春休み編

第1話 卒業したてのスキルゼロ

 つい3日前まで四人住みだった家の一人の寝室で、白髪の少年が上体を起こした。

 彼の名前は、皆木青斗。三月十日に起こったミソラ墜落事件の唯一の生存者だ。

 奇跡的にも事件による身体的な後遺症はなかった。しかし、皆木青斗はこの事件を通して、所持していたスキルを全て失ってしまった。


 スキルとは、この世界の人間が当然のように持っている能力で、所持数が少ないものは数いれど、一つも持っていない人物はなかなかいない。

 いたとしても、それは誰か、他者のスキルを消したり奪ったりできるスキルを持った者による影響。

 つまり、光の当たる世界で生きている普通の人間はそのような状況に陥ることはないのだ。

 スキルを失った人間というのは、反社会的人間、もしくは政府組織の人間に粛清された経験があると思われるわけだ。


 よって、皆木青斗は一度もその事実を話したことはない。

 もちろん、医者や救急隊の人物にはバレているが、そこは秘密にしてくれと頼んでいるため、おそらく問題はないだろう。

 最も、疑ったとしてもどうしようもないのも事実だが。


 ベッドで上体を起こした青斗は、ふと枕の上の棚にある目覚まし時計を見やる。

 時計は七時前を指していた。どうやら、昨日一日中病院で寝たおかげで、スッキリ起きられたようだ。

 飛行機から墜落したにしては、結構健康的な自分の体に青斗は少し呆れた。


 人は死に近づくと、スキルを入手しやすくなるらしい。

 もしかしたら自分の何かスキルを獲得しているのではないかと思い、スキル<ステータス>を発動するため、目の前の空中で口の字を描くが一向にステータスボードが現れない。

 それでようやく、自分がスキルを失ったのだということを実感した。

 昨日の今日で忘れていたことを信じられず、青斗は朝で少し寝ぼけていたということにした。

 その後すぐに、あんな経験があってそう簡単に受け入れられる方が稀か、とも思った。


 自分の部屋を出る前に、もう一度目覚まし時計を確認する。

 今日は三月十三日、平日だ。学校の準備をしないとな、と考えクローゼットへと足を向けた時、もう学校を卒業したのだということを思い出した。


 本当に寝ぼけているのかもしれないと思い、呆れたように自嘲したあと、改めて自分の部屋を出た。

 部屋を出たすぐ横には、妹の部屋がある。扉には可愛らしいフォントで、ももか、と書かれた名札がぶら下げられており、その部屋が妹の桃華専用の部屋なのだということを主張しているようにも見えた。


 室内の階段を降りて、キッチンに立つ。

 <料理>スキルを失ったせいか、いつものような、勘、とも言えるものがうまく機能していないのを実感していた。

 この勘のおかげで、皆木青斗はこれまで、中学生でレストランの厨房で働けるほどの料理の腕を誇っていたのだ。

 それを失ってしまい、少しだけ寂しく、そしてなんだかもどかしい感覚を感じていた。


 料理はいつも通り四人分作った。それをさらに分け、食卓に運ぶ途中で、ようやく違和感に気付いた。

 食卓に誰も座っていないのだ。

 その光景を見て、青斗はようやく、家族が全員死んだということを思い出した。

 悲しいのやら、虚しいのやら、感情の整理がつかないまま、とりあえず食事を食卓に置いた。


 コトン、という軽やかな金属と木製机が接触する音が鳴った。

 軽快で陽気、いい音だと思った。

 いつもは四人分の声があるせいで、この音は聞こえなかったのだ。それを認識して、やはりまた、複雑な気持ちになったような。


 とりあえず、四人前の皿をいつもの場所に置いた後、とりあえず我に帰った。

 冷静に考えて、この量を一人で食べるのは無理がある。皆木家は結構大食いが多く、一人一人の量がそれなりに多いのだ。

 これを一人で食べるとなると、ざっと二日はかかるだろう。


「とりあえず、ラップしておこう」


 その考えを声に出したのは、寂しかったからだろうか。それとも、ただの気まぐれか。しかし、それを知る余地も必要も、持ち合わせてはいなかった。


 青斗はキッチンからラッピングシートを持ってきて、皿の前でビリッ、と広げた後、箱についてある銀色の歯を使って、透明のシートを破き、皿を覆うように貼り付けた。

 それを、三回繰り返し、全て冷蔵庫の中にしまった。

 自分の食事に手をつける頃には、すっかりかつての熱が消えていた。今でも多少の温もりは感じる、人によってはちょうど良い温度だろうが、青斗にとっては少しばかり熱が物足りない。


