scene3 きみがいる海辺
海辺の欄干の外側に、二人が横並びで座っている。
波は強く荒れており、とても泳ぐことは出来そうにない。
二人はその様子を眺めながら喋っている。
「いやあ電車に一時間ぐらい乗ったけど、思ってたのと違うねえ、ゲン君。映画の最初みたい」
「日本海だからな。でも海って久しぶりに見た気がする」
「いいねえ、いいよ。そういうポジティブな気持ち持っていこう」
「最後に入ったのは小学六年生の時で、確か溺れて父さんが助けに貰った」
「ん〜ポジティブじゃないっ! ダメじゃん! あー、あたしの海見てゆったり癒されよう作戦が〜」
「癒されるならこれでいいよ。隣に羽田さんがいるし」
「ねえ……ゲン君、なんかもうわざとやってない? わざとなんかそういうふうなこともはや言ってない? 言いたいことあるんならハッキリ言えよ〜」
「言いたいこと……言いたこと、ね。そういえば初めて会った時にさ、僕の趣味がどうこうって話をしたじゃん」
「あーそっかそっか、趣味が欲しいっていうのでチケット買ってくれたんだっけ。……いや、あげたんだったね。そういえばライブ終わったあとわざわざお金渡しにきたよね。あげるって言ったのに。やっぱり変な人だなあって思ったけど、あれ凄く嬉しかったな」
「うん、ああいうの初めて見たからなんて言ったらいいかは全然わからなかったけど、凄いなって思ったから、ちゃんと買いたくなったんだ」
「で、じゃあ次のライブのチケットを買ってよって言ったらほんとに買ってくれてさ……ファン1号、ってわけでもないけどあんなまっすぐ言われたのは始めてだったからめちゃくちゃ嬉しかったなー。挙句スマホでもずっと聞いてるんだもん。ほかの音楽聞かない癖に。あたしの歌ばっかり」
「小説とかを投稿できるサイトがあるのは知ってたけど、音楽にもそういうサイトがあるのは始めて知って驚いた」
「うんうん。そうだよ、時代はいつだって進歩してるんだ。――で、まあ少し話がそれちゃったけど、趣味はどう? あたし達の音楽はちゃんとゲン君の趣味になれた?」
「正直に言うけど……なってない。だって趣味になったのならほかの音楽も聞くだろ。でも僕はなにも聞いてない。本当に、ただいろはに宙返りの曲ばっかり聞いてる。僕は、趣味っていうのは癒しだと思って、それを見つけようと思った。だから僕がそういう癒し――趣味っていうのが今あるのだとしたら、羽田のことなんだと思う」
「……ん。まあ、言うと思ってたけどねえそういうことをさ。つまりそれはあれ? いろはに宙返りの曲にハマったんじゃなくて、あたしが作って弾いて歌ってたからハマったってこと? もしこの世に全く同じ名前で全く同じ曲を作って歌って、でもそこにあたしがいないバンドがあったとしたら、ゲン君は音楽なんて今も聞いてないってこと?」
「そうだ。そういうことだよ。あの時図書室で出会ったのが羽田だから、僕にチケットを売ろとしたのが羽田だから、ライブハウスで歌っていたのが羽田だから、僕はいまこうして学校をサボって海にまで来ているんだと思う。もっと羽田と喋りたいから――」
「ゲン君……」
激しい波の音。まあまあの人間の歩く音。犬が吠える音。
「……ムードがねぇ! なんだこの海! 騒がしいんだけど!」
「結構船も見えるしね。今日は波が荒れてるからやってないだけで、普段は漁とかが盛んな地域だと思う。帰りに佃煮買って帰ろう」
「どこの男子高校生が女子と学校サボって二人きりで海来て佃煮買うんだよ」
「母さんが好きなんだよ」
「親子仲がよろしいですなあ! 羨ましい!」
「……僕になにかできることは」
「ない! どうにもなんない! 昔っからあたしのやることなすことに色々言ってくんだから。さっさと売れて出てってやるあんな家」
「だからその辺はあたしが勝手にやるからさ、ゲン君はこうしてまたあたしと喋ってよ。それだけでいい、それがいいんだ。あたしはゲン君と違ってまあ楽器とかもちろん本も好きだしさ、趣味は色々あるんだよ。でもさ、なんか細かいことなんも考えずにさ、隣にいて楽できるのはゲン君と喋ってる時ぐらいだからさ……。荒れた海でもいいし、ぬかるみまくった山でもいい。たまにこうやって時間ちょうだい。そんでライブにも来て。他にも色々――」
「ずいぶん多いな」
「うん。多いよ。ゲン君にはめちゃんこあたしのワガママ聞いて欲しいから。だから、あたしの隣にいてね。場所はどこでもいいんだ。きみがいたらいい。それでいい」
「僕にはもったいない気もするな。羽田の周りには人が多いから」
「おーおーこの後に及んでてめえさあー。そこは頷いときゃあいいんだよ。あー! 海うるせー!」
