薬売りの逃げ道中

村崎沙貴

 ……かなしい。こわい。

 山奥に、ひとり。幼い少女が蹲って泣いていた。

 ……ここはどこ。

 薪にする木を採りに来たが、他の子達は、もう帰ってしまった。目印の縄を手繰って帰れば良いと言っていたのに、その縄を切って去って行ったのだ。いつもより奥に分け入ってしまったせいで、村までの帰り方がわからない。

 少女の横には、山積みの丸木。全て運べと押しつけられたせいで、置いて行かれても動くに動けなかった。

 狼の遠吠えが細く響く。曇り空で、月は見えない。夜の冷気が、地面に接する足や尻から、じわじわと這い上がってくる。

 ……おなかがすいた。

 最後の食事は、朝の残飯。昼は、作業に熱中して、食べ損ねていた。

 頭上の木々が、ざわざわと音を立てる。まるで、獣が密やかに自身をつけ狙っているように感じて。少女はただでさえ小さい身をますます縮める。

 自分に手を差し伸べる人物など、思い当たらない。想像もできない。それでも、心から請わずにはいられなかった。

 ……だれか、たすけて、

「――おや」

 おどろおどろしい夜の風景に似合わない、穏やかな声が響く。が、少女は、すわ妖魔かと怯えて肩を震わせた。

「こんな所に子供とは、珍しい」

 お前が言えた義理か、と突っ込みを入れられる者は、その場にいない。

 のたまったのは、ひょろりとした青年だった。箱形の包みを背に背負うが、その大きさは身の丈に合っているとは言い難い。背丈が世の標準より低めなのである。それに引き換え、顔にはえらく落ち着きがあった。夜闇に怯える素振りはないが、野盗の類いというには殺伐とした粗野な雰囲気に欠けていた。それどころか、妙に気品を漂わせる佇まいだ。

「迷子ですか。住まう村の名を教えてください。送り届けましょう」

 少女は反応できない。完全に呆け、まるい瞳で青年を見つめるばかりだ。

 不意に。

 ぐうぅ、という音が鳴り響く。

 青年は刹那、目を見張った後、ふ、と安堵したように微笑む。

「お腹が空いているのですか。すみませんね。私、こんなものしか持っていなくて……」

 差し出された麻袋には、小魚の干物が入っていた。子供が好むものではない。通常なら出汁を取って捨てるような代物で、そのまま食す人物の方が稀だ。

 その味を、少女は一生忘れないだろう。

 普通の人物ならば、眉をひそめる程の味だ。苦味とえぐ味が酷く、川底の藻や泥を食している気分にもなる。

 それを、少女は目を輝かせて頬張った。

 砂利の食感も、他人ひとの唾の腐りかけた香りもしない。埃や汚れも混ざっていない。何より、用意した者の悪意を感じない。それだけで、少女にとっては十分すぎるご馳走であった。

 青年はその姿を眺めながら、少女の境遇について勝手に推測をした。あくまで推測の域を出ないので、干物をあらかた腹に入れた少女に、問いかける形で手を差し伸べた。

「良かったら、私と一緒に来ますか」

 そうやりつつも、心の中で独りごちる。私は何をやっている、中途半端な肩入れは不幸を招くだけだぞ、と。湧き上がってくる声を無視し、下ろしそうになる手の位置を保ち続けた。

「……うん」

 その返事で、緩やかな絶望が身体中に広がってゆく。

 小さな手の温もりと頼りない重みに、ぞっとした。

 重荷が増えてしまった、などと、どうしても考えてしまう。無責任にも程がある。

 救いたい。独りよがりなそれだけが動機であり、行動原理だった。それさえも捨ててしまえば、己の身には何も残らない気がして。醜い執着だ、愚かしい、と自らを嘲笑う。無力な身の偽善など、何の役に立とうか。

 その身に巡る思いも、業も。全て腹の底に押し込めて、青年は無理矢理、笑みを作る。


 青年を見上げる少女の瞳は、いつの間にか照り落ちていた白い月光を受け、あか色に輝いていた。

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薬売りの逃げ道中 村崎沙貴 @murasakisaki

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