 そんなこともありながら、食事は順調に進んだ。

 もはや一人しかいない食卓で、皆木青斗は一人スプーンでオムライスを掬う。その度に、スプーンと皿がぶつかり、心地の良い音が鳴り響いた。

 心地よい音、青斗は確かにそう思ったのだ。


 オムライスを半分ほど食べた後、皆木青斗はどうしようもない不安と不快感に襲われた。

 やはり寝ぼけていたのだろう。ずっと、現実感がなかったのだ。

 でも、いつもの通りの行動をして、夢と現実の違和感が姿を現したのだろうか。


 決して開かれることのない、隣の寝室と。

 もう二度と着られることのない、父の作業服。

 二度と整理されることはない、汚いままの母のクローゼット。

 もう自分以外、誰も徘徊しない、この立派な一軒家。

 更新されない身長のメモリ、独占できるテレビ、好きな時に入れる風呂、独り占めできる冷蔵庫の飲み物、無駄に多くなってしまった歯ブラシ。


 そして、一人で使うには贅沢すぎる食卓。


 皆木青斗の瞳からは、透明で、味のしない水がこぼれ続けていた。

 違和感は溢れてやまない、むしろ、これが夢であると思い続けていれば、彼にとっては幸福だったのだろうか。


 オムライスは、三分の二ほど食べた頃に食欲が消え失せた。

 残りのオムライスはゴミ箱に捨てた。その行為に、ひどく忌避感があったが、それでも誰も叱ってはくれなかった。

 結局、一度捨てたものを拾い上げ、残りのオムライスを全て食べた。それは、きっと、自己嫌悪から来たものだろうか。


 とりあえず外に出ようと思い、服を持参して、鏡の前に立った。

 鏡の横には、横並びに立てられた複数の歯ブラシがある。これのうち、真ん中右の水色の歯ブラシが皆木青斗の歯ブラシだ。

 それ以外は、もう死んだ彼の家族のもの。


 皆木青斗は歯を磨いて、口をゆすいだ。その後、持参してきた着替え用の服を着て、そのまま異常がないか鏡の前で確認する。いつもの行為、それがまた、彼をかつての日常に近づける。


「……」


 皆木青斗は外に出た。

 医者の話では、確か両親の遺産と保険金が自分の銀行に入っているはずなので、それを一度確認しに行こうと思ったのだ。

 そのお金で、一刻も早くあの家から変えた方がいいと、理性がそう告げていたのだ。このままでは、己の状態が危ういとわかっていたのだ。

 では、理性がそう言っていたのなら、感情は何を訴えていたのだろうか。

 その答えは、彼しか持っていなかった。


 銀行に入っている金額は、まさに一生お目にかかれないほどの金額だった。

 両親の遺産、両親が入っていた様々な保険、それを加味すればここまで膨れ上がるのかと、一瞬だけ興奮したように目を輝かせた。しかし、それもすぐに治る。

 金の魔力というのはそれほど万能なものではないようだ。


 その後、皆木青斗は不動産に行った。

 通りすがりの親切な人に、近くの不動産屋までの道のりを聞いて、そこに向かったのだ。

 妙に人の集まる電化製品の露店を通り過ぎ、目が痛むほど綺麗なビルを横に曲がり、大きな交差点を渡った。


 そして、その不動産屋を見つけた。

 どこか後ろ髪を引かれる錯覚に襲われながら、迷いなくその不動産屋へと歩みを進めた。

 あと数歩で扉の前に行こうかという距離感で、中に別の客がいることに気がついた。

 話し声が聞こえたのだ。それも、大きく、苛烈で、ヒステリックな声だった。

 どうやら、店員さんは不幸にも、クレーマーまがい客とバッティングしてしまったようだ。

 大変哀れなことだが、皆木青斗は嵐が過ぎ去るのを待つことにした。


「だーかーら、全体的に木造で、モダンな雰囲気があって、家賃がなくて自足時給ができて、誰にも見つからないような暗がりにあって、それでいて、近所の子供達に怖がられているような魔女の家のような物件って言ってるでしょう!?」

「でーすーかーら、お客様、自給自足ってここは都内ですよ!?それに、当不動産は管理している物件の噂など存じ上げません!そりゃあ、訳あり物件かどうかはある程度把握していますけど…。

