第48話 私の世界
〈好奇心漁師〉が告げた最後の時間まで、あと一時間四十五分。
紺は一時的に気を失っただけで、すぐに目を覚ました。今のところ、紺も蒼も体には変化がない。だが、残された時間は少ないはずだ。
開発室に集まった私達は、意見を出し合った。
「紺と蒼の意識をコンピューターに保存しましょう。フルダイブVR技術の応用でなんとかなるはずです」
「美理仁。お前も知っている通り、フルダイブVRは脳の接続先を本当の体から仮想世界のアバターに切り替えるだけだ。意識や魂のようなモノが移動しているわけじゃない」
「それでも、フルダイブすることで意識が移動する可能性もあります。意識が脳という器官に結びついているという証拠はありません」
「それは希望的観測が過ぎるぞ。意識なんて、古代ギリシャの哲学者の時代から議論され続けてきた謎だ。確かに、AIによる補助で脳科学も発達してフルダイブVRも現実になった。だが、それでもまだ意識や魂というモノが何なのか、俺達にはわからない。まだ人類には扱えないんだ。それに宇宙イルカはもともと生命じゃないって言ってたんだろ? 作ったあいつらにもわからないことが起きているんだ。手に負えるとは思えない」
私に変わって鹿島さんが口を開く。
「〈好奇心漁師〉達からの『回線』が途切れたら崩壊するって言うなら、その『回線』の信号? みたいなものを偽装出来ない? そうすれば体は崩壊しないんでしょ?」
宇田賀は首を振る。
「宇宙イルカ達が交信している方法はわからない。おそらく脳の部位Xがその『回線』に関係していたんだろうが……これも俺達の理解を超えている。何か電波が出ているわけでもないし、人類の持つ計測器では今までも何も観測できなかったんだ。『回線』とやらが繋がっている先がどこなのかさえ検討がつかない。アメリカのネバダ州かもしれないし、太平洋の海底かもしれないし、月の裏側か、銀河系の中心のブラックホールか、それとも、こことは別の宇宙かもしれない」
次に口を開いたのは本原だ。
「好奇心を観測するのが目的なら、もっと好奇心を見せればいいんじゃないですかね。〈好奇心漁師〉が離れたくなくなるくらい、俺達が見せてやるんですよ」
「数人の好奇心で満足するなら、宇宙イルカなんて太平洋に撒かないだろう。それに、知られてしまうことで好奇心が取れなくなると言っていた。今、俺達が〈好奇心漁師〉のことを知っている段階で、もうダメなんだよ」
「……」
しばらくの沈黙の後、宇田賀が大きなため息をついた。
「はあ……悪魔の代弁者はやりたくないもんだな。俺もずっと考えているんだが、時間がなさすぎる。今の人類の知識では扱えない。だからこそ、〈好奇心漁師〉どもは地球で漁をしたんだろう。文明が発達して未知のことが減ると、好奇心はその種族から消えるのかもしれない。宇宙イルカを見て、『なんだ、あれね』とか思う文明水準だったら、そもそも漁が出来ないんだろう」
私は唸るように言う。
「うう……つまり、私達が宇宙的に無知で未発達だからこそ、〈好奇心漁師〉がやって来て、そのおかげで紺達に会えたってことじゃないですか。私達がどうにかできるくらいなら、そもそも宇宙イルカは現れなかった。最初から、私達を悩ませて、振り回して、調べさせるのが目的なのですから」
「ああ、そういうことになるな。最初から詰んでいたんだ、俺達は。〈好奇心漁師〉まで辿り着いたのが奇跡なんだよ。俺達は奇跡的に、絶対に辿り着かないはずの答えの一部を見られたんだ。もう十分奇跡だ。あとは、紺ちゃん達に思い出を作ってやることが俺達に出来る唯一のことなのかもしれない」
「……」
何も言えなかった。時間だけが過ぎていく。時の流れは、止まらない。
私は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いてから、言った。
