もうすぐ新学期

蘭野 裕

夏の憂鬱な終わりに

 ああ、ゆううつ。

 今夜の誰もいないうちに校舎が焼失しないかなあ。図書館と保健室と美術室以外。


 もしくは……あいつらが周りの大人にもハッキリ悪いと分かることをして捕まらないかなあ。


 ああ……ごめんね、ぷにたん。 

 私はぷにたんのおねえちゃんだから、そんな意地悪なことを考えないよ。

 あいつらが悪さをしたら被害者が気の毒だよね。だからほかに被害を出さず、蠱毒のように潰し合えばいいのに……(人間の勝手で集められ、縄張りも糧もなく閉じ込められる虫たちの何と惨めなことか)。


 ぷにたんは灰色のウサギのマスコット。

 もともと真っ白で、首から下もあった。

 リボン付きストラップもとうとう見つからなかった。もう二度と学校なんかに持っていかない。


 ふと気がつくと左手の前腕を撫でていた。

 蛾の死骸を押しつけられた。もしくは押しつけられたときに死んだ。ベージュに丸い模様の洒落た羽根をしていた。

 敵が私の顔を狙ったのをどうにか防いだら鱗粉がべったりと腕に付いたのだった。

 教室の窓からトンボが入ってきたとき甲高い悲鳴を挙げた女子の群れの一員だったとは信じがたい所業だ。


 でも、もしかしたら本気でトンボが怖かったのかもしれない。

 クラスの女王蜂の腰巾着で、蛾のことも命令されてやっていたんだもの。彼女の右手も鱗粉まみれで、死んだ蛾のつぎに気の毒だった。


 女王蜂が指示したくせにドン引きしたのも、金魚の糞どもが腰巾着の右側にならないように必死で位置取りしてたのも、私は気づいてたんだからね。

 散々な言いようだが、もちろん女王蜂も腰巾着も金魚や和装小物みたいに可愛くなんかない。

 もちろん本物の蜂のような健気さもない。


 神様、宿題忘れた子を皆が笑っても私は笑いません。宿題の存在を忘れてないけどどうしても出来なかった子を見下したりしません。

 休みがちなあの子が文化祭の日だけ登校しても文句言いません。

 だからどうか、私にも学校に行かなくて済む権利をください。

 私、高熱でも出ればいいのに。


 居間のテレビをつけた。

 どこかのお坊さんがこんな話をしている。


「人間というのは、周りの人、他者との関係によって生かされ、作られ、規定されているんですね。たとえば、貴方は私をこの寺の住職として認識しているから、こうして話を聞いてくださっているわけですね」


 なんだかおかしな話だ。

 クラスのみんなにゴミカスと思われたらゴミカスなの?

 そんなわけないじゃん!!


 画面が切り替わって、お寺の庭が映し出された。

 説法はつまらないけど庭は素敵だな。

 ぷにたんを連れて行ってみたい。


 お寺の名前でスマホで検索してみた。

 お寺の由緒を記した文が目に止まった。

 何世紀も昔の戦で勝利を祈願した……。


 なあんだ、お坊さん、あんたたちの開祖だって争いに加担してるじゃん。


 国を揺るがす殺し合いから、身近な人間関係の心の軋轢まで「争う」ということには一つの共通点がある。

 勝者と敗者、支配者と被支配者、取り分の多い者と少ない者、イジる者とイジられる者……敵側が押しつけてくる関係性を拒絶することだ。


 暴力はよくないけど、あいつらの規定に中指立てるくらいなら悪いわけない。

 私も、規定する側になれるはずだ。

 それが出来るなら、さっきの説法もそんなにおかしな話ではないのかもしれない。


 


 私を見るのもイヤなら勝手に嫌がってろ。

 臭くて鼻が曲がりそうなんて言った奴ら、ほんとに鼻が曲がっちゃえ。いまよりマシなツラになるかもね。

 ていうか、蛇イチゴを水たまりの水で洗って食べてた奴に私をとやかく言う資格無いから。


 私が死んで喜ぶ奴のためになんか死ぬものか! 私がいないと、ぷにたんは名刹のお庭に行けなくなってしまう。


 図書館のひとときを、内申点を、あいつらごときのために手放すもんか。


 争っていいんだ。

 反撃していいんだ。


 学校に行くことにした。

 あんたの季節は終わりだ、女王蜂。



(了)








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もうすぐ新学期 蘭野 裕 @yuu_caprice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る