 しかも、誰にも見つからないような暗がりにあって近所の子供達に噂が流れるって、少し無理がありませんか、矛盾に聞こえますよ!矛盾!」


 どうやら、若い女性と、若い女性店員が話しているらしい。

 これを話し合いと呼べるのかは、皆木青斗の価値観で測れる分を軽く超えてしまっているが、それでも、話し合いではあるのだろう。

 それに、互いにどうやらヒートアップしているようだ。彼女らを嗜める偉い人が出てくるのも時間の問題だろう。


「はぁ、はぁ、わからずやな店員さんだ。話にならない。ちょっと責任者、責任者を呼んでくれる?」

「ですから、お客様。先ほどから何度も言っていますが、現在店長は出ておりますので、それが不満なら、そろそろお帰り願いますが?」


 どうやら、偉い人は今ここにいないらしい。

 厄介なことになったな、と青斗は思った。このままでは青斗自身、不動産屋に入ることができないからだ。

 ここまできたからには、タダで帰るわけにはいかない。できれば今日の内に、引越しをするためのノウハウを経験したい。理想を語るならば、今日のうちにあの土地を売っぱらって、早くも移住したいのと、青斗は考えていた。

 そのためには、この迷惑客にさっさと帰ってもらう必要がある。


「そう!なら、その店長さんとやらが帰ってくるまで、私もここで待つとしようか」

「はあ!?」


 店員さんの声が、うるさいくらいに響いた。しかし、青斗自身も、これには相当同意である。早く帰って欲しかった。

 しかし、中の様子を音だけで聞く限り、どうやらこの女、本気でここに居座るつもりらしい。


「ですから、店長は五時まで帰ってきませんと言ってるでしょう!」

「そう、なら私は五時まで待つだけだけど!?」

「予約は取っておきますから、後でもう一度こればいいじゃないですか!」

「予約、ね。あなたにそんな権限あるようには見えないな」


 迷惑な女の声は、嘲笑うように発せられた。なんだかこっちまで腹が立ってくる。

 腕時計の短針は、すでに真上を通り過ぎようとしている。

 これはもう、腹を括るしかないと。そう、青斗は決意した。


 そうして、とうとう罪なき店員さんの怒りが爆発しそうな気配を感じ取り、それが起爆する前に、扉を開けて中に入った。

 中のクーラーが、一気に先ほどまでの蒸し暑さを吹き飛ばした。


「いらっしゃいませ!?」


 先ほどの論争のテンションが消え切らないのだおる。哀れな店員は怒りをぶつけているのか、困惑しているのか分からない声で青斗を出迎えた。

 それに対して、青斗は動揺したように「あ、どうも」とだけ返した。その返答をきて、悲劇の店員はようやく正気に戻れた。

 クールな店員はこう考えた、そもそも、こんな迷惑客。新人の私が相手するべきじゃないんじゃないか、と。

 しかし今、学生は春休み中。子持ち兄弟持ちの敬愛すべき先輩方は、有給をとって出払っていた。唯一、尊敬できる共闘者の店長は今外で別の業務を進めている。

 よって、この店舗には現在、一カ月前に正規雇用されたこの新人店員しかいないのだ。


 じゃあ、もういいか。そう決意、否、達観した新人の店員はこの迷惑客の相手を諦めた。もしかすると、口コミで悪い評判を書かれるかもしれない。それでも、この客は無視しよう。そう、心に決めた。


「では、お客様。ご用件は……」


 その言葉を聞き、青斗は、ああ、この客無視するんだな、と呆れ、しかし予想外の好都合に少し得した気分になりながらカウンターに並ぼうとした。


 その時、突如、口元に触手が現れ、青斗の口を塞いだ。

 異変はそれだけでは治らず、赤黒い触手は次に青斗の胸に絡まった。一瞬、肺が圧迫され、肺胞にあった空気が舌の上まで押し出される。

 触手はまだまだ現れた。

 次の触手は、青斗の腹を縛り上げた。先ほど食べたオムライスが、胃液と同化して喉の一歩手前まで一気に押し上げられた。

 次に絡みついたのは腰だった。かれこれ健康的な生活をして久しい。腰を痛むなど縁の遠い話だと思っていたが、その時は意外に近く、骨が軋むほどに青斗の腰を絞めあげた。

 次には、両足の太ももと、膝の皿が隔てる脛に、その触手は魔の手を伸ばした。

 一瞬にして全身を拘束された。その触手の宛先を辿ってみると、そこには件のヒステリックな女がいた。


「さっきからうるさいと思えば、なんだ、あなただったのか」


 その女性の髪の毛は、今の青斗と似て、まるで海を泳ぐ白鯨のような、綺麗な白色だった。

 不覚にも、美しい、そう思ってしまった。

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