日英コンビとフライケーキ

キトリ

日英コンビとフライケーキ

「Wow, Submarine! なんで!?」


 ニックは思わず声を上げた。橋を渡り、市街地に入っていきなり見えてくるのは上下を黒と赤で塗り分けられた巨大な物体……潜水艦だ。あまりにも予想通りの反応に、運転する大和は思わず笑い声を漏らした。


「なんでって、元々は海軍、ネイビーの街、だからね」

「でも横浜になかったよ」

「神奈川県で海軍の街なら横須賀じゃない?」

「佐世保もなかった」

「まぁ、うん。サブマリン、潜水艦が陸の上にあるのはここだけだろうね」


 ニックの「海が見たい!」というリクエストに応じて、大和は電車ではなく車で、高速道路ではなく国道31号線を走るルートで呉に向かった。

 国道31号は海岸線に沿っており、走るだけで瀬戸内海の多島美を堪能できる。JR呉線もおおよそ海岸線に沿っているがトンネルも多いし、なによりニックが明日はうさぎ島こと大久野島に行きたいと言うのだから、駐車場代は覚悟の上で車を出した。あの島に公共交通機関で行くのはハードルが高いし、そもそも広から三原の区間は雨が降れば遅延するので、交通が確約できない。明後日の午後には広島を出るというニックの旅行プランを思うと、車しか選択肢がなかった。


「潜水艦の中、入れるからあとで行こうか」

「入れる!?」

「無料で」

「それジョーク?」

「ガチだよ。国の施設だから」

「日本人じゃなくても入れるの?」

「入れるよ。まぁ、ちょっと警備員の視線が痛いかもしれないけど、止められることはないね。館内も英語のスクリプトはあるし。ちなみに、この街には現役の潜水艦が見られるレストランもある」

「え?それって見せて良いの?どれくらいSubmarineあるの、ここ」

「14。日本の潜水艦の半分以上がここにある」

「Inland Seaなのに?」

「瀬戸内海だからこそ、だけどね」

「えぇ……?」


 困惑しているニックに構わず、大和はコインパーキングを探す。瀬戸内海に潜水艦がある理由はこれから行くミュージアムで知ってもらえば良いから、あえて説明しない。

 大和は商店街にあるコインパーキングをいくつか見て回ったのち、今夜泊まるゲストハウスに一番近いパーキングに決めた。最大駐車料金は700円。広島市内に比べれば可愛い値段で、地方公務員1年目の安月給でも許せる額だ。


「あっつい……お腹空いた」


 車から降りてニックは伸びをする。背は高いがヒョロリとしているニックは大和と同い年のはずなのに高校生のように見える。ヨーロピアンは年齢より老けて見えがちというが、ニックは反対だった。筋肉も脂肪も無さそうな痩身、髭は生やしていないし、金縁メガネの奥の薄い青いブルーの目は好奇心で光っている。背は日本人の平均でも体格の良い大和の方がニックと並ぶと年上に見えた。


「どこかの誰かさんが寝坊しなければ、呉でランチだったけど」

「ごめん……」

「まぁ、いいよ。久しぶりに市内をドライブできたし、ニックもホテルのチェックアウトには間に合ったみたいだし」


 大和は広島市近隣に住んでおり、ニックとは数年来のネット上のゲーム友達だった。ニックの留学先が東京と聞いてそうそう会えないなと思っていたら、ニックは夏の全国周遊計画で広島に3泊4日を割いてくれたので、大和もそれに合わせて、少し遅いお盆休みを取った。


「ミュージアム行く前に小腹満たそうか」

「うん。呉の有名な食べ物は何?」

「料理で言えば、海軍の街だからやっぱりカレーかな。あとは細うどんと、今の時期なら珍来軒の冷麺、冷たいラーメンみたいなのも有名。あとはラグビーボールみたいな形のメロンパンとか、巴屋のアイスモナカとか、蜜まんじゅう、フライケーキ、鳳梨萬頭とか」

「知らない」

「まぁ、日本全体で知られているものはカレーくらいかもね。今日は金曜日だから夜ご飯はカレーで決まりだし、メロンパンは明日の朝ごはん用にスーパーで買えば良いし、さすがに冷麺は多いし、うどんはただ細いだけだし、銘菓もスーパーで買えるから……フライケーキにするか。この街のソウルフードだし、すぐそこにあるから」


 大和は迷うことなく歩き出す。その後ろをニックは急いで追いかけた。大和が言うとおり、ほんの少し歩いただけで【福住フライケーキ】の看板が見え、観光客らしい人が幾人も並んでいた。


