1日目 君の隣











 ──夕映が死んだ。











     ◇






 ちょうどひと月だった。やっぱり、寿命は外れなかった。


 自宅のベッドで、ぐっすり眠っている間に死んじゃったらしい。心臓麻痺で、原因もまだ不明とのことだった。穏やかな顔をしていたそうだ。


 知っていた。……分かっていた。だから訃報を聞いても私は泣かなかった。

 どれだけ目が熱くなっても、唇を噛みしめてなんとか耐えた。


 その後、私の家に訪ねてきてくれた夕映のご両親から、遺書を預かった。

 私宛にと書かれて、ベッド上に残されていたらしい。


 私は自室に戻って。鍵を閉めると、封筒に入った遺書を開いて読み始めた。

 そこには、夕映のものとは思えない、とても丁寧な文字が長々と綴られていた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


拝啓、汐璃へ。


これは私がもし仮に、死んじゃったとき用の遺書です。

だから先に謝っておきます。ごめんね。一人にさせちゃった。


あとは、私のお墓にはパスタとウサギをお供えしてくれると喜ぶ! かも。

思ったより遺書って書くの難しいんだね。インターネットで調べて書こうと思ったら、心の相談ダイヤルみたいなやつが一番上に出てきちゃうし。

普通に書き方が分からない人も多いと思うんだけどなあ。


これ以上、なに書けばいいのかな。

いざとなると難しいから、もっと前から書いておけばよかった。

なんて、死ぬつもりがない人のやることじゃないけどね。


毎日、一緒にいてくれてありがとう。とか?

……なんだか恥ずかしい気がするからやめとこっかな。

でも、消しゴムないからこれは消さなくていっか。ちゃんと本心だし。


汐璃に会えて、これまで一緒にいられて。本当に良かったから。

汐璃がいてくれたおかげで、死んじゃう前の日も全然怖くなかったんだよ。


ね、汐璃。私がいなくても大丈夫? ちょっとの間だけど我慢しててね。

後ついてくるとか、絶対なしだからね。

汐璃はちゃんとしてるから、家族のためにもきっとしないだろうけど、一応ね。




あと、最後に。前に結婚願望ないって言ってたの、あれほんと?

……私、本気にしちゃってるからね。

どういうことかって? 汐璃はときどき察しが悪いから、教えてあげる。


数学の教科書の一番最後のページ、開けてみて。


それじゃあ、またね。

ありがとう。


夕映より。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 遺書を開いてもしばらくは、私はぼーっと紙面を見つめていた。

 夕映が何を言っているのか、何が書かれているのか理解できなかったからだ。


 けれど。何度も読み返していると、序盤の方からなんとなく意味が分かってきた。


「……パスタもウサギも、お供え物にはそぐわないんじゃないかなあ」


 パスタはすぐ腐っちゃいそうだし、ウサギはお墓の前から逃げるだろうし。


 夕映は、やっぱりちょっと天然だ。

 ……というか、前々から思ってたけど僅かにバカだ。


 汐璃、汐璃って。そんなに何度も書かなくたって、私宛ての遺書なのに。


「一人にさせちゃうって、ついてくるな、なんて言うなら……」


 ──死なないでよ。一緒にいてよ。側にいてよ。なんて言葉が喉に詰まる。

 ずっと隣にいてくれるなら、私は他に何もいらないのに。


 ……なんで。夕映なんだろう。どうして、死んじゃうんだろう。 


 遺書から目を逸らしたくなる気持ちを押さえ付けて、私は嗚咽を飲み下した。

 そのまま視線を滑らせて、遺書の下の方に書かれた文を読み始める。


「結婚願望……ないけど。なに、数学の教科書……?」


 鞄から全部の教科書を床にばら撒いて、私は数学の教科書を手に取った。

 そのとき、一番後ろのページを持って持ち上げたからか、小さな紙がひらりと舞った。


 私は教科書を置いた代わりにそっちを手に取って。

 そこに書かれていた言葉を見て、硬直した。






『一つだけ、私からのお願い。

 生まれ変わってきっと会いに行くから、

 それまで隣、開けといてね』




 


 そこに夕映の字で書かれていたのは、そんな最後のお願いだった。


「結婚願望って、そういう……まだ、諦めてなかったんだ」


 思わず呆れ声で私はぼやく。


 ──さっきまで、泣きそうだったはずなのに。現に涙は溢れてきているのに。

 なぜだか笑みが浮かんでしまう。……なんだそれ、とも思うのだけれど、なぜだか夕映がそう言うなら、生まれ変わってでも会いに来るような気がしてしまう。


 ……というか。生まれ変わったら隣に来る、なんて。どれだけ強い束縛なんだろう。気付いて言ってるならメンヘラちゃんだし。気付いてないなら潜在的だ。


 だけど。それも意外と、悪い気はしなかった。


 だって、元々そうだ。私たちの関係性は普通の恋愛とは違う。

 私は夕映が隣にいれば、それでいいのだから。




 同じだ。……私はずっと、夕映の隣にいたいだけだった。


 私は五日前に夕映と一緒に買ったペアリングの箱を開けて、左手の薬指に嵌めた。

 それから小指をピンと立てて、ベッド上にまっすぐ突き出して言った。


「約束、だからね」


 まだ、笑顔の夕映がそこにいるみたいだった。






 ──明日から、君が隣にいない日が訪れる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひと月後、君が隣にいない日が訪れる 往雪 @Yuyk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