「動くと危ない。下に落ちたら怪我するかも。あと、頷くつもりではある。だから僕が言いたいのはさ、羽田がそう言ってくれるのはすごく嬉しいから、だから、その位置を誰かに渡したくはないな。絶対に」
「あはは。あたしから言っといてなんだけどだいぶ重いねそれ。……ねえ、もう少し近づいてもいい?」
「ああ、うん」
「手、握ってもいい」
「……」
「ゲン君! 手! 握ってもいいかなぁ!」
「……僕トイレ行ったあと手を洗わないんだけど」
「うっそだろおい?!」
「いや、ごめん。嘘。めちゃくちゃ嘘。照れ隠しなんだ。離れないで。戻ってきて」
「ジョークのセンス死んでんのきみ。二度と言わないでねマジで。あたしじゃなかったらここで全部終わってたよ」
「羽田で良かった」
「嬉しくねっ。じゃ、まあ、近づき直すとしますか……よっと……よし、手繋ぐ!」
「……」
「……なんか言いなよ。恥ずかしいとかでもなんでもいいからさ。無言、ほら、その、さあ。無言じゃん」
「……凄く、心地がいい」
「はっ。じゃあこのまま握り続けてやっかー、感謝しろよー、感謝。…………ありがとね。なにがって言われるとさ、全部かもしんないんだけど。ありがと、あたしと出会ってくれてさ。いやほんとマジ、ゲン君いなかったら音楽すら続けてないかもねー」
「それは困るな。凄く困る。……でも僕はなにもしてないな。あそうか。なにもしていないからこそいいのか。うん、わかってきた」
「なにがだよ。まあでも……合ってるよ」
「そうだ、羽田。頼みがあるんだけど一個聞いてくれる?」
「あたしのお願い聞いてくれるんならね」
「じゃあ聞いてもらえるな。……いや、羽田が嫌ならいいんだけど。というか結構失礼なお願いごとだと思うんだけど……」
「あーもういいからいいなって。鼻から塩ラーメンぐらいなら食べてあげるからさ」
「え……あ、ほんとに?」
「なにちょっと見たいって思ってんの? やるわけねーだろ」
「……そう」
「ショックを受けるな! で、なにさ。鼻でラーメン食えって言ったらこのまま砂浜に突き落とすよ」
「言わないって。いやその、歌って欲しいなって。僕のために。僕のためだけに」
「ほう――。ほう、ほうほうほう。ほーう。あーそういや駅でもそんなこと言ったなあ。あはは、いやあそうか、そうかあ。そうか……ちょっと予想外、だったなあ、こんなに嬉しいなんて」
「いい?」
「いいよ。あ、ちなみにあたしからのお願いは、家に帰るまでにあたしに告白してね。絶対だよ」
「……羽田さん、急すぎてびっくりするんだけど」
「急じゃないんだよ実は。手まで握りあって何いってんのよ」
「羽田、顔が赤い」
「夕日のせいだっつの!」
「まだ11時だよ」
「うっさいなあ! 早く首縦に振ってよ! ゲン君のお願い聞いてやんないよ?!」
「いや、断るつもりもないけど……。簡単って言うとあれだけど、それは、そうだな。凄く出来そうな気がする。結構しっかりできると思う」
「あはは。期待しないで待ってるよ。あ、でも佃煮買ってる最中にはやらないでね。せめて終わってからにしてよ。あたしは以外とロマンチックなのが好きだから。わかった?」
「――じゃ、そういうわけでゲン君のお願いを叶えてあげますか。叶えてあげたいところなんだけど……」
人々の忙しない足跡が響く。
「人が多いなあ。せっかくだもん。ゲン君だけに聞かせたい。ゲン君以外の誰にも聞かれたくない。もうしばらく、待ってていい?」
「あ、でもほら、ちょうど人がいなくなっていく。さっき通った人たちも急いでたし、なにかあったんじゃないか」
「おーう、マジか。マジかあ……いや、恥ずかしいないざとなると。えー……手は握ったままでいい?」
「いいよ」
「いいのかよ。いや駄目な理由はないか。くそ、変でも笑わないでよ」
「変なわけない」
「プレッシャーじゃねえか。え、ほんとに誰もいない? 誰かあたし達のやり取りにこっそり聞き耳立ててる人とかいない? いそうじゃない?」
「大丈夫だって。それに羽田はそこまで神経質なタイプじゃないだろ」
「どういう意味じゃい! こちとら今から好きな男のために歌うんじゃい緊張のひとつでもすらあ、誰にも聞かれて溜まるかぁーーー!」
「そんな大声出したら人集まってくるんじゃない?」
「声量じゃなくて発言内容をもっと気にしろよ! あー……もういいや。歌う、歌うよ。いやでも本当はギターもドラムもあった方がいいんだよ。あたしも今ベース持ってないしさ。でもさあ、やるからさあ、精一杯。だから、絶対聴いてね。絶対忘れないでね。絶対に、ゲン君だけの宝物にしてね。じゃあ、行くよ――……」
羽田が大きく息を吸い込む。
ゲンと羽田、二人で喋るだけ 林きつね @kitanaimtona
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