日日是奇譚

荒野

1.狐の嫁入り

 夢に、病の友人が現れた。


 彼は生来の虚弱体質から来る季節性の高熱に臥していた。私が何か欲しいものはあるかと問うと、喉が渇いた、白桃を食べたいと言った。果てには、白桃を食べなければ死に至るやも、などと息も絶え絶えに脅し始める始末だったので、私は桃を買いに出掛けた。しかし馴染みの果物屋は桃を扱っておらず、店の主人によれば近所の稲荷神社の裏手に霊山があり、山頂近くに生っているという。ただし、山の桃は神々の持ち物であるから、頂くには代わりに何か価値ある供物をせねばならぬ、と強く念を押された。私は自分の家に帰り、父親から譲り受けた家宝の壺を持って山を登り始めた。暫く歩くと、壺の中に水が沸き始めた。壺の由来等詳しくは知らないが、父が中国の秘境を旅した際に手に入れた物だと聞いている。壺はどんどん重さを増していく。一歩踏み出す毎に、足が山肌に食い込む。脂汗を流しながら、一歩また一歩と半ば這うように歩を進めて、もう後一歩も動けないと言った具合で何とか山頂に辿り着いた。するとどう言った因果か、背負った壺の中から銀色の龍がずろずろと音を立てて這い出し、その巨大な体躯をくねらせながら、天高く昇って行った。その直後、雷鳴が轟き、辺りには霧雨が降り出した。


 そこで目が醒めた。

 常に無く長い夢だった。


 私は急いで果物屋に向かい、丸い宝玉のごとき美しい白桃を買った。その足で夢にみた男の家に向かうと、夢の中では息も絶え絶えだった男は呑気に庭に水を撒いていた。

−–−驚いた、守谷もりやじゃないか。どうしたんだい。

 守谷というのは私の名である。週に一度は顔を出しているので、友人−–−甘崎かんざきは、さして驚いた素振りも見せず、つばの広い麦わら帽子を脱ぐと、私を縁側に誘った。

−–−お前が病に倒れる夢を見たのだ。

 私がそういうと、甘崎は瞳を見開いて今度こそ驚いた風情を出した。

−–−僕が?

−–−そうだ。お前は、白桃が食べたい、食べなければ死ぬと言い出した。その夢がどうも正夢のような嫌な気持ちがして、桃を買って来たのだ。

 私の持つ包みに視線を向けた彼は、途端に吹き出し笑い始めた。

−–−ああ、僕が死ぬ予知夢だとでも思ったのかい。

 青白い肌を薄紅色に蒸気させるほど笑った甘崎は、泪の滲む眦を指で拭った。確かに夢と現を混同して行動した私を可笑しく思うのは致し方無いが、この男ばかりはそれを一笑に伏せないのでは無いか、と納得の行かない気持ちがした。


 其れと言うのも、甘崎の周囲には、毎度不可思議な出来事が起こる。

 動物に妖怪、その他得体の知れない何某やらがこの家に身の上話をしに来る場面を、彼と知り合って二十余年、もう何度見聞きし巻き込まれたか知れない。先日も用事があって訪れた際「丁度良かった守谷、このご夫婦にお茶を淹れてやってくれ」などと言われて、河童の夫妻にお茶出しをしたのも記憶に新しい。当然、私は生まれてこの方河童を目にした事など無かったので、内心では大層驚き一体どんな茶を出せと言うのかと困惑していた。否そもそも、私もこの家では客人なのだが、甘崎は付き合いの長い私を自分の家人か小間使いくらいに思っている節がある。他にも、甘崎が庭で見知らぬ男と談笑していると思っていた所、良く良く見ると相手は甘崎と瓜二つの姿をしていたと言う事もあった。私が自身の疲れ目を疑い目頭を押さえて二度見すると、その甘崎に生写しの何かは煙のように立ち消えた。後で私があれは一体何者だったのだと問うと、この男は事も無げにあれは桜の精だと答えた。甘崎曰く、この家は代々精霊だの妖怪だの幽霊だのという、そういった人ならざるものが極自然に集まる場所なのだと言う。

 そう言った訳で、私も甘崎が関わる事象に対してはすっかりその気になっていたのだが、私の夢は天啓等では無く本当に只の夢だったらしい。

 何やら気恥ずかしく、一方で甘崎に対するお門違いの怒りなども湧いて来て黙り込む私に、笑いを収めた彼が思い出した口調で続ける。

−–−しかし実はな、珍しい事に、昨晩は僕も夢を見たのだ。

−–−ほう、どんな夢だ。

 私に麦茶を手渡した後、甘崎は一番熟れた食べ頃の桃を一つ掴んだ。見事な桃だな、等と感心した様子で観察した後、馴れた手付きでスルスルと皮を剥き始める。器用に剥きながら、夢の内容を私に伝える。

−–−僕の夢は、狐がうちに大勢訪ねて来る夢だった。何でも、名のある家の女狐の輿入れが決まったと言うのに、ここ数週間雨が降っていないせいで、花嫁行列が出せず困っていると。

−–−雨が降らねば花嫁行列が出せないと言うのは、どう言う了見だ。逆では無いのか?

 私の問い掛けに、甘崎は微笑って答える。

−–−僕もそう思ったのだがね、どうやら狐には狐の流儀があるらしい。天気雨を狐の嫁入りと言うだろう。名家ともなると、あれを律儀に守らねばならぬとかで……。

 成程、狐の世界にも様々な仕来りがある物だ。甘崎は皮を剥き終えた桃を、種を避けて器用に切り分け始めた。

−–−雨が降らない理由を狐に尋ねると、この地の竜神が長らく不在で、雨が降り難くなっていると言っていた。

−–−何?

