メルクマール

 透明な窓板越しに追いかける星の巡りは、冬の終わりを報せている。

 大地からの報せも、きっと遠くはない。

 

 春告げの花が咲く頃、数えで十になるこどもたちは初めて魔法に出会う。

 もちろん、この里において魔法は珍しいものではなかった。

 大人たちはみな一人前の魔法使いであり、日常に魔法を使いこなす。

 そっと吹きかける息吹でかまどに火を点す。大気と水を寄せて固めた階段を昇り、さんさんと陽の当たる高木の枝に洗濯物を広げる。

 水瓶は軽くなると脚をはやして中身の補給に出かけていくし、明るいだけで熱を持たないランプは、寒い夜中に頭から毛布をかぶって本を読むのにぴったりだ。

 難しい学問書を開かなくとも、魔法はすぐそこにある。

 ――自分の起こした魔法以外は、いくらでも。

 この出逢いが意味するところはつまり、自ら魔法を行使する、その知恵に触れるということ。里の魔法使いになる第一歩を踏み出すということなのだ。

 魔法の稽古を始めるにあたり、村の最長老である大魔女アマーリエは、こどもらにひとつの課題を与えた。

「杖を探すのです。自分のための杖を、あなたがた自身の手で」

 薄い薔薇色の肩掛けをまとった老婦人は、呪文でもとなうような不思議な抑揚でもって入門者たちに語りかける。

「大いなる知恵は、ささやかなる奇跡と、取り返しのつかない災禍を呼び起こすもの。それらを統べるひとふりの杖こそが、一人前の魔法使いにはなにより必要なのです。

自らが魔法使いとして扱うべき魔法の杖を、見事探し出してみせなさい」

 十歳になるこどものひとり、名をコルンという少年は、ぽかんと口を開けたたままアマーリエの言葉を聞いていた。

 よいっぱりの朝寝坊で、いつも目の下に青紫のくまをこさえている。

 同じ年生まれの少年たちと比べて、ひょろりと頼りない手足をしていたから、そもそもあまり丈夫な質ではないのかもしれない。

 とはいえ頭を使うことは他の子に負けていないし、むしろ得意なくらいだと自負していた。

 与えられた課題に、少年は胸を押さえつけられたような心持ちになった。

 そっと他の子をうかがい見ると、大体の子らがコルン同様、妖精に耳をひっぱられたみたいな渋い顔をしている。

 魔法使いになるために、魔法の杖を探すこと。

 杖を探す。杖を探す。どんな杖を、どうやって?

 老魔女からの助言はなにもない。


 その晩は寝たり起きたりしてほとんど眠れなかった。

 いつもの日課もわざわざ休んだっていうのに、これじゃただ損しただけだ。


 課題に取り組む日の朝は、さすがのコルンもまだ薄暗いうちから寝床を離れた。

 名目上はもう春でありながら、外出するにはまだ厚い上着が必要だ。陽が顔をのぞかせだばかりのこんな朝にはなおさらのこと。

「おまえの杖はおまえにしか見つけることができないのよ。父さんも、母さんも、こればっかりは助けてやれない。そういう掟なの。がんばってね」

 母さんは、コルンのくびもとに毛織物を巻き付け、目の下のくまを指先で優しく撫でてそう言った。

 大丈夫かしら? 余計なことを言わずともそんな気持ちが伝わってくるようだ。

「大丈夫かなあ」

 こういうとき実際口に出してしまうのはいつも、母さんではなくて父さんのほうだった。

 案の定、しかめ面の母さんに肘でつつかれている。

「……別になんてことないし。ちょっと出かけてくるね」

 両親の向けるまなざしが少しばかり面倒くさくて、コルンは話を切り上げる。

 父母よりも年頃の近い兄さんがいれば、もう少しましなことを聞き出せたかもしれない。あいにくと里の仕事で出かけており、それはかなわなかった。

 とにかく、やるしかないのだ。

 何の知識もとっかかりも持たない子供たちに与えられた期限は、たった一昼夜。

 課題が不合格であった者は今までにいない、頑張れと、それだけは大人たちが口を揃えるものの、そんなの絶対嘘だとコルンは思った。

 落ちこぼれたこどもはこっそり大人の魔法使いが手助けしてどうにかこうにかする、きっとそんなふうなのだ。

 それとも――知らないうちに里を追い出されて、誰の記憶にも残っていない、消えたこどもがいたりして。

 コルンはぎゅっと目をつむり、忍び寄る妄想を押しのけた。

 僕は絶対そんなふうにはならないぞ。

 きっと杖を見つけて、魔法使いになってみせる。


 里の大人が使う杖の姿は、様々だった。

 そうそうそれが杖、と言いたくなる削り出しの樹木から、てのひらに隠れる小枝のような杖、およそ杖とは言いがたく、小さな山脈のような形状の宝石結晶もまた、ひとつの杖だ。

