第3話

***




「っ、な、んで……」


生まれて初めて肌を合わせ、情を交わした、夢のように幸せな一夜だった。

二人揃って、世界が滅亡することに感謝したほどだ。

そうでなければ、互いの肌には触れられなかっただろうから。


けれど。


「ばかなひとだ」


ポツリと呟きながら、オスカーはリュシルの白い顔を見下ろす。


どうせ二人とも死ぬ。

なのに、何故。

何故、一人で先に死んでしまったのか。


昨夜、リュシルが「世界が終わるまで共にいて欲しい」と願ったのに、オスカーが一度城へ帰ると言ったからか。

必ず戻ると、すぐに戻ると言ったのに。

置いていかれたと、裏切られたと思ったのか。


「近衛将軍であり、王の騎士でもある私が、何も言わずに消えることは出来ないのです」


そう告げたオスカーが、リュシルよりも仕える王を取ったと思ったのか。

愛するリュシルよりも、リュシルを愛さないこの国を取ったと思ったのか。

あれほど、リュシルのために生きてきたのだと、伝えたのに。


「最後の日を、あなたと過ごさない訳がないじゃないか」


涙の跡の残る、青ざめた頬に口づける。

ほんのちょっぴり塩辛くて、少し前まで生きていたことが分かった。


あと、ほんの、数刻。

オスカーを信じて、待っていてくれれば。

ともに、死ぬことが出来たのに。


「予言者のくせに、なんでわからないんですか……あんなに、何もかも見通していたくせに……」


オスカーの目からも塩水が流れ落ち、恋人の青ざめた頬を濡らす。


どうして、どうして、どうして。


硬くなりつつある体を抱きしめながら、繰り返し罵って、ふと気がついた。


「……あぁ、もしかしたら」


純潔を失い、予言者としての資格を失ったから、分からなかったのだろうか。


これまで全てが見通せていたのに、急に全てが見えなくなって。

恐怖し、混乱し、そして見えないオスカーの心に絶望したのだろうか。


「……ばかな、ひとだ」


先ほどと同じ言葉を、少しだけ柔らかく呟いて、オスカーはため息をつく。


でも、たとえそうだとしても、肌を重ねたことを、後悔できやしないのだ。

あの肌に触れずにこの世が終わってしまうだなんて、触れた後の今となっては、想像もできない。

どこまでも甘い声、甘い肌、甘い汗、甘い体液。

脳を壊し、魂を侵食する、甘い甘い、リュシルの全て。

何度輪廻を繰り返しても忘れられそうにない、甘すぎる神の毒薬。


「ふぅ…」


小さくため息をついて、オスカーは最愛の恋人を抱きかかえたまま、椅子に座る。

持っていた袋から、ともに飲み干そうと準備してきた葡萄酒と毒薬を取り出して、グラスに注ぐ。


「じゃあ、リュシル様。……またいつか」


一息に飲み干して、腕の中の体に縋り付くように抱きしめる。

徐々に暗くなる視界、聞こえなくなる音。

死が近づいてくるのを意識しながらも、恋い焦がれた肌に顔を埋めて、オスカーは幸せだった。


どこぞの戦場で命を散らすよりも、よほど幸福で人間らしい死に方かもしれない、と笑う。


でも、できれば。

もっと長く一緒にいたかった。

もっとこの人に触れたかった。


「……これは、来世に期待、かな」


掠れた声で小さく呟いて、目を閉じる。

幸い、痛みも悲しみも苦しみもないという、神の国へ往く権利を剥奪されたオスカーとリュシルは、このまま永遠に輪廻を回るはずだ。

苦しみ、嘆き、もがきながら、いつまでもいつまでも。


(ははっ、そんな罰は、むしろありがたいな)


声が出せなくなったオスカーは、心の中で笑う。

目も耳も使えなくなったけれど、恋人の匂いは鼻腔の奥で香っている。

昨夜初めて間近で嗅いだ、心を揺さぶる、甘くかぐわしい香り。

オスカーを狂わせる甘い香気は、魂の記憶に刻み込まれているだろう。


(きっと次に会った時も、俺はこの人が分かるだろう……)


