屋根裏部屋の安楽椅子
よし ひろし
屋根裏部屋の安楽椅子
ところが、その小説だけで食べていこうと決めたことがプレッシャーとなったのか、次巻の執筆活動が滞ってしまった。冬には新刊を出さなければいけないのに、夏が始まっても作業が遅々として進まない。
異世界に転生し、貴族の少年となった主人公(元の世界では女性)が、周囲の男性たちと恋に落ち、自らの立身出世を果たしていく物語なのだが、次巻が七冊目で、さすがにネタが尽きてきた。前巻では主人公が若き国王となってしまい、話を国外へと持ってく予定なのだが、どういうパターンで行くか試行錯誤する毎日だった。
そこで、気分転換とばかりに夏の一か月、東京を離れ軽井沢の別荘を借りて過ごす事にした。
借りた別荘はロッジ風の小ぶりなもので、東栄壮と言う少し古臭い感じの名前がついていた。その名前から築年数が経っているのかとも思ったが、実物を見てみると、周囲の森林と美しく調和した木造の建物で、古さは感じられない。
ウッドデッキから玄関を入ると広いリビングで天井が高く、梁がむき出しになっていた。アンティーク調のテーブルセットが用意されており、仕事は基本的にここですることになりそうだ。窓は大きく、外の緑がよく見えた。
他に小さなキッチンと、寝るだけといった寝室があり、あとは浴室とトイレといったこじんまりとした作りだった。ただ、ロフトがついており、木製の急階段を上ると、屋根裏部屋の様な空間が広がっていた。
そのロフトの一角に、大き目な安楽椅子が置いてあった。深いブラウンの革張りで、マッサージチェアの様に腰かけると全身を包んでくれる様な感じの椅子だった。
何故こんなところに? と佳子は初めは思ったが、その椅子の先に窓があり、椅子に座るとそこから外の綺麗な風景を見ることができるのだ。四角い窓枠が額縁のように見え、まるで美しい風景画が壁にかかっているような感じで悪くなかった。
初めの三日は、執筆活動もそこそこに、周囲を散歩したりして夏の休日を堪能した。四日目にはさすがに仕事をしなければと思い、モードチェンジしたが、やはり思うようには進まない。一日二日と時間ばかりが過ぎていく。
よくよく考えれば、環境を変えた程度で、アイデアがバンバン出てくれば、小説家は誰も苦悩しない。
室内をぐるぐる歩き回ったり、ウッドデッキに出て外の風景を眺めたりしたが、どうにもならない。周囲の森を散策しながら、自然の風景に何かいいアイデアが落ちてないかと探ってみるが、まあ、ダメなときはダメで、一週間ほどが過ぎた。
その日も朝からノートパソコンを前に文章を捻り出していたが、昼を過ぎるころにはすっかり何も出てこなくなった。遅い昼食を採り、散歩にでもと思ったが、玄関を開けたとたんにその暑さに断念。なにか気分転換になるものでもないかと考えているうちに、あの安楽椅子のことを思い出した。
ロフトには別荘に来た日に上って以来入ってなかった。別に用がなかったし、急階段を上るのが面倒だったからだが、あの椅子に座って外の風景をぼーっと眺めれば、アイデアは出なくとも脳のリフレッシュはできそうだ。
佳子は即座に行動に移した。ロフトに上がると、不自然なまでに豪華な椅子に座る。
「ああ…、なんか、気持ちいい……」
椅子に包み込まれるように座りながら、窓の外の緑を見ていると、気分がすっと鎮まり、佳子はうとうとし始めた。
しばらくすると、寝息をたてはじめ、ついにはすっかり眠ってしまった。脳が疲労していたのか、昼だというのに熟睡する。
そんな眠りの中で佳子は何やら全身をマッサージされるような感覚を覚えた。
夢…、
体中を優しくさすられ、徐々に力を入れて揉まれていく。腕が、胸が、腰が、太腿が、ふくらはぎが、最後はつま先まで、上から下まで揉みしだかれてゆく。
気持ちいい……
体が蕩けていくような感覚を覚え、思わず熱い吐息を漏らす。
「はぁ…、ああぁ……」