 更にはアマーリエほど知恵を深めた魔法使いとなれば、魔法を使うのに杖の助けが必要ないのだという。

 さて、少年はどこに杖を探すべきであろうか。

 周りに誰もいないことを確認してから、コルンは家の側に根を張った白樺に触れてみた。

 当然、何も起こらない。

 そんなに単純な話ではないということだ。

 コルンはひとりで里の隅々を走り回った。

 こどもたちが知恵を寄せ合うことは禁止されていなかったが、ひとりでやろうと考えていた。

 自分にしか見つけられないものならば、誰かとやってもひとりでも、どうせ最後は同じことだ。どうせ、特別仲が良いやつもいないのだし。

 里の外れの高い崖には、岩肌が露出しているところがあった。

 岩石の杖は格好良いかもしれない。もし、削り出すための十分な日にちがあったなら。

 凍り付いた池の水ならば?

 確かに一日あれば切り出すことができるだろうが、明日アマーリエにまみえるまで形を保っておくのは大変だ。

 では、氷のふとんの中で居眠りしているような魚を捕まえようか。

 秋にリスが食べ残したどんぐりは――

 朝ご飯に使ったさじは――

 それとも、それとも。

 ――奇抜であればいいということもないだろうに。

 探れば探るほど、核心から離れていくような気がした。

 凍える朝。陽は昇り、明るく世界を温め、いま山向こうへ静々と沈もうとしている。

 防寒着の上にごわごわしてあたたかな毛織物まで巻き付けているのに、身体の芯まで冷え切っていた。

 あれも、これも、どれも。

 どれも違う。コルンの杖ではあり得ない。

 何を探すべきかはわからなくても、「違う」ということだけはわかった。これではないと囁く声が、自分の胸の内にはっきりと響き渡るのだ。

 コルンが道ばたで立ちすくんでいると、不意に足下にぬくい塊が擦り寄ってきた。夜のとばりを被せたかのごとき毛むくじゃらは、さんかく耳を立て、長いしっぽをゆっくり揺らして、ニャアと鳴く。

「もう帰っておいで。夜は危険だから」

 黒猫は母さんの声で、託された言葉をコルンに伝えた。

 時間切れの合図だった。

 杖は見つからない。

 母さんの言いつけに逆らって使い魔を追い払う勇気も、夜を走り回る元気も残っていない。

 なんだか――涙すら出てこない。

「帰ろうかニャーコ」

 少年はあたたかく小さな猫を両腕に抱える。

 課題に費やせる一日は、そうして終わってしまった。


 毛布にくるまりほおをひたりと窓にくっつける。溶けない氷の窓はつるりとして透き通り、少し冷たい。

 寝台はもう何年も昔から、窓の真下の特等席に移動してあった。好きなだけ夜空を眺め、眠くなればいつでも眠れる。

 コルンは夜の続くあいだ飽きることなく星の巡りを追いかけ、流れ星の生まれる場所を探す。

 天気が悪いときやたまに気乗りのしないときなどは、父母から譲り受けた本を開き、遠い国、古い時代の物語の中を心ひとつで旅して回った。

 真夜中の日課があまりに楽しくて忙しすぎて、だから少年は宵っ張りだ。

 こどもなのに眠る時間が短くて、だからいつも目の下に立派なくまが浮いている。

 せめて今晩も、夜の時間はいつものように。

 けれど魔法仕掛けの道具たちを側に置いていると、どうしても思いは見つけられなかった杖に辿り着く。

 魔法使いになれなかったこどもは、どうなるんだろう。コルンは想像してみた。

 里に魔法使いでない大人はいないのだし、やっぱり出て行かなきゃいけないだろうか。

 父さん、母さん。兄さん。家族や見慣れた里の風景を離れて、知らない街へ行くなんて――

 里の外の窓にも、魔法仕掛けの透明な板ははまっている?