 竜、という言葉に既視感のようなものを覚え、良く良く思い出すと、そう言えば夢で私が登った山は稲荷神社の裏手であった。狐、竜、雨。二つの夢に奇妙な繋がりを感じ、私が自分がみた夢の続きを話した所、甘崎は合点がいったとばかりに顎に手を当てた。

−–−成程。君が竜神を運んでくれた訳か。……ああ、それで……。

 途端に、甘崎の頬に朱が走った。余りにも唐突で、一体全体、今の会話のどこに反応したのか意味が分からない儘困惑する私を置いて、甘崎は手を洗うと言いすっくと立ち上がった。暫くして戻って来た彼は、既にいつもの調子であった。

−–−何だったのだ、お前。

−–−別に、何でも無い、此方の話だ。さ、桃を食え。

 甘崎は私の隣に腰を下ろすと、突き匙に桃を刺して強引に此方に渡した。口に含むと、甘く熟れた桃の果汁がじゅわりと舌先に広がった。甘崎も桃を一切れ頬張り、満足気に微笑うと何食わぬ表情で夢の話に戻った。

−–−君の家の壺は、父君が中国四川省の奥地にある峡谷の村で手に入れたと聞いている。山脈を走る澄んだ水が竜に喩えられる美しい地域で、湖沼が多くあるとか。道に迷っていた竜に、君が水の道を作ってやったのだな。

 何故私の知らない我が家の壺の由来を甘崎が知っているのか不明だが、問題は其処ではない。この男はあたかも当然のような口振りで言っているが、他人と夢が繋がっている等聞いたことが無い。しかも何やら、甘崎が狐から受けた頼まれ事を私が解決したような次第になっていまいか。私がその点に言及しようと口を開きかけた時、私より先に甘崎が空を見上げて呟いた。

−–−雨だ。

 偶然にしては出来過ぎた時分に霧雨が降り出した。そう言えば今年は降水量が少なく、溜池の水位が下がっていると耳にしていたが、確かに久方振りの雨であった。空は晴れているのに雨が降ると言う、不思議な天気である。甘崎は、桃の果肉を口に運びながら、縁側から見える門の外を指差した。

−–−ほら、見てみろ守谷。

 促される儘に見てはっと息を呑む。

 門の外には、黒い着物と銀の提灯を下げた、厳かな雰囲気の一団が通り掛かっていた。皆一様に口元を白布で隠し、狐の面を付けているが、その気配は人間の其れでは無い。一歩進む事に、シャンと鈴の音が響く。列の中央には、金の輿が担がれていた。

 狐の嫁入りだ。

 鈴の音と共に花嫁行列が門の前に停まり、その輿に乗った白無垢姿の狐が此方を向いて一礼をする。私に狐の美醜は分からぬが、その私から見ても凛とした佇まいが美しい女狐であった。一礼を返す甘崎に続けて私も頭を下げると、子供の狐が列から飛び出し私の方へ駆け寄った。その小さな手が此方に向かって風呂敷包みを差し出したのを、果たして受け取っても良いものかと逡巡していると、子狐は不安そうに甘崎を見遣った。甘崎は呑気に桃を食べながら、受け取ってやれ、と私を肘で小突く。此奴がこう言うのであれば問題は無かろうと思い風呂敷を受け取ると、子狐は安堵した様子で頭を下げ、行列に戻った。先頭の狐がコーンと一鳴きして再び列が動き始め、狐達の花嫁行列は霧雨の向こうへ消えて行った。


−–−一体、何だったのだ。

 夢と現の端境が曖昧になったような、不思議な体験であった。受け取った風呂敷を開くと、中から笹の葉で包まれた稲荷寿司が酢飯の香りと共に現れた。私の手元を覗き込んで、甘崎はほうと感嘆の息を漏らした。

−–−君が一雨降らせてくれたので、態々手土産を持って礼に来てくれたのだな。

−–−ははあ。狐というのは、存外中々に義理堅いのだな。

 私がそう言うと、甘崎はまるで自分の手柄のように鼻を高くして笑う。

−–−竜神を連れ帰ると言うのは、君が思っている以上に大した功績なのだよ、守谷。

 最早夢の中の出来事が現実と地続きになっている点に関しては触れまい。この世には、私には理解の及ばぬ道理も数多あるのだ。ただ矢張り、夢の中で私ばかり苦労して、この男は桃が食いたいと駄々を捏ねていただけと言うのが引っ掛かる。

−–−貴様の夢で貴様が頼まれた事を、何故私が私の夢で苦労して叶えるのだ。

 可笑しな日本語ではあったが、そうとしか言い様がないので仕方ない。甘崎は罰が悪そうな顔をした。

−–−それは、……あれだ。

 何故か急に口籠もり始めたかと思うと、言い辛そうに低い声でぼそりと呟く。

−–−……竜を呼ぶには、条件があるのだ。

−–−条件?

 甘崎は此方を見ると、苦虫を噛み潰したような表情で眉根を寄せてフイと顔を背けた。その耳朶が赤くなっているのに首を傾げる。繊細な外見に反して、竹を割った様な物言いをする甘崎にしては珍しい、煮え切らない反応であった。

−–−さあな。何れは話す、やも。

 何だその曖昧な言葉は。そうは思ったが、この男はこうと決めたら梃子でも口を割らないので、追求するのは止めておいた。

 先ほどまで晴れ渡っていた空には暗雲が立ち込め、雨は本降りになろうとしていた。

−–−長雨になりそうだな。

−–−ああ。

 久方振りの雨はざあざあと降り続き、三日三晩降り止まなかった。

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日日是奇譚 荒野 @chachaChan

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