己をぎゅっと抱き締めた。


「ユキ、やきもち妬いてるの?」

「やきもち?あたしが?……フン、どうせ二人してマヌケに騙されて無理やり閉じ込められたとかでしょう。じゃなきゃこの男が、」

 

 ユキは昏倒した魔道士を足で小突いた。


「わざわざ結界なんて張る理由がないもの」

 

「……ご名答。女はすぐに下へ転送したんだけど、部屋から出られなくなっちゃってね。自分を転送するのはできないんだ。助かったよ、ありがとう」


「あらどういたしまして。じゃ、ないわよ!」

  

 ユキが魔聖さまの胸ぐらをがしりと掴んだ。

 タツキはとうとう両手で顔を覆って、指の隙間から事態の成り行きをハラハラと見守っていた。  

  

「正体を隠して、あたしを騙して!面白かった?あたしがこの10年、どんな思いで過ごしてきたか分かる!?今日ずっと、どれだけ悩んだか分かる!?」

「ユキ……?何を……」


 ユキの両目から、はらはらと涙がこぼれた。

 魔聖さまの顔から笑みが消え、変わりに戸惑いの表情でユキをおろおろと見下ろした。


「この期に及んでまだしらを切るつもり!?」


 今日いちばんの甲高い声だった。

 耳がキーンとする。タツキはユキの喉が心配になった。


 ユキが胸ぐらをつかむ腕に強く力を込めるのが見えた。

 反対の腕は、弓なりに引き絞られている。

 タツキにはこの怒れる獅子を止める勇気はなかったし、自分の部屋で震えていたメイを思うと止める気はあまり起きなかった。


 南無三、タツキは目を瞑った。

 

 ――何の音もない。

 恐る恐る目を開けた。 


「カイ、おかえり……っ」

 

 ユキは両腕を回し、魔聖さまに思い切り抱きついていた。


 目ん玉が飛び出るほど驚いたタツキが声も出せず見守るなか、相手の胸に頭を擦り付け、ユキはおいおいと声を上げて泣き始めた。


 一方魔聖さまは、雷に打たれたような顔をして立ち尽くしていた。 

 

 


 

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朱と白と筒井筒 柳あまね @yanagi_am

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