第2話 前髪が長すぎる。


そう、前世での私の名前は本郷綾音(ほんごうあやね)。

今をトキメク女子高校生にして名門私立高校の陸上部に入っていた。

好きなものはカキフライで嫌いなものは薬味全般、家族は両親と妹を合わせて4人。

中学から仲の良い友達が一人いて、そいつと陸上部内でよく短距離走のタイムを競い合っていた。

家は学校から歩いて40分の距離。

足腰を鍛える為、登下校は毎日歩いて通っていた。


ただあの日。

何だか調子が悪かった私は、気分転換も兼ねて久しぶりに自転車に乗って登校することにしたのだ。

もう何時から乗っていないのかも忘れてしまったギシギシと嫌な音を軋ませる錆びた自転車に跨って軽快に通学路をかっ飛ばした。


それがまさか、あんな大事故に繋がるとも知らずに。


「まっってちょ、まてまてまてまて!!!???」


交差点は赤信号で、私は差し掛かる少し手前でブレーキを掛けた。

しかし、かなりの速度を出していた私の自転車は一向に止まる気配もなく、ギギギギと僅かに嫌な音を立てたまま、殆ど減速する事なく交差点へ突っ込んだのだ。


キキーーーーーーーーーーーーー……

ドンッ!!!


当然私の体は走ってきていたトラックに勢い良くぶつかり、自転車ごと空中を舞って、コンクリートの上に叩き付けられた。

瞬間、真っ赤に染まる視界に、少し遅れて聞こえ出す慌てている様な大人の声。

耳元で誰かが何か叫んでいる気もするがよくは聞き取れなくて、次第に体の痛みは全く分からなくなった。


そうして段々と瞼が重くなっていき…


「で、今こうなってるってわけか」


ベットの上で寝ころんだまま無駄に長い黒一色のワンピースを豪快にたくし上げて足を組み、更に両手を頭の後ろに組んで、綾音--もとい、アリシアは半笑いで呟いた。


「夢の異世界転生ものっつってな!全然嬉しくねぇ~~~」


はぁ~~~~っ!とアリシアは心底嫌そうに溜息を吐く。

いや異世界転生って響きは正直かっこいいしとても好きだよ?

でも私は漫画とか殆ど読まない人間だったわけで、このゲームの内容とかあんまり覚えてないし。

妹が無類のオタクで事あるごとに色んな作品を布教されていたからギリギリ知ってるくらいの人間だぞ?

何でよりによって私なんだ?

マジでこのゲーム?世界?のあらすじとか設定とかもかなり忘れちゃってるぞ。

この体のキャラ設定も辛うじて思い出せたレベルだし。

絶対もっと他に転生向いてるやついただろ。


あーあーやってらんねぇ!と、突然思い出した前世の記憶にヤケを起こしてアリシアは深く深く頭を抱える。

すると、不意にコンコンと部屋の扉がノックされた。


「失礼致します、お嬢様。」


ガチャリと扉を開けたのは所謂この家に仕えるメイドの一人で、ベットの上で大の字に寝転がっている私を見て怪訝そうに眉を顰める。


「どうされましたか」

「あぁ…えっと、」

「悲鳴のような声が聞こえましたが」

「や、大丈夫大丈夫!ちょっと夢見が悪かっただけ」


気にしないで!とニッコリ笑顔を浮かべて手を振ると、益々眉を顰めて此方を凝視するメイド。

まぁ昨日まで誰と話すのにも怯えてビクビクしてたような人間が、いきなりこんな態度になったら訝しむのも無理はないわな。


「んっふふ」


なんて、昨日までの【悪役令嬢アリシア】として生きてきた記憶も残っている私は今の自分と昨日までの自分のギャップが凄すぎて思わず笑ってしまう。


「お嬢様?」

「あ、ごめんごめん。まだ何か用事あった?」

「朝食の準備が整っておりますが」

「え、もうそんな時間か」


そう言われればお腹空いた様な気がするなぁ。

じゃあ取りあえずご飯食べてから色々状況を整理するか…と、身体をググ~ッと伸ばしつつベットから起き上がってみる。


その瞬間、一気に視界が黒一色で遮られた。


「うぉ!?」

「?」

「待って私髪なっっが」


起き上がった途端垂れ下がってきた前髪が余りにも長くて、予想外に驚愕してしまった。

そういや昨日までの私は他人に髪切られるのが嫌で長い間ほったらかしにしてたんだっけ。

よく今迄こんな長さ我慢出来てたな、私。


「メイドさん」

「はい」

「鋏とかある?」

「鋏、ですか?」

「うん。何でも良いんだけど大きめのやつだと嬉しい」


メイドは相変わらず疑いの視線を向けながらも、部屋の隅にあった小さなドレッサーから鋏を取り出して私に持ってきてくれた。


「ありがと」


鋏を受け取って早速前髪を適当に掴んで鋏を当てると、そのままバツンッ!!と一気に前髪を切り落とした。

呆気にとられるメイドを他所にベット脇のゴミ箱へ切り落とした髪をポイと捨てて、ふぅ。と一つ息を吐く。


「よし。ご飯食べようか」


ニッコリ笑った私を見て、メイドはまるで妖怪でも見ているかのような表情を浮かべた。



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バットエンドは脚力で回避するんだよ!! 巡子 @ankoromotimotimotimotimotimoti

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