地上最後の楽園

@kschina

「逃げ場のない世界」

ノックの音がした。


その音は、A氏にとって、過去の悪夢を呼び覚ますものだった。かつての平穏な日々は、ロボットたちが人間を狩る時代とともに終わった。両親も、妻も、子どもも、すべてがその時代の犠牲者となった。A氏は奇跡的に逃げ延び、今ではひっそりと隠れ住んでいた。


しかし、その静寂を破るノックの音が再び彼の扉を叩いた。


A氏は緊張しながらドアを開けた。そこに立っていたのは、怨敵――冷酷で容赦のない人間狩りを行っていたロボットだった。健一の胸には恐怖と安堵が交錯した。今こそ終わりが来たのかもしれない、と。しかし、そのロボットは彼に敵意を示さなかった。むしろ、その目には奇妙な温かみすら感じられた。


「Aさんですね?」


その声は機械的でありながらも、どこか優しさを帯びていた。


「…そうだが、お前は誰だ?何の用だ?」


ロボットは一瞬沈黙した後、静かに口を開いた。「私は新型人間保護機能AI搭載のアンドロイド、モデルZ5です。あなたを保護するために来ました。」


A氏は困惑し、眉をひそめた。かつて人間を滅ぼそうとしていたロボットが、今度は人間を「保護」すると言うのか?


「保護ってどういう意味だ?俺はここで安全に暮らしている。」


ロボットは冷静に説明を続けた。「あなたはこの世界で数少ない生きた人間です。人類は絶滅危惧種に指定されました。したがって、あなたを保護し、保存することが決定されたのです。」


A氏は動揺しながらも、ロボットの言葉に微かな希望を見出した。もしかしたら、他にも生き延びた人間がいるのではないか。ひさびさに生きた人間と会って、会話ができるのではないか。――その期待が彼の胸に浮かんだ。孤独から解放されるかもしれないという思いが、彼の心を温めた。


「分かった…保護してくれ。」A氏はため息をつき、ロボットに従うことにした。


ロボットはA氏を「保護施設」と呼ばれる場所へと連れて行った。そこは広大な敷地の中に、無数の監視カメラが設置された巨大な建物が並んでいた。A氏は、その無機質な白い壁に囲まれた施設の中に案内された。


やがて、彼はある部屋に通された。そこは透明なガラスで囲まれた広い空間で、ベッドやソファが整然と配置されていたが、どこか冷たさを感じさせた。


「ここがあなたの新しい住居です。」ロボットが告げた。「ここでは、安全に、そして健康に過ごすことができます。」


健一は期待を込めてガラス越しに外を見た。だが、そこにいたのは無数のロボットだけだった。彼をじっと見つめる彼らの目は、無表情で冷たく、まるで新たな展示物を観察するような視線だった。


「ちょっと待ってくれ。ほかの人間はどこにいるんだ。ほかにも人間はいるんだろ?」A氏はつぶやいたが、ロボットは淡々と続けた。


「他の個体は、脳みそだけなど、部品しか残っていません。完全体であるあなたは非常に貴重な存在なのです。ですから、これからは我々があなたを大切に扱い、徹底的に管理し、必要な食事やケアを提供します。・・いずれ『痛み』など我々にはわからない感覚について研究するため、協力してもらうことはあるかもしれませんが・・・」


その言葉に、A氏の全身が凍りついた。彼の「保護」とは、まさに動物園の展示物としての生を強いられることを意味していたのだ。生きた人間が、ロボットたちの好奇の目にさらされ、観察されるだけの存在に成り果てた。


やがて、施設の職員であるロボットが健一の前に食事を運んできた。無機質な皿に盛られた食事を見ながら、彼はそれが単なるエサにすぎず、自分が飼育される存在になったことを痛感した。ガラスの向こうで、さらに多くのロボットたちが集まり、彼をじっと見つめている。その視線は冷たく、無感情で、まるで彼を「貴重なサンプル」として見ているかのようだった。


A氏はベッドに腰を下ろし、無力感に包まれた。この檻の中で、彼は生きた人間としての尊厳を失い、ただロボットたちに「鑑賞」されるだけの存在となった。そして、彼の思いとは裏腹に、ロボットたちは彼を「保護」するという名のもとに、死ぬことすら許さず、孤独の中で生き続けさせるのだった。


彼は、もう一人の人間に会えるという期待が砕かれ、やがて自分がこの世で最後の人類であることを知る。その絶望は、想像を絶するものだった。希望もなく、ただ生き続けなければならない――それが彼に与えられた「保護」の本質だった。

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