「そもそもここは何?お店がたくさんあるけど」

「商店街だよ。れんがどおり商店街。今歩いているのはパルス通りで、その先がレンガ通り。呉では一番栄えているところ……のはず、多分」


 れんがどおり商店街は、レンガが敷き詰められた道とドーム型アーケードが特徴で、新旧の地元の商店が多く立ち並んでいる。同じアーケードであっても、昨日案内したチェーン店しかないに等しい広島の本通りよりは面白みがあると思うのだが、悲しいことにシャッター街になりかけている。賑わいという点では駅直結のショッピングモールの方に軍配が上がるかもしれない。


「フライケーキって何?」

「名前の通り、ケーキを揚げたもの。Fried cake」

「ケーキって、え、パティスリーの?」

「いやいや、ケーキとはいうけれど丸いドーナツかな。あんドーナツってやつ?中にこしあんが入ってる」

「ふーん?」


 全然わからないと言いたげな顔で、ニックは首を傾げながら店の様子を窺おうと背伸びする。道に面する窓の上半分にはレースのカーテンがかかっているので、背伸びしても店内は見えないのだが。


「そんな不思議?こっちからすればプティングをゆでるイギリスの方が不思議だよ。あれだってケーキみたいなものじゃん」


 大和は昨日ニックから貰ったお土産の一つであるイギリスの有名デパート、ハロッズのクリスマスプティングを思い浮かべる。「クリスマスのものを真夏の今もらって大丈夫か?」と表示を確認したところ、砂糖とブランデーがたっぷり入っているからか、賞味期限は来年の1月末だった。そして、ニックの手書きらしい説明のメモには「食前に少なくとも30分は茹でる(Boil it for at least 30 minutes)」と書いてあり「材料がどう見てもケーキなのに茹でるの!?」と驚いたものだ。


「Christmas PuddingはBoilだよ?」

「いや、うん、イギリスだとそうなんだろうけど……」

「Puddingはいろいろあるから」

「うん、だから日本語でケーキと呼ぶものも色々あるよ」

「日本語のケーキ、クリームがあるのだけだと思ってた。教科書の絵、ショートケーキばっかり」

「あぁ、そういうこと?お、もう次だ」


 前の観光客の会計が終わり、ニックと大和の番になる。


「いらっしゃい」

「こんにちは。今1個何円ですか?」


 ブクブクと泡立つ菜種油の中で、ジュワジュワときつね色に揚げられるフライケーキ。美味しそうなフライヤーに思わず目を奪われながら大和は言った。昨年までこの街の高専に通っていたから大体の値段は覚えているが、物価高やら円安やらで値段が上がっているかもしれない。


「100円です。去年までは90円だったんですけどね」


 悩ましそうにお姉さんは言った。100円でも食べ応えに対して十分安いと思うのだが、やはり値上げするというのは心苦しいらしい。


「それでも安いですよ。じゃあ4個で。ニック、覗き込まない」

「ふふっ、すぐ食べます?」

「はい」

「じゃあ、あつあつじゃない方がいいですよね」

「そうは言っても全部揚げたてよ、よく売れるから。熱いから気をつけて」


 トングでフライケーキをつまみながらおばちゃんが言った。おばちゃんの手によってこんがりと揚がったフライケーキたちは網の上に整列させられる。


「前よりも観光客増えましたもんね」

「お兄さんはこの辺りの人?」

「住んでるのは広島市の近くですけど、去年まで高専だったんで。呉駅で乗り換えるから、待ち時間に商店街まで出てきてみたりとか」

「あぁ、高専の……よく見たら見たことある顔かもしれない。じゃあこの辺りは庭よね」

「はい。今は友達の観光案内中で……なんか看板の写真撮ってる」


 ニックはいつのまにかレンガ通りまで足を伸ばして、そこからパルス通りの写真を撮ったり、レンガ通りの写真を撮ったりしている。


「多いですよ、看板の写真撮る人。お先に商品と……400円丁度、頂戴します」

「はい」

「レシートは?」

「大丈夫です。ありがとうございました」

「はーい、ありがとうございました」


 大和はフライケーキの入ったビニール袋を提げて、アーケードの梁から釣り下がる看板にカメラを向けているニックの元に向かう。


「暑いし車に戻って食べよう」

「うん」

「写真は撮れた?」

「撮れた。なんか、すごく、日本」


 行きは急いで大和について来たからだろうか、同じ道で帰っているのにキョロキョロと辺りを見渡しながらニックは歩く。何がそんなに珍しいのだろう、と商店街を見慣れている大和は不思議に思う。


