続・青銅造りのオルゴール

城島まひる

本文

ツンと鼻を突く生臭さに当たられ、目を覚ました私は、向かいのラウンジチェアに座ったまま寝ている友人を揺さぶり起こした。


私の友人であり、この家の主人である彼の名はカヌス・オルニット。刈り上げた灰色の髪に、鋭い青い眼光が特徴的な長身のイギリス人である。


そのイギリス人の我が友は、何度揺すっても起きる様子はなかった。恐らく昨晩、共にたらふく飲んだウィスキーのアルコールが抜けていないのだろう。


私はそう結論付けて、その部屋を後にした。"勝手知ったる他人の家"という言葉がある様に、定期的に友人宅を訪問していた私は、すぐに生臭さの原因があると思われる部屋を突き止めた。


そこはこの家の主であるカヌスが、書斎と呼んでいる部屋であり、彼の仕事部屋である。仕事部屋となると、勝手に入るのはどうだろうか?と思い逡巡する。


しかし臭いの元凶に近づいた為か、以前よりも臭気が強くなってきている生臭さ……

その生臭さの原因は大いに私を興奮させてくれるものに違いないと、芸術家である私ヤミュレー・ロッド・カシューの勘が囁くのだ!!


――――時に芸術家の感性とは、本来人間が感知し得ない特異な暗黒の領域に住まうものを、その視線の先に、見て、理解してしまうことがある。


ゾワッと虫が這った様な感覚が、私を襲った。その感覚は私が仕事部屋のドアノブを握った瞬間、霊感ともで言うべきものが紡ぎ出した幻覚であった。


私は咄嗟に手を引き、先程までドアノブを握っていた自身の手を見つめた。その手には何やら黒いインクの様なものが付着していた。

私はそのインクをハンカチで拭きながら、ある一つの疑問に至っていた。私は一体、いつ自らの意思でドアノブを握った……?


確か私は仕事部屋に無断で入るべきではないと、逡巡し部屋の前に立ち尽くしていた筈だ。にも関わらず私は自分でも気づかぬうちに、仕事部屋のドアノブを握り開けようとしていた。


そしてもう一つの異変に私の鋭い嗅覚が気がついた。先程まで仕事部屋から漂っていた筈の生臭さが、一瞬にして消えていたのだ。

我が友、カヌスが起床し窓を開け換気でもし始めたのだろうか?いやあり得ない。換気をしたところで、臭気の強い生臭さがすぐに消えるとは思えなかった。


あまりの気味の悪さ。実態の羨わない不気味さと恐怖に私は失礼ながら、足早に友人宅を後にした。我が友にして、イギリス人オカルトティアウトであるカヌス・オルニットは変わり者で、玄関の鍵を閉めることは決してない男だった。


だから私は鍵の心配もせず、そして彼が起きているかなど確認もせず――もし彼が起きていなかったら、臭気が消えた理由に説明がつかなくなってしまう――、その場を後にしたのであった。


そうきっと臭気が消えたのは、友人が起きて、窓を開け換気を始めたからに違いない。そう自身に言い聞かせ帰り際、友人宅の窓が一つも開いていなかったという記憶を消そうと躍起になっていた。


 *


我が友人にして芸術家ヤミュレー・ロッド・カシューが、挨拶もなしに帰ったと知ったのは、玄関のドアが乱暴に閉められ、その音が宅内に大きく響いたからだった。


私は先程まで寝ていたラウンジチェアから腰を上げると、テーブルの上のグラスに温くなったデカンタ水を注ぎ一気にあおいだ。


昨晩はヤミュレー氏と怪奇談話で大いに盛り上がり、沢山の酒をあおいだ。その結果、二日酔いという最悪状態を招いた。


私は酷く痛む頭で、何故ヤミュレー氏は帰ってしまったのかと熟考する。彼は芸術家であるが故、出勤という時間的期限に縛られることはない。自由な人間の筈だ。


アルコールで回っていない頭が出した最終的な結論は、きっと良いアイデアを思いついたので直ぐに形にするべく帰ったのだろう……といったものだった。

それなら挨拶も忘れて、帰ってしまうのも納得が行くというもの。芸術家とはしばしば自身の作品に対して、自己中なところがあるのだから。


それから私はデカンタの水を2杯続けて飲むと、やっと思いで部屋から出た。立つまでは良かったものの、一歩踏み出した瞬間、体はふらつきいまだアルコールが抜けきっていないことを示していた。


それでも私は何とか仕事部屋に向かう為、壁にもたれ掛かりながら廊下を進んでいく。

今日は依頼が来る日の為、スーツに着替えなくてならない。それが私、怪異専門の探偵カヌス・オルニットのポリシーなのだ。


やっとの思いで書斎兼仕事部屋の前についた私は、ふと視界に違和感を覚えた。何かがおかしい。何かが違う。そんなアハ体験地味た感覚に陥っていると、ドアノブに答えを見つけた。


それは3日前にある理由から描いていた魔除けの印だった。ドアノブに直接インクで書き込み、ノブをひねる時は触らぬように注意していた筈だ。


それにも関わらず目の前のドアノブに描かれた印は、部分的に擦れて消えており、誰かが触った痕跡があった。


その痕跡の主がヤミュレー氏であることは想像に難くない。


そして仕事部屋に放置されたある一つのアイテム。18世紀イギリスにて退廃的なカルトが使っていた『青銅造りのオルゴール』。


その魔力が我が友を餌食にしようと、ここまで呼び寄せたに違いない。

しかしその願いは道半ばで倒れることとなった。何故ならドアノブに描かれた魔除けの印によって、オルゴールの邪悪な魔力は祓われ獲物は逃げてしまったのだから。


そんな自身の推理に酔いしれながら、私はそっと仕事部屋のドアを開けた。そして机の上に置いてある"半開き"のオルゴールをそっと閉じると、頑丈な縄でグルグル巻に縛り上げ、部屋の窓からテムズ川へとオルゴールを投げ捨てたのだった。



―完―

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