その自分の声で、微かに意識が戻る。
あれ、私、いま……
しかしすぐに眠りの中に戻され、そして――
どれくらい時間が経ったのか、佳子が目覚めると、全身が汗で濡れていた。
「寝汗……」
そう思って、背もたれから身を離したところで、パンティの股間部分が他よりいっそう濡れそぼっているのに気が付いた。
「いやだ、もう……」
おもらし、ではない。快楽のあまりに湧き出た分泌液だった。
なんで――そう思いつつ、何かとても気持ちいい夢を見ていた、といった感覚を思い出し、佳子は頬を赤らめた。
「欲求不満なのかしら…」
自分に問いかけるように呟きながら、佳子は椅子から立ち上がり、ロフトを後にした。
下に降りると着替えを用意して、浴室へと向かう。
湯舟はお湯を張っていないので、シャワーでかいた汗と、濡れた股間を流す。しかし、その途中で、体の奥が熱くうずき、気づくとシャワーの水圧と自らの指で、自慰を始めていた。
「はあっ、はあぁ…、はぅ、あ…、はあはぁ、あ、ああああっ……」
浴室に響く佳子の淫らな吐息。
そうして、どれくらい経ったのか、
「ううん、あ、ああっ!」
ひときわ大きな快楽の叫びをあげたところで、その行為は終わりを告げた。
「……どうしちゃったの、私。本当に、もう――」
仕事に集中しなきゃいけないのに――佳子はそう思い自己嫌悪に陥りつつ、今一度シャワーを全身に浴び、体を綺麗にした。
その日は結局仕事にならず、早めに眠りについた。
翌朝、目覚めてもなんだか頭がすっきりせず、もやもやしたものが残るのを佳子は感じた。
ノートパソコンの前に座っても、キーボードを打つ手は動かず、遅々として文書は進まない。
昼食後も変わらず、そして、佳子は再びあの安楽椅子に着いていた。
「……」
昨日の快楽がどうしても忘れられない。深く椅子に座り、ぼーっと窓の外を眺める。
体が椅子に包まれ、まるで誰かに抱きしめられているよう……
誰かに――そこで、佳子はハッとなった。
脳裏に浮かぶ『人間椅子』の四文字。江戸川乱歩による怪作。エログロナンセンス小説の代表作で、醜い容姿の椅子職人が、自ら作った椅子の中に入り込み、座る人間の感触に酔いしれていくという、倒錯的な内容の小説だ。
「まさか!?」
佳子は慌てて立ち上がり、寸前まで座っていた座面を手で探った。
別におかしなところはない。
背もたれも、ひじ掛けも、中に人がいるような感じはない。背後に回る。どこかに出入り口でもないかと見てみるが、そんな気配はない。ならば、底に? と思って足の部分を見て、初めてその椅子が床にボルトで固定されているのに気づいた。
窓から景色を見る為だけに設置されたものというわけだ。
床から離れない以上、底から侵入もできない。
「ふぅ~、そうよね、あれは小説…。実際に人間椅子なんてあるわけないわ。馬鹿みたい……」
佳子は再び椅子に着き、大きく息を吐きだした。
疲れているんだわ、頭が……
そう思いながら全身を椅子に預け、そっと目を閉じた。
「はぁ…、いい気持ち……」
思わず言葉が漏れるほど最高の座り心地だった。きっと名のある職人の手によるものなのだろう。
「……」
しばらくすると、今日も佳子は眠りの底へと落ち込み、寝息をかきだした。
すぅ…、すぅ…
リズミカルな吐息を繰り返し、深い眠りについていく佳子。
あ、まただ…。ああ。気持ちいい……
昨日と同じく全身をマッサージされる夢。いや、夢と呼べるのだろうか。映像はない。ただ感覚のみ。体中をさすられ、撫でられ、そして――
「あん、ああぁ……」
それはマッサージというより愛撫であった。性的な興奮を誘うスキンシップ……
そのスキンシップは執拗に続き、バストをたっぷり揉まれた後、腹部から股間へと降りててゆく。太ももの付け根を押し広げれれ、その間に触れる何か……
ダメ、ダメだわ。そんな…。ああ、そんなところ、ダメ……
「はぁ…、ああぁ、気持ちいい――」
