9 借り者競争
「位置について、よーい」
秋晴れの乾いた空に鳴り響くピストルの音。
俺は無心になって一番いいスタートダッシュを切っていた。今日は中学校最後の体育祭だ。
まず初めのカーブにさしかかる。全身を左に傾け、そのまま自分のコースを入場門側から本部席の方へと突っ走っていく。我ながらいいフォームだ。横目にクラスの所持品を確認する。よし、ここまでは順調だ。
見えてきたのはコース上に設けられた学生机とその上にある白い箱。ちょうど腰くらいの高さで、上部に手を入れるための丸い穴があいている。
息も絶えだえに目の前のそいつに手を突っ込むと、その中の一枚を俺はつかみだした。何が書いてあるのかと期待半分、不安半分でゆっくりと紙を広げる。
「……どうか、簡単なものでありますように!」
しかしそこに書かれていたものは俺の想像の斜め上をいくものだった。一瞬思考が途切れる。
通常、こういう時に借りるものといえば、
・多くの人が持っているもの。
・比較的軽く、持ち運びやすいもの。
・誰もがすぐに貸してくれそうなもの。
・壊れにくく、素手で持っても大丈夫なもの。
などが紙に書いてある場合が多い。
たとえばメガネやタオル、帽子や日傘などが一般的だ。だが俺の紙に書いてあったものは先ほど候補に挙げたものとは……種類的に違うのだ。
いや、隣の奴のように『人体模型の十二指腸』を持ってこいだなんて無理難題なものではない。そもそも十二指腸ってどこだよ、という話だ。
中学生に「胃と小腸をつなぐ消化管」だなんてそうそう分かるものではない。分かったとしてもどうすればいいのかと、ただ立ち尽くすしかないだろう。
じゃあ、なんで俺は知っているんだという話だが、まあ、とりあえず走ることにした。どうせ嫌でも
滑るようにたどり着いた先は自分のクラス前。何を引いたんだと声が上がる。俺はため息を吐きながら丸まった紙切れを無造作に広げた。そこに書いてあるものを見た皆は静まり返る。
――『美人』
それが俺の借りるもの。いや、連れていく人物だ。
やっぱりそうだよな、リアクションに困るよな。でも俺はすぐに連れて行かなければならない。一緒に誰か来てくれないかと女子に向かって俺は叫ぶ。
男子は、誰でもいいよと言うが、女子は互いに譲り合って全然話が進まない。するとこの状況を打破する鶴の一声が上がった。
「じゃあ、ボクが行きますよ」
みんな一斉に声の方へと振り向く。控え目に手を上げオドオドしているメガネの男性。数学の担当教師であり、俺たちの副担任のMだった。「先生は男だろう?」という皆の声を静かにいなす。
「ボクは男ですけど『美人』ですよ。男だって『美人』な人はたくさんいますよ、ほら、ボクみたいにね。いや、まあ、冗談ですけど、早く誰かがいかないと負けちゃいますからね。あはは……」
皆は渋々承諾すると、Mが俺の手をひっぱり駆けだした。意外に足が速いな、と思ったのもつかの間、見る見るうちに他の人を抜いて奇跡的に一位をとった。
Mが肩で息をしながら額の汗を拭う仕草に、俺はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。彼を『美人』だと思った。
テイル❖ストーリー 神海みなも @shinkai-minamo
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