第47話 好奇心
鏡の中に佇む謎の影。私の直感が、それが人でも宇宙イルカでもない存在だと告げていた。
「おい! 見てるんだろ! 聞こえているんだろ!」
私は鏡をドンドンと両手で叩いた。だが、向こう側にいる影は何も反応しない。
「お前達はなんなんだ! 宇宙イルカってなんなんだ!」
「美理仁君……」
「みりに……」
紺が申し訳なさそうに俯く。違う、紺のせいじゃないのに。まさかこの影は、私達を満足させようと紺が見せてくれた幻影なのか。
私は力無くその場に膝を突いた。膝が床を浸す水で濡れ、冷たかった。今度は鹿島さんが鏡を叩き始めた。
「お願い! 教えて。知りたいの!」
その時だった。いきなりパシャン、と水が跳ねる音が響いた。紺が倒れたのだ。鹿島さんが悲鳴に近い声を上げた。
「紺ちゃん! どうしたの!」
紺はゆっくりと起き上がり、聞いたこともない音を発した。それはイルカの体で発する鳴音よりもさらに高いような音で、仮想世界にも関わらず耳がキンとするような感覚を覚えた。やがてその音は低くなり、次第に普段の紺の声に近くなった。だが、その喋り方は紺ではなかった。
「呼びかけるモノ。これに格納された言語の情報、使う。呼びかける。興味深い。とてもおいしい」
私は言葉が出なかった。鹿島さんも、現実世界の宇田賀達も同じだった。紺のいたずらだろうか? とも考えた。でもそれでも良いと思った。私達を気持ちよく騙してくれるなら、それで良い。今は疑う時ではない。そう思った。私は呼吸を整え、呼びかけた。
「宇宙イルカを地球に落としたやつだな。話をさせてくれ」
紺は目を見開き、焦点の合っていない目を私の方へ向けた。
「宇宙イルカ、コレのこと?」
会話が出来ている。紺が一種の通訳装置になっているのかもしれない。
「ああ。そうだ。教えてくれ、君達はなんなんだ? 宇宙イルカとはなんなんだ?」
「……」
紺は無言で固まった。私達はじっと答えを待つ。私は、小さな声で宇田賀に呼びかけた。
「宇田賀さん、聞こえていますか、こちらの内容」
「あ、ああ、信じられない……深層心理の仮想世界だから、何があってもおかしくない。信憑性も無いが、それは俺達が信じれば良いことだ」
「ええ……」
紺が再び口を開いた。そして、ついに私達が求めた謎の答えが発せられた。
「コレは、擬似餌。我々の、漁の、擬似餌」
「な、なんだって……」
言葉の理解に時間がかかったのは、私だけではなかったようだ。誰もが何も言えなかった。その意味を解釈しようとして、私達の大脳皮質はエラーを起こしていた。最初に尋ねたのは鹿島さんだった。
「それは、どういう意味……ですか?」
「……適切な言葉か、わからない……概念自体、無いもの。宇宙イルカ、擬似餌。ルアーだ」
「漁とはなんのことですか? まさか、人類を食べるのですか?」
「……」
またしばらくの沈黙。やがて紺が口を開く。
「好奇心」
「は?」
皆がほぼ同時に同じ反応をした。紺の口で、ナニモノかが続ける。
「我々は、知的生命体の好奇心、探究心を観測。それが我々の食事、エネルギー。宇宙イルカ、擬似餌だ。地球の知的生命体の好奇心を向けさせるための、餌。好奇心の漁、だ。そのため、生成して落とした。我々は観測。おいしかった」
「は、ははは……はははは! なんだそれは! 好奇心の漁? じゃあ、お前達は『好奇心漁師』とでも言うのか?」
私は思わず笑い出していた。好奇心! 好奇心を食べる? そう言ったのか? 何か別のことが誤訳されたのか?
