応急処置をするために(4)
ギャビンは小鳥の視覚を共有しながら、森をうろちょろしている不審者をじっと見つめる。まあ、不審者が誰なのかは明白だった。あの2mを超える身長、それを思わせない猫背に細身の身体、フードから見える深緑色の癖毛。膨らんだ胸を除いたら、嫌でも知っている人物だった。
「あのクソ虫、なんであんな場所にいるんだ?……身体を再生しすぎて、頭が馬鹿になったのか?」
それとも、切断した身体の断面を放置して、別個体になった可能性もあるな。とギャビンは予測したが、いや、そんなことはどうでも良いと、思考回路をリセットするかのように、頭を左右に振る。
そう、あのクソ虫のことは本当にどうでも良い、己の使命を果たせ。そう奮起したギャビンは、再びボウとダイランをどうやってロルフの元に連れていくか考える。眉間に皺を寄せ思索するが、嫌でもメラニーが視界にちらつき、溜息をつく。
しかし、1つの天啓をギャビンは受けた。
「ああ、あのクソ虫を使えば良いか」
我ながら良いアイデアだと、ギャビンは嗤う。
そして、塔の中に侵入し、此処にあるであろう道具を探した。塔には、もしもの備えとしてある物があった。埃被ったそれは、案外呆気なく見つかった。
木製の弓矢は埃まみれで、手入れがされていない。無理もない、この世はもう魔法が主流である。弓矢を使っている種族など、流行遅れのエルフぐらいだ、とギャビンは嘲笑しながらも、それを手に取った。
《白羽の矢を汝に 全ては導きのままに》
ギャビンは詠唱し、天に向けて矢を放った。
ーーー
それは闇の中に光り落ちた、流星のような衝撃だった。
ブルウェラの翻訳ウミウシ サフィーとの旅は、案の定、波瀾に満ち溢れたものとなった。しかし、それ等は全てメラニーが元凶であった。行く町行く村で不審者扱い、誠に遺憾だとメラニーは激怒したが、サフィーは深海生物でありながらも、何となくコート以外着ていないからだろうな、と薄々察していた。
だが、サフィーは何も言わなかった。海は地上よりも弱肉強食が顕著だ。だからこそ、自分の立ち位置を誰よりも理解していた。メラニーが金魚鉢を割ったら、自分は死ぬ。サフィーはまだ死にたくなかった。
そんな、色んな意味でのハラハラドキドキの旅も、ようやく幕を終えようとしていた。ジャーマンアイリス近郊にあるハーブの木の群生地まで、ようやく到着したのだ。
しかし、様子がおかしい。確か、ジャーマンアイリスは日が沈まない国であるということを、サフィーはブルウェラに教わっていた。だが、実際はどうだ。辺りは暗闇が支配し、動物たちも身を潜めている。サフィーは触覚をキョロキョロさせながら考える。
「あー……とりあえず、城を目指すか」
メラニーは金魚鉢を片手に、進もうとした。すると一筋の閃光が暗闇を切り裂いた、矢だ。光り輝く矢が此方に向かっているのだ。
その矢は嫌でも知っているものだった。メラニーは脚を広げ、瞳を閉じて衝撃に備える。サフィーは何が何だか分からず「え!?なんですかあれ!!わたくしはまだ死にたくありません!死ぬならせめてブルウェラ様の手元で!メラニー様聞いてます!?」と叫んでいる。その叫びも虚しく、光り輝く矢は見事、メラニーの額に命中した。サフィーは絶叫した。
しかし、メラニーは倒れなかった。額には見事な矢が刺さっているが、血は流れていない。まるで赤粘土に刺さっているよう様な刺さり方に、サフィーはドン引きしていた。
「あのクソ鶏……いつか絶対、あの羽むしり取ってやる」
「え、何故生きてるんです、怖」
「あー……俺、悪魔だから、つまりそういうこと」
「え?…なるほど!悪魔は頭が弱点ではないのですね!」
「あ、うん、そうそうそう」
悪魔についての間違った知識を植え付けられた哀れなサフィーは、触覚をピコピコ動かしながら「また1つ知見を得ました!いやあ、深海から出てきて良かった!実は私、ブルウェラ様に無理を言って、この役目を……」と、延々に喋り続けている。メラニーは話半分に聞きながら、矢柄に結ばれている手紙を解く。
《母上からの命令 ボウとダイランをロルフの元に送り届けろ 場所は……》
手紙を流し見したメラニーは、それをビリビリに破った。破れた紙屑は吹き荒れる風で宙を舞い、何処かに飛んで行く。今までの行動もあり、心配になったサフィーが話しかけようとするが、その前にメラニーは動いた。
「ウミウシ、行き先変更だ。ちょっと野暮用だわ」
おふくろは、俺たちに命令などしたことがなかった。
それは、メラニーだけではない。母、トウランに命令された者など、兄妹の中で誰1人もいない。………何か、あったのだ、その思いがメラニーを急かした。両手で持っていた金魚鉢を脇で抱え、ボウとダイランの家へと向かう。金魚鉢の中にいた小さなウミウシは、状況がよく分からないまま、身を任せるしかなかった。
ーーー
障気が霧のように漂う森の中で、トウランはシグマに魔力を注ぎ続けた。肌は龍化により鱗立ち、紅の髪は頭皮から順に真白に染まり、燃えるような赤い瞳は、今や弱々しく点いている灯火だ。
ロルフは小鳥を肩に乗せ、使い魔である狼たちに命令し続けていた。それは、明日の求愛恩祭が急遽、中止になることを各国に伝えるためであった。
狼たちの首輪に手紙を吊し「決して、口に加えないように」と念を押す。狼たちは遠吠えをあげた後、暗闇の中へ
と駆けていった。
静寂が森を襲う。あるのはシグマの弱々しい吐息だけ、ロルフは無残な姿になった父と、魔力を父に分け与えていることにより弱りきった母を見て、思ってしまった。
ー父に、止めを刺すべきだったのでは?