「紺達と話してきます。紺達をフルダイブさせてもらえますか」
「私も行く!」
私は鹿島さんと一緒に実験用プールに向かった。
私達が行くと、いつものように紺と蒼が水面から頭を出した。プシュ、と呼吸する音。ミニャ! と鳴く紺。キュウ! と鳴く蒼。いつもと同じ。今までと同じ。でもこれが最後かもしれない。
「紺、蒼……」
言葉が出てこなかった。鹿島さんも同じだ。最初に喋ったのは紺だった。
「私、覚えてるよ。こうきしんりょうし? の話。私達、もうすぐお別れなんだね」
「おわかれ! おいしくないね」
「……」
「しょうがないよ!」
紺が元気に言った。パシャパシャとひれで水面を叩く紺。
「しょうがないよ。私、生き物じゃない。役目が終わったの」
「違う……君は立派な……私の、私達の……!」
「それに、宇宙イルカがいなくなったら、軍事利用? されないよ。平和な世界だよ!」
「ああ、そ、そうだ。そうだね。しょうがない……」
紺がそう言っているのだ。確かに、これで宇宙イルカに関する問題は全て無くなる。私達が公安にマークされることもなくなるだろう。そもそも、防ぐ方法などない。しょうがないのだ。受け入れて、最後の時間を穏やかに過ごす。これが最適解。大人の最適解。社会人の最適解。人類の最適解。
そうだ、最後は広い海で過ごさせてあげた方が良いのではないだろうか? これが、きっと最適解。そうすべき……
その時、紺が言った。
「いやだ! やっぱりお別れは嫌だ! 私、もっと一緒にいたいよ。私、嘘ついたよ。みりに!」
頭を殴られたような気分だった。
「ああ、そうだよな! そうだよ! 俺も、嫌だよ!」
「うう……紺ちゃん、蒼ちゃん……!」
鹿島さんは座り込み、泣き出してしまう。精一杯の感情を伝えようと、紺はパシャパシャと水面を叩く。
「私、月にも行きたいのに。空も、もっと飛びたい。配信も、もっとしたい。もっとおいしいことをしたいよ!」
「紺、そうだよな。したいこと、いっぱいあるよな。すべきことじゃない。そうだよ!」
私は、座り込んで泣いている鹿島さんの手を掴んだ。
「最後まで、足掻きましょう。できること、思いついたこと、まだやってないことを。私は足掻きたい」
最後の時間まであと、四十五分。
「紺、蒼。向こうでね。向こうで私を探すんだ。きっとそこが一番『奥』だから」
私は実験用プールの水面から頭を出す二人に言う。ミニャーと鳴いて応える二人。薄暗い窓の外に、月明かりは見えない。
最後に、私達は悪あがきをすることにした。私の深層心理を仮想世界化し、その中に紺と蒼をフルダイブさせるのだ。現実の宇宙イルカの体が崩壊しても、フルダイブしていれば意識が残るのではないかという可能性に賭けた。
成功する根拠は全くなかった。もし、意識というものが脳の中にあるのなら、現実世界で脳を含む体が崩壊した時点で意識もこの世から消えるはずだ。だが、消えないかもしれない。私達は、わからないならやってみる方を選んできた。だから、今回も最後にそうすることにした。いや、そうしたかったのだ。たとえ、〈好奇心漁師〉においしい好奇心を提供するだけになったとしても。
私はフルダイブVRルームの椅子に寝そべる。フルダイブ先に通常の仮想世界を選ばずに私の深層心理を選んだのは、なんとなく、だ。なんとなく、そうしたら私の頭の中に彼女達が残るのでは無いかと思った。深層心理といっても、別に脳の中に入るわけではない。コンピューターの中に作られた仮想世界だ。だが、私の脳と双方向に繋がった世界には違いない。もしも、万が一にでも意識が残るなら、私の中に残って欲しかった。ただそれだけだ。私達はこの時点でエンジニアでも何でもなく、怪しい儀式を執り行う集団に近かった。根拠なんてない。確証なんてない。見通しなんてない。だけど、それがどうした。
泣きそうな顔で必死に笑おうとしている鹿島さんが、言った。