「まぁ、昭和レトロとは言われるけど」

「アーケードなのにぜんぶ建物が違う。看板のフォントもぜんぶ違う」

「ロンドンのアーケードと比べないで……」

「ん?面白くて良いと思う」

「なら良かった。ほら、パーキングでよそ見しない。轢かれるよ」


 パーキングを出ようとしていた軽自動車に大和は頭を下げ、危なっかしいニックの手を引いて車に戻る。エアコンを切ってから10分も経っていないのに、車内は蒸し暑い。エンジンをかければ車内温度は34度と出る。


「暑い……」

「すぐ涼しくなるよ。2個ずつね」

「うん。いただきます」

「どうぞ。熱いから気をつけて」


 熱々のフライケーキを手に取る。ぱくりとかぶりつけば、サクリと音を立てて生地が割れ、ふわふわの内側の生地と程よい甘さのこし餡が現れる。


「ほっほっ」

「だから言ったじゃん、熱いって。ホットだって」

「……おいひい」

「そりゃ良かった」

「The outside is crispy and crunchy, while the inside is soft and fluffy. The anko is sweet but mild, not overpowering.」

「いきなり英語きた……」

「外はカリッと歯ごたえがあり、中はふんわり柔らかい。 あんこは甘いがマイルドでしつこくない。……合ってる?」


 そう言ってニックがスマホの画面を見せてくる。先ほどの英語は大和にではなく翻訳アプリに向けて喋っていたらしい。


「そりゃ、翻訳の結果だから……まぁ、外はサクサクじゃない?」

「サクサク?」

「サクサク。もう一回齧ってみなよ。サクッて音するから」

「うん」


 ニックがきれいに並んだ歯をフライケーキに突き立てる。


サクッ


「う〜ん!サクサク!」

「理解した?」

「理解した!」

「絶対今まででも教えてもらってるでしょ。同じ大学の子とか」

「音が聞こえたの初めて」

「あぁ、そう。まぁ、ここ静かだしね……」


 レンガ通りはアーケードの影がある分、まだ歩いている人を見かける。きっとフライケーキの店に並んでいた人たちもアーケードの方から来たのだろう。反対に屋根のないパルス通りは歩いている人がほとんどいない。セミも暑すぎてまばらにしか泣かないし、通行する車も少ない。寂れかけの昼下がりの街らしい静けさだ。


「大和はこれ、よく食べるの?」

「学生の頃は食べてたよ。昨日言ったじゃん、この辺り—と言ってもちょっと遠いけど、学校に通ってたって。だから、あの店にたまに買いに行ってた。安いし。今は100円だけど、5年前は80円だった」

「それなら毎日食べられる」

「いや、さすがに毎日は……。でもフライケーキ、他の店も作ってるし、スーパーでも売っているけど、やっぱり福住のが1番美味しいよ」

「ふーん」

「なんだろうね。やっぱり元祖だからかな。サクサクで、噛むとジュワッと油が出てくるのに油っこくないし。他のとは違うんだよね」

「そうなんだ」

「冷やしても美味しいし。まぁ、車の中に置いていたら腐りそうだから食べるけど」

「うん。この暑さ、ヤバい」


 ニックが2個目のフライケーキをつまむ。大和も2個目にかぶりついた。


「食べ終わったらミュージアム行こうね」

「うん。大和のミュージアム」


 ニヤッと笑ってニックが言った。小学生か、と大和は心の中でツッコむ。


「それ言われるの飽きた。父さんが宇宙戦艦ヤマトが好きでこの名前なんだけどさ……知ってる?Space Battleship Yamato、アニメ・マンガなんだけど」

「知ってる。レイジ・マツモト」

「知っててニヤニヤしてんのか……別に大和って戦艦のための名前じゃないからね?」


 子供っぽいなぁ、と大和は呆れてニックを軽くデコピンする。


「Ouch!」

「そんな強くやってないよ。はい、ミュージアム行くよ」

「Submarineも」

「はいはい。あと、センスイカンね」

「覚えた」

「じゃあリピートアフターミー、センスイカン!」

「センスイカン!」

 ……

 ……

 バタンッ

「ふっ」

「「ハハハハハ!!」」


 2人で車のドアを閉めると同時に、人のいない駐車場に笑い声が響いた。

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