2.冬の朝、冬の静寂
息はまだ白くならなかった。しかしそれでも、朝の大気にははっきりと冬の静寂が張り詰めていた。
ひび割れた内階段を降りて外に出た後で、カッコーは人通りの少ない路上を眺めながら小さくため息をついた。
在りし日には少しも
「あなたはいつもため息ばかりついているのね」
後ろから階段を降りてきたユータナシアが、茶化すように言った。
少女は青年の横をすり抜けて通りに出ると、道の真ん中でくるっと一回転した。
それから大きく両手を広げて、少しだけ顔を上に向けて瞳を閉じる。
まるで街そのものを抱きしめているようだった。
親愛なる街に対して、彼女は挨拶の抱擁を交わしているのかもしれい。
「うふふ、最初の朝、素晴らしい朝だわ」
そう楽しげに言ったあとで、今度はすうっと息を吸い込み、また吐き出す。
繰り返し、少女は街を呼吸する。
そんなユータナシアを見ながら、この朝にいったい記念すべきなにがあるというのか、とカッコーは思う。
そしてもう一度ため息をついた。
「……おい、気が済んだらいくぞ」
カッコーの呼びかけに、ユータナシアは歌うような声で「はーい」と返事をして、最後にはぁっと息を吐き出した。
「まだ息は白くならない」
確認するようにそう呟いたあとで、少女はカッコーに向き直って、やはり嬉しそうに言った。
「だけど、ふふ、だけどちゃんと冬だわ。もう秋じゃないわ」
カッコーは三度目のため息をついた。
※
アパートを出たあと、ロータリーと二つの通路を経由して大通りに出た。
あのあとすぐ、ユータナシアは当たり前のように広場に向かって歩き出そうとした。もちろん、カッコーは慌ててそれを引き留めた。
朝から絞首台に会いに行くなんて冗談じゃない、彼はそう思ったのだった。
あれには極力近づくべきではない。窓から見る程度がちょうどいいあれとの付き合い方だ。
それがカッコーの絞首台に対して抱いている印象だった。彼は絞首台に対して良い感情を抱いてはいない。街に暮らす他の人々とは違って。
(……窓から見るといえば)
丸三年近く続いていた習慣が途切れていたことには、そこではじめて気がついた。
その朝はまだ一度も絞首台を視界に入れていないのだと。
毎朝それを眺めることから一日をはじめていたというのに。
三年間、毎朝。
「カッコーってば、またため息ついてる」
隣を歩くユータナシアにからかわれて、それでようやく自分のため息を自覚した。
「ありゃ、なんで驚いた顔してるの?」
「……」
「あ、もしかして、自分で自分のため息に気付いていなかったとか?」
ユータナシアはにんまりと笑う。
青年の仏頂面を面白がるように、もともと浮かべていた微笑を少女は満面の笑みへと広げる。
カッコーはため息をつきそうになる。
しかしすんでのところで、期待するように自分のため息を待ち構えている灰色の瞳に気付く。
その場で深呼吸して、つきかけたため息ごと冬の朝を飲み込み、それからカッコーは言った。
「黙ってろ」
ユータナシアが、とうとう声をあげて笑い出した。
張り詰めた冬の静寂などものともせずに。
絞首台の街、安楽死の少女 東雲佑 @tasuku_shinonome
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