エピローグ

おいしい好奇心

 2040年7月7日。

 私と鹿島さんは月面を歩いていた。

 もちろん、自分達の体で、ではない。私達は月面探査用の人型ロボットに地球からフルダイブして月面を歩いている。現在の私達の所属は、〈ムロメ・デンノウ〉技術応用部、遠隔局地探査応用チームだ。宇宙イルカの自己崩壊後、〈ミカギテクノロジー〉は〈ムロメ・デンノウ〉に吸収された。フルダイブVR技術の実運用経験を買われ、〈ムロメ・デンノウ〉の一部門になったのだ。

 宇宙イルカが全て崩壊したことで、それと同時に武器としての有用性やその危険性の問題は全て消えた。もちろん〈宇宙イルカ規制法〉という既に意味のない法案が可決されることもなかった。まるで人類全体が見ていた夢のように、宇宙イルカは消え去った。

 諦めきれないILFのある一派が、普通のバンドウイルカを捕まえて脳を仮想世界にフルダイブさせ、ドローンパイロットに育てようとした事件があったが、イルカはドローンを操縦するどころか、会話できるようにすらならなかった。理由はわからないが、私達の方法は宇宙イルカでしか使えなかったようだ。なお、この事件の発覚によってILFは大きな批判を浴び、すっかりただの犯罪者集団と見做されるようになった。特に欧米での影響力は大幅に低下したという。

 驚いたことに、〈宇宙イルカ天使の会〉はまだ存続している。代表の鹿追は作家として活躍しつつ、宇宙イルカの再臨を信じて支援者と共に世界を放浪している。

 私達は結局、〈好奇心漁師〉のことは公表しなかった。私達だけが掴んだ宇宙の秘密だ。ほとんど意味の無い、〈好奇心漁師〉と世間への小さな反抗だった。

 今の私達が取り組んでいるのは、人型ロボットへのフルダイブを使った局地探査プロジェクトだ。人間が生身で行けない場所に人型ロボットを送り込み、そのロボットにフルダイブして動かすのだ。仮想世界でアバターを動かすのではなく、私達は海底や火山、南極などでロボットの体を動かして探査をしている。AI制御のロボットは決められた目標を探したり、網羅的にデータを収集したりするのは得意だが、未知の場所から未知の興味深いモノを見つけるのはまだ人間の方が得意だったりするのだ。

 そして、今回の実験場所は月面だった。

 約三八万キロメートル彼方の機械の体は、地球より小さい重力の元で地面を蹴って軽やかに進む。私と鹿島さんはフルダイブ探索システムのパイロットだ。二年以上も毎日のように仮想世界で紺や蒼と過ごしていた私達は、フルダイブVRのダイブ経験が世界でも随一の長さになっていたから、それを活かして仕事をしていた。

 月面のロボットの中にフルダイブした私は、隣を歩くロボットの中の鹿島さんに通信越しに話しかけた。


「月ですよ、裕子さん」

「うん。本当に来られるとはね。びっくりだよ」

「私達の本当の体は地球ですけどね。さて、この辺りで良いかな」


 私はロボットのストレージに密かに忍ばせた二つのカプセルを取り出した。

 中には、紺と蒼だった塵の一部が入っていた。


「こういうの、宇宙葬って言うのかな?」


 鹿島さんが言った。私はロボットの首を横に振り、頭をアームで指す。


「二人は死んでいないよ。私の頭の中にいるんだ」

「ずるい。私の中にだっているもんね」


 月面のロボットの中で、私達は笑った。そして、そのカプセルを優しくロボットハンドで摘み、開いて中の塵を撒いた。

 私は月の大気に消えていくその塵を見ながら呟く。


「一緒に、月に来られたね」


 月面から見る地球の海は、深い紺色に見えた。


 探査ドローンで周囲を探索していた宇田賀から連絡が入った。


「おーい、『旭夫妻』。ちょっと気になるものがあったぞ」

「宇田賀さん、その呼び方やめてって言ってるじゃないですか!」

「おっと、悪い悪い!」

「何ですか? 宇田賀さん。異星人の残したモノリスでもありましたか?」

「はははっ、それと同じくらい興味深いぞ」


 私の胸が好奇心に高鳴る。そう、私はまだ好奇心がある。未知を求めて、知らないことを知りに、見たことないものを見に行こう。

 そうしたらいつか、また会えるかもしれない。

 最適解が溢れる、この答えの無い世界で、好奇心を持って。

 しなければならないことではなく、したいことを目指して。

 それが、この時代を生きる私の生き方。

 私は皆と一緒に歩き出す。


「それは楽しみですね。おいしそうだ」

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紺色の好奇心 〜宇宙イルカの謎〜 根竹洋也 @Netake

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