オスカーには確信があった。

これは、永遠の恋だ、と。


(……あいしてる)


これが恋じゃないなら、この世にきっと恋はない。










***





「神子様かわいそう……」

「あれ、泣いちゃった?ごめんね」


小説を読み終えた妹がポロポロと涙を溢し初めたので、僕は慌てて椅子から立ち上がった。


「大丈夫、物語だから」

「なんでお兄ちゃんの物語はいつも悲恋なの?悲恋にした方が簡単なんだろうけど、なんとか踏ん張ってハッピーエンドにしてよ。そこが頑張りどころでしょ?」

「たしかに。易きに流れていたかもな」


ぐすぐすと泣く妹の涙を拭いてやりながら、僕は苦笑する。僕の一番の読者は、いつもなかなかに手厳しい。


「次はハッピーエンドにするよ」

「お願いね」


趣味で書いている小説だが、妹が楽しみにしてくれるから、僕はつい寝る間も惜しんで執筆に勤しんでしまうのだ。


「あぁ、もう眠りなさい」

「うん……まだ居てくれる?」

「面会時間の終わりまでいるから、安心して」


何年も真っ白な病室から出られない妹の髪を、優しく梳きながら寝かしつける。十七になっても妹が兄の前で泣き、兄の寝かしつけを受け入れるのは、外との交流が少なく、身内に甘やかされ慣れている生粋の病人だからだろう。


「次の外出許可は、いつかなぁ」

「さぁ……来週の検査結果次第だろうけど」

「はやくお家に帰りたいなぁ」


か細い声の願い事が、ぎゅっと胸を締め付けた。


生まれた時から体が弱く入退院を繰り返す妹に、親はよく「なんでこの子が」「前世で何か罪でも犯したのか」「これは何の報いなのだ」と嘆いていた。

それを聞くたびに、僕は自責の念に駆られるのだ。


だって、僕は覚えているから。


で、僕と彼女が、神に禁じられていた自殺をしてしまったことも。

僕が聖なる人を犯し、神から奪ってしまったことも。


僕ら二人の罪が、彼女に病を強いているのかもしれないと思うと、胸が潰れそうになる。僕への罰としては本当に的確だ。だって僕は、彼女が苦しむのが何よりも辛いのだから。


「可愛いかわいい、僕の……」


眠ってしまった妹の額に、そっと触れるだけの口付けを落とす。青白い顔はいつもより更に生気が無く、彼女の不調には慣れた僕でも不安を抱かずにはいられない。


最愛の人はいつだって、僕より先に逝こうとする。けれど。


「今はね、医学ってものが発達しているんだ」


妹を治すために医者を志した僕は、来年から妹の病気に関して最先端の治療を行っている病院へ就職する。

いつかは妹の病を完治させる治療法を見つけてみせると心に誓っているのだ。


前世もずっとひとりで閉じ込められていたのだ。今世では誰憚ることなく外に出て、たくさんの友人を得て、たくさんの幸せを見つけて欲しい。そして叶うならば、僕とも時々遊んでくれたら最高である。


妹ので幸せな人生こそが、僕の望みなのだから。

僕と結ばれなくてもいい。前世でも今世でも苦しみばかりの妹が、愛する人と幸せな生を得られるのならば。


「……まぁ、まだ先だけれどね」


まだ幼い妹の寝顔を見て、クスリと微笑む。彼女が他の男のものになる日を想像して、感傷的になるのは早すぎる。


まずは、妹の健康を手に入れる。

そして完全で幸福な、兄妹としての日常を、だ。


「だから、待っててくれ」


僕は、いつか最愛のひとと並んで、太陽の下を歩く日を夢見ている。

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一途な将軍は、滅亡を予言する神子に永遠の恋を誓う 燈子 @touco_

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