8 懐かしい客人

 それはいつもより早く学校が終わった時のことだった。今年最大の台風がもうそこまで来ているらしく、安全のため授業も午前中だけで早々と帰宅したというわけだ。


「ただいまー。って、あれ? 鍵が閉まってる」


 なぜか今日に限って鍵が閉まっていた。いつもならここで母が「おかえり」と声をかけてくれるのだが、買出しにでも行っているのだろうか。仕方なく俺は植木鉢に隠した鍵を使う。


 俺は慣れた手つきで、玄関、廊下、洋室、台所と順々に電気を付けていった。普段はそんなことはしない。けれど家にひとりでいるのが落ち着かないのか、気付くと家中の全ての電気を付けていた。


「さて、何をしようか……」


 洋室の間の長椅子に腰掛け、本に手を伸ばそうとした時だった。玄関の方から男性の声がする。少しかすれた、それでいてよく通る声だった。


「おーい、誰もいないのか?」


 宅配便かなと玄関へ向かう。だが違っていた。白髪交じりの背の高い男性。どこか父に似ている。


「おいおい、居るなら返事をしないか。お前はここの子かね、不用心ではないか」


 そう言い放つと招き入れてもないのに、何のためらいもなく勝手に家に上がり込んできた。そして部屋の奥にある座敷へと向かう。


「あぁ、ちょっと! 勝手に上がられたら困ります」


 俺はすぐに彼の後を追った。彼は仏壇の前に姿勢良く座り線香に火を灯し拝んでいた。しばらくすると頭を上げ俺の方を向き、こっちへ来いと手招きする。


「いやいや、すまない。すぐにでも線香をあげたくてな」


「いえ、こちらこそ何もお構いできなくて。あ、すぐにお茶を淹れてきますね」


 親戚の人だろうか、そんなことを考えながら台所へ向かう俺を後ろから声をかける。


「いやあ、いいんだ。もう帰るから」


 その男性はゆっくりと立ち上がると、ふと俺の顔を覗き込んできた。そして一人で何かに納得でもしたのか、うんうんとうなずく。


「おお、確かに似ているな。宗次郎と珠子は元気にしているか?」


「え? 父と母ですか? ええ、まあ」


「そうかそうか、それが聞けただけでも満足だ」


 その時だった、また玄関から声がする。今度は聞き覚えのある女性の声、母さんの声だった。


「宗太ー、帰ってるの? 玄関開けっ放しよ。もう、不用心じゃない」


「あぁ、忘れていた」


 俺は急いで玄関へ駆け寄ると母に報告した。


「あ、母さん、今お客さん来てるよ。見たことない人だけど、たぶん親戚の人だと思う」


 すると母は俺の言葉に首を傾けた。なぜか困ったとでも言いたげな顔をしている。


「ちょっと何言ってるの? そのお客さんはどこにいるのよ、履物がないじゃない」


 俺は慌てて辺りを見渡してみるがどこにもあの男性の靴が無いことに気が付いた。彼は確かに靴を脱いでいた。土足で家に上がり込んでいたらさすがに気付くはずだ。


 俺は母の腕を掴むと無理やり座敷へと引っ張っていった。まだ、あの人がいるはずだ、母もあの人を見れば分かってくれるはずだ。


 だが彼は煙のように消えていた。母は俺の手を振り払うと、ほら居ないじゃないと部屋の中を見渡す。


「本当にいたんだって。ほら、線香から煙が上っているじゃないか」


 確かに俺の指差す先に火のともった線香が二本煙を上げていた。すると母は思い出したように手に下げた買い物袋の中身を取り出した。そこには胡瓜や茄子が入っている。


「今日はお盆……だったわね」


「――あっ……」


 ふと見上げた遺影の中の祖父が笑っているような気がした。

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