第2話スキルゼロと触手の魔女

 フリフリのついた長袖の陰から触手を出して、一人の女性が皆木青斗を拘束していた。

 青斗は、肺を絞められたことによる窒息感。そして、胃を引き絞られたことによる嘔吐感を感じていた。もちろん、それらは心地よい感触とは程遠い、不快極まりない感覚だった。


「さっきから、私の<危機感知>がうるさかったんだよ。おかしいと思えば、こうも簡単に出てくるなんて、普通を装えば油断してくれるとでも思ったのか?」


 平坦で、先ほどとは違い、熱い感情を一つも感じさせないほどの冷たい声で、その女性は青斗を威嚇する。

 青斗は冷静にも、何か勘違いが起こっていると悟ったが、口を強く遮られている今、何か弁明できるような状態ではない。


「お、お客様、何をやっているのですか!?」


 あの店員が、愚かにも首を突っ込んできた。それは店員の鏡のような行動だろう。街中で、それも店の中で急に触手のスキルを発動させ、見知らぬ一般男性客を縛り上げる女など、恐怖以外の何者でもないだろうから。


 それは、青斗も例外ではないのだろう。今、彼女が出した触手に縛られながら、青斗は冷や汗をかき、顔を青ざめさせている。

 その表情を代弁するとすれば、「とんだイカれ女に捕まってしまった、引っ越しとかもういいから早く帰りたい」だろうか。少なくとも、恐怖を感じているのは確かだろう。


「遺言を聴こう。今際の際だ、慎重に言葉を選べ」


 その触手を出した女はそういって、青斗の口を塞ぐ触手を退けた。

 ぷはあ、と触手によって塞がれていた空気が途端に放出される。

 そして、喉にこびりついた胃液を吐き出すため、青斗の体は数度、咳をした。

 とりあえず、誤解を解くチャンスを得た青斗は、これが誤解であると訴える。


「勘違い、です。僕は何もしていません!」

「私の前でその言葉を吐いたやつは、全員私の敵だった」

「お客様!警察を呼びますよ!」

「下がっていろ、こちらがやらなければ全員やられていたぞ」


 勝手に乱闘を始める迷惑客と普通客の中へ介入しようと、新人店員は勇気を振り絞るが、このいかれた触手女にはそんな言葉通用しない。挙げ句の果て、恩着せがましく、この場の全員のためにやったと宣う。

