短編「蝉の亡骸」

みなしろゆう

「蝉の亡骸」

 「将来、一緒になりましょう」と誓った相手だった。


 退屈な土の下、暗がりのなかで僕は彼女に出会った、つまらない土塊の向こうから聞こえてきた可憐な声が語るには、僕たちは同じ幼虫という生き物であるらしい。

 話を聞いた限りでは、彼女の脚は細いはず、体は丸っこくて大きくない。

 たぶん、違うところを探すのが大変なくらい僕とそっくりな見た目をしているはずだ、けれど重要なのはそこではない。


 太陽の下へと飛び出していくのを夢見ていた僕にとって彼女の存在は、終わりの見えない生という旅の果てに思えた。


 僕はいつしか彼女と通じ合い、見たこともない外の世界を想像して毎日語り合った、今か今かと待ち焦がれ、僕たちは互いの体に触れられる日を求め続けた。

 土塊の向こうにいるきみの、そのぼやけた輪郭に触れて、僕という存在が確かに現実にある存在だと証明したい。

 暗がりを怖がるきみを照らす希望である為なら、僕はなんだって出来る。

 道化にもなろう、物語を作ろう、夢を語ろう、愛を囁こう。

 暫くして、彼女の方が先に目覚めて土の中から出ていった。

 別離は辛く厳しく、だけれど彼女と交わした約束だけが僕のことを支えてくれる。


 喩え短い生であろうと、彼女と共に果てれるのなら何の悔いもない。

 僕の身を渇望が襲い、焦燥に狂いかけたとき、やっとその時は来る。


 ──始めて目にした太陽はジリジリと暑く、とてもじゃないが耐えられたものではなかった。

 想像していた以上の眩しさと暑さ、色んな音、光。


 情報量に圧倒される、これが外の世界。

 今まで僕はこんな殺伐とした鬱屈の足元にいたというのか。

 憧れた煌びやかさと違う、生と死を押し付け合う、下品で鮮烈な物語が目の前で繰り広げられていた。


 土の中から這い出したばかりの僕には、彼女を探すのはとても難しいことに思える。

 途方に暮れていたら事態は突如、進展を迎えた。


「もし、そこのお方。

 さっき土から出たばかりの、まだ成虫ではないあなた」


 なんだよ、僕は忙しいんだと言ってやろうと思って振り返ると、そこには巨大な蝉が一匹佇んでいる。


「あなたの大切な方から伝言です。

 ……まだ私のことを覚えているのなら、私の殻を探し出して、と」


 カラ、というのは何かと聞く前に蝉はどこかに飛んでいった。

 煩雑だ、雑踏だ、騒音だ、焦燥だ。

 僕は本能に突き動かされるままに、当てもなく彼女を探し始める。


 

 やがて僕は、ある欅の根本に辿り着き、降り頻る雨を眺めていた。

 僕の体は小さくて丸い、脚は細くて頼りない、彼女を見つけに行く前にまず、食べるものを探さなければならない。

 いっそ土の中から出なければとすら思う、そうすれば僕は永遠に彼女と共にいられた。


 そうだ、望んだのは命の果て。

 旅の終わりを求める僕に生きる為の行動は消耗でしかない。

 だけれど、一目で良いから会いたかった。


 もう一度、きみに会いたい。


 新緑を愛し空を慈しみ風と戯れ、命の価値を知るきみとの約束を、僕は──。


 いつの間にか眠っていた、土の中にいた時のように。

 雨は止んで、また歩き出そうとする僕の前に一匹の蝉が現れる。


 またか、と呟きかけた僕は、前に話しかけてきたのとは別の蝉だと気が付いた。

 正体の解らぬ小さな蝉は、その細い脚で僕の頭上を指し示す。

 地面に腹這いでいる僕が上を見るというのは大変なことだ、だけれど不思議と嫌な気持ちにならなくて僕は従った。


 示された先、欅の幹に……僕と全く同じ姿形をした幼虫がいる。

 一目でそれが誰なのか、判った。


 ──ああ、そんなところにいたんだね。


 僕は喜んで、幹に脚を刺し懸命に登り始めた。

 近付けば近付くほど強まるあれは彼女だという確信が、僕の弱々しい進行を助けてくれる。

 やっと会えたねと言おうとして、僕は気付いた。


 ……ない。

 中身がない!!


 彼女の体は空っぽだ、カラだ、殻だ!


 僕は絶望のあまり、脚を滑らせて幹から落下する。

 地面に体が叩き付けられて、もう死んでしまっても構わなかった。


「一緒になろうって、約束」


 ずっと僕のことを見ていた蝉が言う、記憶にあるのと違うしゃがれた声。

 仰向けで空を見上げながら僕は。


「おいていかないでよ」


 情けない心情を口にした途端、自分が彼女に抱いていた感情が恋でも愛でもないと知った。

 求めたのは証明だ、不確かな命ではないことの証明。

 僕は最初から自分の事しか見えていなかった、きみのことなんて見ていなかったんだ。


 体を包む冷たい土塊が、誰かからの愛情だったら良かったのにと思っていただけ。

 成虫になった彼女はミンミンと鳴き始める、僕は転がったままでそれを眺めた。


 きみの抜殻を、死ぬまで見ていた。

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短編「蝉の亡骸」 みなしろゆう @Otosakiaki

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