〈好奇心漁師〉は、さらに続ける。
「その呼び方で、良い。この星のイルカという哺乳類、人類の大半が好感、抱く。適度な距離感、適度な知性。擬似餌を作るのに最適。イルカを模して、擬似餌を作った。目立つように落として、興味を引いた。人類は宇宙イルカを調べた。我々は宇宙イルカに向けられる好奇心を観測した。その好奇心はとてもおいしかった。素晴らしい漁場。発展途上の知的生命体からしか、好奇心は観測出来ない」
鹿島さんが恐る恐る尋ねた。
「ねえ、宇宙イルカはあなた達が作ったの? 生き物なの?」
「生き物? では無い。有機生命体を精巧に再現しただけ。意識、魂、自我……キミ達がそう呼ぶ物は存在しない。そのはずだ。空っぽだ」
徐々に異星人の喋り方が滑らかになっていく。言葉の使い方を覚えているのかもしれない。だったら、聞きたいことを納得するまで聞くまでだ。
「でも紺は……お前が今喋らせている個体は意識を持っている、ように見える……」
「そうだ。不思議だ。興味深い。おいしい。キミ達が生み出した? わからない。本来は空っぽだ。何も入っていない。この星のイルカの行動パターンを少し改良したパターンが入っているだけ。知性や、感情などない」
「嘘だ! 紺は、私を心配してくれて、嘘もつくし、綺麗な景色を見て感動する。月に行きたいって夢もあるんだ」
「不思議だ。空だからこそ、生じたのかもしれない。おいしい。だからこそ、惜しい」
「惜しいって、どういうことだ?」
しばらくの沈黙の後、〈好奇心漁師〉は言った。
「我々は、ここを去る。知られてしまった。もう漁は出来ない」
「は……?」
顔を見合わせる私と鹿島さん。鹿島さんの顔が歪む。〈好奇心漁師〉が言う。
「知的生命体は飽きる。長い時間、好奇心の漁は出来ない。知られることは好奇心を遠ざける。好奇心が獲れなくなる。それに、キミ達は私達へのコンタクトの方法を知った。私達が好奇心を観測するために使っている『回線』を使って、キミ達は呼びかけた。驚いた。痕跡を全て消し、漁場を移動しなければならない」
「そ、そんな……」
座り込み、俯いてしまう鹿島さん。痕跡を消す、その意味を理解してしまったのだ。私もそうだった。私は、思わず紺の肩を掴んでいた。
「やめてくれ、頼む。紺と蒼だけでも!」
「無理だ。そのように作っていない。我々との『回線』が切れれば、宇宙イルカは自己崩壊する。そういうモノだ」
「う、嘘だ……! 紺、私達をからかっているのか? もう大丈夫だ。もうやめよう。な?」
「嘘ではない。嘘はおいしくない。この個体はとても良質な好奇心を見せてくれた。良い擬似餌だった」
「ふざけるな! 紺は餌じゃ……餌じゃない……! なぜそんな酷いことが出来る?!」
私は鏡に向かって拳を振り上げ、それを振り落とすことなく力無く下ろした。〈好奇心漁師〉は紺の口で言った。
「酷い? 捕まえて、閉じ込めて、散々調べているのに? やはり、発展途上の知的生命体はおいしい。矛盾を正当化するほどの好奇心。特に、君達はおいしかった。地球にはまた来たい。人類が宇宙イルカを忘れた頃に、また来るだろう」
「ちょっと待って! その、『回線』が切れるのは……いつなの?」
鹿島さんの問いに、横で聞いていた私はごくりと唾を飲む。知りたい、知りたくない、いや、知らなくては。
少しの間を置いて、〈好奇心漁師〉は言った。
「君達の尺度で……百十八分三十四秒? 二時間ほど? か? 大体それくらいだ」
私は絶句した。鹿島さんは座り込み、泣き出してしまう。
「いや……嘘、そんな……早すぎる……いやだ……いやだよ!」
「さようなら。おいしい好奇心達」
それだけ言うと、紺はバタリとその場に倒れた。鹿島さんが急いで抱き起こす。世界が光に包まれて、紺の深層心理の仮想世界が消えていった。
現実世界の紺は無事だろうか。
私はゆっくりと現実に帰って行く。
戻った現実世界は静寂に包まれていた。皆が言葉を失っていた。
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