 激しく主語がでかい。少なくともこの場で最も有害な存在はこの女だった。


「どうでもいいですから、今すぐお二人とも出ていってください!」


 それを聞いて、触手の女は、殺意を宿らせていた目を少しだけ閉じ、やがて小さなため息を吐いて新人店員に向き直った。

 哀れな皆木青斗は、何も理解できないまま。とりあえずこの場を穏便に収められるならなんでもいい、そう静かに思っていた。


「……悪かった、五時にまた来るとする」

「え、ああ、はい」


 触手の女が、これまでの印象とは真逆にもしおらしく、そのくせ無感情な声で言うものだから、新人店員は少し困惑げにまたの来訪を許してしまった。

 その間に、皆木青斗はまた口元を拘束され、触手に引きずられながら触手の女と共に店の外へと出た。

 外に出た瞬間、景色が変わった。

 一瞬にして、頬を刺激する感覚がアスファルトの地面から、コンクリートへと変わった。


「ここは先ほどのビルの屋上だ。さて、邪魔者がいない今、存分に話を聞いてやろうか」


 触手の女はそういって、拘束を解いた。なぜか、青斗に背を向けたまま。本当に話ができるのだろうかと不安に思った青斗は、試しに一度、触手の女に話しかけることにした。


「あ、あの」

「なんだ、本当に喋り出すのか。少なくとも、ここで暴れないだけ賢いな」


 一気に話す気が失せてしまった。

 もうさっさと帰ってしまおう。青斗はそう思い、地面にへたり込んだ足を持ち上げ、その場に立った。

 そうして帰ろうとする青斗の気配を悟ったのか、また女は触手を伸ばして青砥を捕まえた。


「逃がさないぞ、抑止犯よくしはん


 訳がわからない、本当に。どうやら、抑止犯という人物と自分のことを間違えているようだ。

 こうなればやけだと、このまま帰ることもできないなら、一か八か、もう一度誤解を解こうと考えた。それしか、青斗の道はなかった。


「抑止犯ってなんですか、僕は違います!」

「そりゃいいね、じゃあ私もミリオンホルダーじゃないと言えば信じるのか?」

「訳のわからんことばかりっ!」


 腹と胸を締め上げる力は、だんだんと強くなる。その度に呼吸をすることが困難になり、痛みによる苦痛で正常な思考を奪われていた。

 触手の女の目からは、弁解不能なほどの殺意と不信感、そして拒絶が感じ取れる。

 目は口ほどにものを語ると言われるが、皆木青斗が生涯でそれを実感したのはこの時が初めてだろう。


「はあ、時間が惜しい。さっさと遺言を言え」

「死ぬつもりは、ないです、うっ!」


 さらに触手が引き絞られる。それと同時に、体からボキボキという嫌な音がした。

 痛みはまだ来ない、むしろどこか気持ち良ささえある。しかし青斗にとってはそれが何よりも不安要素だった。


「どうすれ、ばっ、信じてくれます、か?」

「ありきたりな命乞いだ。もし本当に、あなたが無害だというなら、その証拠を示せばいい」


 証拠を示せと言われたところで、今ここでそんな都合の良いものを持っているはずもない。

 あるとしても、一度カバンの中を調べてみないと。


「わかりました、証明します!ですから、一度この触手をっ、解いてください!」


 触手の女は少しだけ迷い、そして触手を解いた。

 そして、何か不審な動きをすれば殺す、そう一言脅して、青斗の前であぐらをかいた。

 解放された青斗は必死の形相でカバンの中を漁った。

 内側のポケット、外側のポケット、内側の2番目のポケット、なぜかあるカードケースの中身、財布の中。

 幸い財布の中から、中学の頃の学生証が見つかった。

 少しは身分証明になれば、と思い、その学生証を持って触手の女に見せた。


「これ、僕の学生証です。中学の時のやつ」


 触手の女は文字を読むにはいささか遠すぎる位置から、学生証を一瞥してこう言った。


「確かに、学生証。で、髪色が違うようだけど?」

「三日前、三月十日の事件の後遺症です」

「三日前……?」


 三月十日の事件といえば、ミソラ墜落事件しか無い。もうすでにこの事件は全国で報道されており、今や知らない人いない。大事件だ。

 しかしどうだろう、触手の女はまるで知らないというような顔をしている。

 見た目からして、確かに日本人ではない。もしかすると、今日旅行に来た外国人という可能性もある。あまりにも日本語が流暢なため気が回っていなかったが。


「ミソラ墜落事件。聞いたことありませんか。日本初の超大型旅客機が墜落した事件のこと」

「ん、ああ、超大型旅客機。なんか最近流行っているやつか。日本もいよいよミーハー極まれりだね、デカいだけの飛行機なんて作ってさ。

 それで、あなたがその墜落事件の被害者だっていう証拠は?」