「私は、現実世界のプールの二人を見てますね」
「はい。お願いします」
いつだか、似たような会話をした気がする。もう遠い過去だ。宇田賀が、準備が整ったことを目で伝えた。本原がグッと親指を上げる。
不思議な雰囲気だった。最後の時だというのに、とても静かだった。
私は目を閉じた。自分の深層心理を仮想世界化している時の感覚はフルダイブ時とほとんど同じだという。私はもう数えきれないほど感じたピリピリした感覚とともに、ゆっくりと落ちていった。
私は、自分の深層心理が生み出した世界で目を覚ました。そこは大きな海に浮かぶ小さな家だった。見渡す限り、海しかない。波の音が優しく響き、辺りには潮の香りが満ちていた。ウミネコが鳴きながら頭上を飛んでいく。遠くで鯨が背中を覗かせ、潮を吹いた。
空は暴力的なまでに青かった。青くて、雲一つなくて、美しくて、私はなんだかそれがとても悲しかった。
しばらく、私はその青い空を見上げていた。
やがて、海の上を二人の少女が走ってやって来た。私の海は歩けるようだ。いや、きっと歩いて欲しかったのだろう。何しろ、彼女達に歩き方を教えたのは私だ。
「みりに! やっと見つけた」
「みりに、だ!」
少女達は同時に私の名前を呼ぶ。
「紺、蒼」
私は二人の少女の名前を呼ぶ。私達が生み出した、好奇心の奇跡。
「みりに、ここは綺麗だね。とってもおいしいね」
「ああ、そうだね。一緒に歩いて、行けるところまで行ってみようか」
「わあ、何があるのかな?」
「何だろうね」
私は紺と蒼と一緒に海の上を歩いた。クジラがいた。シロイルカやオキゴンドウ、カマイルカにイロワケイルカ、もちろんバンドウイルカもいた。人間の水泳選手はいなかった。水面の下を覗くと、なぜかリュウグウノツカイがたくさん漂っていた。
あれは深海魚なのに、おかしいね。
空には白い羽の生えたイルカが飛んでいた。青空の昼間なのに、空には大きな満月が浮かんでいた。
いつの間にか、たくさんの窓が浮いている場所に辿り着いた。その窓には〈アクアリウム〉で配信をする紺の姿が映っていた。最初の配信は特に大きな窓だった。さらに進むと、床に仰向けに横たわる紺に向かって、恐る恐る話しかける私の映像が写っている窓があった。
懐かしいな。
紺と蒼は何も言わなかった。さらに三人で進むと、トラックに乗って初めて紺がやって来た時の私の記憶が現れた。胸びれのところに穴の空いた担架を体の下に入れて、クレーンで釣られてプールに降ろされる紺。それを期待と不安を込めた眼差しで見つめる私。私の顔が見えるということは、これは誰の記憶なのだろう。不思議だね。
記憶の窓はこれで最後だった。私の人生はもっと長かったはずだけど、一緒に見たかった記憶は全て見られた。
気がつくと、私達の目の前には大きなロケットがあった。紺が嬉しそうに言った。
「わあ! これで月に行けるね!」
「つき! おいしいね!」
「はは、そうだね。月に……行きたいね……行きたいよ、一緒に。行きたかったなあ」
私は二人を抱きしめ、ボロボロと涙をこぼして泣いた。仮想世界では感情が表に出やすいのだ。しょうがない。しょうがないじゃないか。
「みりに!」
紺が私の手を握った。
「みりに達が、私を作ったの。私を作ったのは、やっぱり、みりに達だったね」
「そうか、そうだね。最初から、そうだったんだ」
「一緒にいるよ。これからも」
紺がニッコリと笑った。とても気持ちの良い笑顔だった。
「とっても、楽しかった。ありがとう」
「ありがとう」
それが紺と蒼の最後の言葉だった。どこかでイルカが、キュウ、と鳴いた。
青い空の下で、二人は静かに消えていった。
その日、地球上の全ての宇宙イルカが塵になって消えた。
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