 それから、自在に明るさを調整できる、熱くならないランプはあるのだろうか。

 重くなるから、持って行く本は1冊か2冊か、5冊……少なめに。

 ランプは記念に貰っていったらだめかな。

 たまには、家に帰ってくることもできるかな――

 昨晩もよく寝ていなかったコルンは、あれやこれと考え込んでいるうち、壁にもたれるようにして寝入ってしまった。

 もし魔法使いになれなかったら。

 もし、魔法使いになれていたら。

 目の縁から珠の涙がぽろりとこぼれて毛布に染みこんでいった。


 ねえきみ。

 誰かが呼んだので、コルンははっと目を覚ました。

 不思議な、きっとこれは夢なのだと思う。

 夜空、無数の星が浮かぶ海に、自分の身体もふわふわと浮かんでいる。

 なにかがものすごい勢いで鼻先を通り抜けた。細かい泡のような煙のような軌跡に、視界が白くふさがれる。

 面食らっている内にまた何かが視界の端を、今度はゆっくりと行き過ぎる。

 ほのかな光を放ち、群れなして星空を泳ぐそれらは、何百何千もの読めない文字だ。

  ねえきみ。

 目を覚ましたときと同じ誰かの、声が聞こえた。こどものようなそうでもないような、多分男の子だ。

  生まれたての流れ星って、捕まえられると思う?

「え?」

 火に水をかけたときに似たじゅっという音がして、またものすごい勢いの何かが、今度は耳元をかすって行った。

 ひとを少しを馬鹿にしたふうの含み笑いが響く。

  それとも、君には難しいだろうか。

 辺りを上下も含めて何度も見回すが、声の主の姿は見えない。

  よそ見してたら、危ないなあ。

「わっ」

 頭のすぐ上を通り過ぎる何かを避けたときバランスを崩して、コルンは重さのない星の海で宙返りしてしまう。

 声はまたふふっと笑った。

  それじゃいつまでたっても、てんでだめだね。

 だんだんと、腹が立って来た。

 ひとを笑ってばかりの姿が見えない声と、まるで狙っているみたいにコルンのすれすれを飛ぶ何かに。

 なにせ、自分ばっかり物を知ってるようなあいつの話しぶりが気にくわない。

「ぜったい、捕まえてやる!」

 コルンは無鉄砲に手を伸ばし始めた。

 追いつかない。見当違い。指先にかするだけ。

 当たればけがをする物かと思いきや、意外にも大丈夫だった。ちょっと痛い、それだけだ。

 星の海ではふわふわと浮かんでしまい、どこにも足が着かない。「泳ぐ」ことで案外うまく進めることに気がついたコルンは、じゅっとはじける音を頼りに,遊泳する文字の群れをくぐり抜け、白い軌跡を追いかけた。

 何度目かの挑戦。

 ほんの偶然だったのかもしれない。飛来した高速のなにがしかはコルンが伸ばした右腕、手のひらの、ちょうど中心に吸い込まれて止まる。

「とった!」

 歓声に対する返答はなかった。

 いつの間にか笑い声が聞こえなくなっていたことに、コルンはそのときになって気がついた。

 ああでもそれよりも。

 いまは捕まえたものが気になる。

 いったん深呼吸をして、指先の冷えた右手を開けば――

 それはそれは小さな、かがやきだけでできた星の粒がひとかけら。


 ごとんと重い音がして、コルンは今度こそ本当に目を覚ました。自分の寝台から転げ落ちた格好で。

 床にずっこけたまま手のひらを握ったり、開いたりしてみる。豪速の流れ星。泳ぐ文字の群れ。

「流れ星、取ったんだけどな……」

 夢のにおいが次第に薄れていくのを、コルンは残念な気持ちで見送るよりほかなかった。


 一昨日、こどもたちは皆揃ってアマーリエのもとを訪れた。

 課題の合否を与えられる今日は、各々一人ずつの面会だ。

 呼びに来た白い小鳥がさっさと行ってしまうものだから、コルンもしょぼくれてだらだら歩いては行かれず、小走りに向かう。

 父も母もおらず、他のこどももいないところで最長老の前に出るのは初めてだった。

 そのうえ、コルンは杖を見つけられていない。おなかの中に無骨な岩石が詰まったかのようだ。

「ごきげんいかがですかアマーリエ」

「良く来てくれましたね、コルン。どうぞ、かけてちょうだい」

 アマーリエはおだやかな手招きで、少年に近くに寄るように伝えた。

 用意された椅子に、大魔女と向かい合って座る。テーブルにはお茶とちょっとしたお菓子も用意されていた。アマーリエはどうぞ召し上がれとすすめたが、コルンは気が進まない。