思わず漏らした自分の声に佳子は目を覚ました。痺れるような快感の源である下半身に目を向ける。
スエットのズボンがずり下げられていた。パンティーも同じように脱がされ、露わになっている股間が見える。そこでふと人の気配を感じて視線をあげると、真正面に男の姿が――
「ひっ!」
息を呑み、目を見開く。
小柄な男。子供の様な体つきだが、顔だけは大きく、ごつごつしていた。醜男、それを絵にかいたような容姿。
その男が今まさにズボンを降ろし、股間の逸物を露出させているところだった。
「いやぁーーーっ!」
佳子は悲鳴と共に本能的にその逸物に蹴りをいれた。右の踵がもろに男の股間にめり込む。
「いっ――!?」
醜男が声にならない叫びをあげ、背中からばったりと床に倒れる。
佳子が椅子から身を乗り出し覗き込むと、醜男は白目を剥き、口の端から白い泡の様なよだれを垂らして気絶していた。
佳子は男が目覚めないように静かに椅子を降りると、身支度を整え、下に降りてすぐに警察に連絡した。
後日、佳子は事件を担当した明智と小林という刑事に詳しい話を聞いた。
男はこの別荘のオーナーで郷田三郎という男だった。郷田はこの別荘の各所に隠し部屋と通路を造り、宿泊客を覗いていた。とんでもない変態だ。その変態が特に興奮を覚えるのが椅子に座る女性の姿で、あの安楽椅子はそのために設置したものであった。
もともとは電車などでシートに座る女性が居眠りをし、無防備な態度を垣間見せるのに言い知れぬ興奮を感じたようで、あの安楽椅子に女性が座ると、ちょうど真上に造られた隠し部屋から管を伸ばし、睡眠ガスを吹きかけて女性を眠らせ、下に降りてじっくりと観察していたそうだ。
そのうちただ眠らせるだけでなく、催淫効果のある薬も混ぜて嗅がせ、身もだえる姿を見始めたという。時には眠る女性に触れ、全身をマッサージすかの如く愛撫しつくし、自らの昏い欲求を満たしていた。だが、元来が小心者で眠っている女性が相手でも最後の一線は超えられなかったそうだ。それが、佳子の時には我慢しきれず、やりすぎ、結果として墓穴を掘ることとなった。
なぜやりすぎたか――佳子の外見がタイプであったのもあるが、それ以上にその乱れ振りが男の本能を直撃し、どうにもならなくなったと刑事に聞かされ、佳子は顔を真っ赤にした。幸いなことに郷田は録画などはしておらず、その時の痴態は男の脳裏にだけあるのみだ。郷田は、自らの目で見て、自らの脳裏に焼き付けることにこだわっており、故に別荘中に張り巡る隠し通路が造り出されたのだ。
隠しカメラを仕掛けるのでなく、のぞき穴から目で覗く――アナログで、より粘着質で変態的な性癖。このことを聞いた佳子は、あの別荘にいた一週間余りの間、ずうっと覗かれていたのかと、身を震わせ、改めて恐怖した。
さて、なんとも面妖な事件に巻き込まれた佳子であったが、その経験が新たな小説のアイデアを生み出し、無事、次巻の原稿を書き上げることができた。いままで美形ぞろいの登場人物だったが、そこにチビで不細工な敵キャラを登場させた。その変態的な性格で美形キャラをいびり、時には性的になぶっていく。最終的には主人公にやられるのだが、それでもしぶとく逃げ延び、次巻以降も登場の予定だ。
怖い思いをしたが、仕事も無事終わり、結果オーライね、と佳子は思ったが、一つだけ困ったことがあった。
椅子に深く腰掛けてゆったりするとあの時の快感が蘇ってきてしまい、体が熱くなるのだ。どうやら変な性癖が目覚めつつあるようだ。
どこの誰とも知らない男はごめんだが、誰かイイ男に椅子に座ったまま全身をマッサージされたい、それもねっとりと――
そんな妄想を抱く、佳子であった……
おわり
屋根裏部屋の安楽椅子 よし ひろし @dai_dai_kichi
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