この世界には、5つの国が存在している。
炎龍シグマと白龍トウランが統治する、混血種の亜人と人間が暮らす日が沈まぬ王国 ジャーマンアイリス
水龍メーリンが護りし人魚が舞い泳ぐ海の都 ニンフェア
雷龍リッカルドが支配する獣の郷土 ハリケーンリリー
風龍アーノルドが留まる天使が微笑う楽園 ボタンイチゲ
地龍コールが蹂躙する悪魔が嗤う地下帝国 リリィ
ロルフは分かっていた。種族も、生き方も、在り方も全て違う国々が、戦争も飢饉もなく約1000年もの間、平和に暮らせていたのは、母がお伽噺のように言っていた、禁忌を犯さないおかげだとか、掟を守っていたからとかではないことを、己の短い生の中で、嫌というほど分かっていた。
全て、龍が支配していたからこその平和。そして、6匹の龍という天秤が釣り合っていたからこその、果敢無い平和だった。
そして、その天秤が傾きつつある。
夫婦龍は2匹で1つの存在なのだろう。ロルフは龍について何も知らない。知らないが、父と母のことはよく知っている。片翼がなければ空さえ飛べない、お互いがそう思っていることを、よくよく理解していた。
だが、2匹同時に共倒れになってみろ、天秤は呆気なく傾く。龍のいない国など、吹けば飛ぶ砂のように終焉を迎える。
ならせめて、母だけでも、とロルフは思ってしまった。母の魔力が尽きる前に、父を殺した方が良いのではないか?満月のように光る瞳が、揺れ動く。ガーターホルスターに仕舞った鈍色に輝く短剣に触れ、ロルフは血に染まった父を睨み付ける。
「…どうしたのかえ?ロルフ。そんな怖しい顔をして」
「っ!……母上」
「ほほ、大丈夫じゃよ、お前様なら大丈夫。…だからどうか、信じておくれ」
震えた声で、トウランは呟く。それは、祈りにも似たような声だった。
「母上、俺は……」
「分かっておる、愛しい子よ。……だが、どうか…奪わないでおくれ、わらわから、この方を奪わないでおくれ」
その言葉に、ロルフは絶句する。そうか、気付いていたのか、己の葛藤も考えも、この方は全て。
血に染まった母の白無垢。その後ろ姿は、随分と小さかった。幼い頃は、大きな背中だと思っていたそれは、いつの間にか、こんなにも小さくなっていたのか。ロルフは己を恥じた。そして、母に近付き、白魚のような手に己の手を重ねる。
「俺の魔力は、父上に注いでも大丈夫ですか?」
「……ロルフ、お主」
陰の刺さったトウランの瞳が揺れ動く。そして、重なり合った手を見つめた。幼い頃は、紅葉のように真っ赤で、ふやけた小さな手は、こんなにも大きくなっていたのか。
「ありがとう、ロルフ。わらわたちは幸せ者じゃのう…」
それは、ロルフが夫を救おうとしたからではなかった。可愛い息子が大きく成長したことを、今更ながらに実感した母親としての独り言だった。
魔力が淡い光となり、蛍が飛び回るかのようにシグマを囲い、包み込む。その光景を、1匹の小鳥はジッと見つめていた。
看病日記 辰砂 @Sinsyasan
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