 ずいぶんと疑い深い、そもそもそれさえも信じてくれなければ、いよいよ青斗の無罪を証明するすべはない。

 それから、目の前の女の言動から、青斗はこの女性が日本人ではないと確信した。

 日本をミーハー呼ばわりしたり、超大型旅客機を世界の流行だと認識していたりと、いろいろあるが、それを確信させた要因は三月十日の事件を知っていなかったことだろう。


「本当です、信じてください。だいたい、僕のような弱い人間が、あなたを攻撃できるわけありません!」

「弱い?あなた、私の<ステータス看破>をレジストしているくせに、よく言う」


 <ステータス看破>、他者のステータスを盗み見ることができるスキル。

 しかし、スキルを一つも持たない彼にとって、それはなんの意味も持たない。

 青斗はそれに勝機を見た。それを、信じてくれるかは別だが。


「それは、スキルが一つもないからです!あの事件から、なぜかスキルがなくなっちゃったんですよ!」

「また信憑性の薄いことを、しかしそこまで言うなら、検証してみようか。

 私が、これからあなたにスキルを与える・・・

 それで、もしあなたのステータスにスキルが追加されたら、信じよう。

 でもそれでもなおステータスが見えなかった場合、あなたを殺す」


 そう言い放った後、女は再び触手を青斗に伸ばした。

 条件反射のように、青斗が身構える。しかしそれは杞憂のようで、触手は青斗に接触した瞬間、すぐに女の元へ戻った。

 青斗は身構えるのをやめ、構えた腕の向こうから、女の殺意と警戒心の漲った目を見た。


 直後、青斗はどうしようもないほどの不快感に襲われた。

 まるで、増殖し続ける軟体生物が胃の奥底から喉に向かって押し上げられるような感覚、青斗は掠れた意識でアレルギー反応とはこう言うものなのだろうかと思いついた。

 ゴキブリを唇に当てられるような、地獄の時間が立てば経つほどに、不快感は増していく。

 青斗の口から嗚咽が漏れる。

 その声は、少しづつ大きくなっていった。

 やがて、口から白く、ドロドロしたものが吐き出された。

 声を漏らすごとに、それ・・は口から地面へと、ボトボトと落ちる。


 これが何かへの拒否反応だと気づくのにそれほど時間を要さなかった。

 女の目は、苦しみ喚き、明らかに異常な吐瀉物を産み落とし続ける青斗を、感情を読み取れない目でただただ見つめていた。


 青斗の口を抑える右手が痙攣しだす。

 しかし、異常があるのは右手だけではなく、すでに、ずっと前から左手の感覚が消え失せ、右肩からだらんとぶら下がっていた。

 次に起こったのは、酸素への拒絶反応だった。

 肺が異常をきたしているのか、それは十分な機能を保っていない青斗の脳では到底わかることではなかった。

 嘔吐の合間に、必死に吸い込んだ酸素は、喉を一歩も通過せずそのまま白い吐瀉物と共に吐き出される。


 酸素が十分に回らないことによる窒息か、はたまた別の要因からくる身体異常か。

 青斗の体は、ついに両足までもその機能を失い、膝から崩れ落ちるようにへたり込む。

 かろうじて動く腕を使い、地面への落下へ抗うも、抵抗虚しく両膝と顎を地面に衝突させてしまう。

 こんな状況でも痛覚神経は働くようで、膝が自重による落下の衝撃で、まるで皿が砕けるような錯覚を起こすほどの痛みに襲われた。


 人体で最も脳震盪を起こしやすい部位は顎らしいが、その顎を直立した時の頭部の位置から、そのままなんの抵抗もなく地面へと落下させた青斗は、運よく意識を保っていた。

 だがその際、顎からの凄まじい痛みと同時に、何かが壊れる音がした。

 青斗はそれを幻聴だと聞き逃そうとしたが、紛れもなく、それは顎の骨が破壊された音だ。


 もはや全身が、動かすことができなくなった。

 それでもなお、嘔吐とこの不快感はやまない。

 なおも口からまろび続ける、白色の液体が、血にふした顔を少しずつ沈めていく。

 その姿は、あまりにも惨めで、同情を誘うものだったと言えるだろう。


 何を思ったのか、その事象を起こした張本人である女が不快そうに、しかし自責の念に駆られるような罪悪感を読み取れるような表情で、コンクリの上で死にかけのトカゲのように這いつくばる青斗へと近づいた。

 そして、本当に申し訳なさそうに、こういった。


「悪かったよ、あなたを疑うのは、やめにする」


 スキル発動────<強奪><感覚軽減>+<痛覚軽減>+<精神安定>

 青斗にあった異常は、そうして消え去った。

 皆木青斗のステータスから、<発光>のスキルが消えた。

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