 いまはただ、早く家に帰りたかった。

「アマーリエ、僕は自分の杖を見つけることができませんでした」

 聞かれるよりも早くコルンは白状した。

 魔法使いになるための課題をこなせなかったこと。自分は失敗してしまったのだと言うことを。

「まあ、ほんとうに?」

 アマーリエはちっとも驚いたふうではなかった。

 冗談を言っているわけではないのだ。

「僕、里中探して、でも――」

 鼻の頭を赤くして主張しようとするコルンを、やんわりと手で押しとどめる。

「あなたは見つけたはずですよ。夢路を通って訪れた、あなただけの魔法の杖を。わたくしにはわかります。例え、目に見ることができず、触れることができなくともね」

 そしてアマーリエは、あの歌うような調子で囁いた。

「……さあ、いまひとたび姿を現せ。汝、行く手を指し示すものよ!」

 魔法で見えたのは、ほんの一瞬だけだった。

 広大な星の海を縦横に泳ぎ回る、きんいろの文字の群れ。

 一点、ひときわ明るく輝くもの。

 ちりりとしびれた手のひらに。

「とったやつ――なんで?」

 堅くも柔らかくもなく、かがやきだけでできたあの星の粒だ。

「綺麗ね。夜更かしの朝寝坊さんには、ぴったりな杖ではなくて?」

 アマーリエは、感情の全部混ざった変な表情で硬直しているコルンに、ひとつずつ種明かしをしてくれた。

 大人たちの魔法の杖は、道具としての杖。

 魔法使いに必要な「杖」は、また異なるもの。世界中のいろいろな物の姿をして、心の底に眠っている。

 他の誰にも見つけられないし、手助けすることも――

「少しだけ、夢の道をつなぐお手伝いはしましたけれどね」

 ――その人だけが、きっと自分の杖を見つけられるように。

「忘れることなく、その胸の中にしまっておきなさい。いずれ大いなる知恵に飲み込まれそうになったとき、光の射さない迷路で立ちすくんでしまったとき。杖は、あなたがあなたであるための道を、まっすぐに示してくれるでしょう」

「でも……そしたら、僕たちが杖を探していたのは無駄だったということですか?」

 おそるおそる口に出したコルンに、アマーリエは首を横に振って答える。

「いいえ。道標は、探求者の前にのみ現れるもの。もしあなたが懸命に自らの道を求めなければ、杖は見つからなかったもしれません」

 齢百となる老婦人は、背を伸ばしたうつくしい姿勢で、力強く続けた。

「あなたが、見つけだしたのです。若き魔法使いコルンよ」

 ようやく、おなかの中のおもりが消えていく。

 コルンは、魔法使いへの道を歩み出すことができたのだ。自ら探し出した、自分だけの魔法の杖と共に。

「あなたの学びの道に、幸あらんことを」

 師は微笑んで、幸運を示す古い魔法の文字を宙にくるくると描いた。


 もし、魔法使いになったなら。

 三日目の寝付けない夜に、コルンは寝台の上に腰掛け,寝転がり、また起き上がり、今日という日を反芻する。

 本を抱えて――なるべく少なく、厳選する――ランプをつくり、遠くの街へ行ってみたいと思う。

 流れ星の生まれる場所を探し出し、本当に本物の星をとることだって。

 ふふと思わず含み笑いをこぼして、コルンは気がついた。

 この笑い方――

 自分の声を良く聞くことがないから、わからなかったのだ。

 あいつは僕だ。

 コルンの夢を訪れ、さんざんからかって、自分のための魔法使いの杖を置いていったのは。

「なーんだ……」

 自分から貰える物なら、それは失敗することもないだろう。

 わかってみればあっけない。

 けれど、ずっとわからなかったかもしれないのだ。

 そうならなくて良かったと思う。

 手のひらを開いたり閉じたりして、確かめてみる。

 姿は見えない。感じられない。

 ただ、知っている。

 いつか道に迷ったとき、きっと自分は自分を助けてくれると理解する。それこそが、魔法使いに必要なただひとふりの杖なのだということを。

 コルンは寝転がって、まぶたの裏に見えない星を感じた。

 そう、だから、いつだって。

 コルンの魔法の杖は、行く手を明るく指し示している。

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夜の交差 阿木ユキコ @akikimory

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