灯台とスカーフ

キトリ

灯台とスカーフ

 年の離れた兄が、死んだ。四日前の事らしい。


 兄の勤め先である海運会社によると、インド洋上で嵐に遭い航路を外れた船が座礁して、その衝撃で兄は暗礁へと投げ出されたらしい。生存率が著しく下がる七十二時間を超えた後も、無事だった船員たちと駆けつけてくれた現地の漁師が、懸命に兄を探してくれたようで、見つかった遺体は明日、飛行機に乗って東京に到着するとのことだった。享年、二十四。

 金曜日の夕方六時過ぎ。子供たちに帰宅を促す陽気な音楽と山の上のお寺の鐘のデュエットが終わった頃。スマートフォンのスピーカー機能によって、私たち家族は同時にその報告を聞いた。スマートフォンを持ったまま、母は呆然と立ち尽くして、開きっぱなしになった目から涙を流していた。父は母に寄り添うように立ちながら下唇をきつく噛んで、噛みしめすぎて口の端から血を流していた。高校から帰宅したばかりで、水を飲もうとしていた私はマグカップを持つ手が震えて、ぶるぶると震えが止まらなくて、中のミネラルウォーターをビシャビシャと制服に零した。

 私も両親も、誰も信じられなかった。兄が死んだ、なんて。町の誰よりも体格が良くて、超がつくほどの健康体で、泳ぎが大の得意で、体力馬鹿で、晴れ男だった兄が、まさか。

「明日、東京まで迎えに行かないと」

「そう……だな。親戚にも連絡を入れないと」

 どれくらい家の中の時間が止まっていたのだろう。私の手の中のマグカップには、一口分の水も残っていなかった。父の口元の血は固まっていた。母の頬には涙の跡ができていた。いつの間にか米が炊き上がったようで、炊飯器からは白米の匂いのする湯気が立ち上っていたけれど、そのほんのり甘い、兄が好きだった匂いが部屋に充満するのが、今の私たちには拷問のようだった。良い匂いのはずなのに、嗅いでいるだけで吐き気がこみあげてくる。母が換気扇のスイッチを付けた。

「……お父さんは、親戚より先に職場に電話しなきゃ、ダメじゃない?」

 気持ち悪さを吐き出すのに、私の口から出た言葉は自分でも驚くほど冷静だった。職場に電話しないと、なんて。父親のいない週末に慣れきった体が勝手に反応しただけであって、そんなことが言いたいわけじゃないのに。そんなことが言えるほど、冷静じゃないのに。頭の中で、「飯だ!」と上機嫌な兄の声が響く。その声を聞いたのはもう2か月も前だというのに。ドタドタと階段を下りてくる足音さえ聞こえてきそうだ。

 「あ、あぁ、そうだな。誰かに代わりをお願いしないと」

 「親戚への連絡は私がしておくわ。……誰か、車出してくれるといいけど」

 「別に、運転するさ」

 「東京まで何時間かかると思ってるの?一人じゃ危なっかしいわ。それに、あの子を、後ろに……」

 「そう、だな。軽自動車じゃなぁ」

「姉さん家の旦那さんか、あなたのお兄さんか、あの二人の車なら乗るはずだけど」

 両親の会話のその先を、私はもう聞きたくなかった。先ほどまであれほど呆然としていたのに、既に兄の死を受け入れて動き始めた両親が怖かった。先ほど水を飲み損ねたからか、それとも恐怖からか、喉が渇いて仕方がない。私は台所に行って、幼いころ使っていたプラスチックのコップで水を飲んだ。そして、そのコップも兄のおさがりだったと気づいて、ガタンとシンクに落としてしまった。急いで拾い上げる。もちろんプラスチックなのでシンクに落としたくらいでは欠けたりしない。食洗器対応のそれを丁寧に洗って、まるで封印するかのように食器棚の奥に置いた。

「明日、伯父さんが車出してくれるって」

 母の声が聞こえた。父はリビングにいるはずだから、私に向かって言っているに違いない。

「うん、わかった」

「朝の四時に出発するから」

「うん」

「あんたも行くわよね?東京まで」

「行く」

 そう答えるのが精いっぱいだった。気がつけば、私は台所の勝手口から家族共用のサンダルをひっかけて外に飛び出していた。これ以上、冷静な両親の姿や、兄の面影が残る家にいると気が狂いそうだった。


 六時の鐘が鳴ってしばらく経っているからか、道路に子供の姿は一つもない。そして夕食時だからか、それともまだアスファルトが熱いからか、犬の散歩をしている人もいない。気持ちとしては走り出したいけれど、ぶかぶかのサンダルゆえにペタペタと音をたてながら歩くしかない。いっそサンダルを脱いで靴下のまま走れば、少しは楽になるだろうか。もう高校生なので、そんなことはしないけれど。

 ペタペタという自分の足音に集中して歩いていたら、いつの間にか海辺の灯台に着いていた。家から私の足で歩いて三十分の、町はずれの岬にある灯台は、ちょうど凪の時間だからか、湖と錯覚しそうなほど穏やかな海に面している。夕焼けというにはかなり日は落ちているけれど、空の裾野にはまだオレンジ色が残っていて、夕陽を反射して水面がキラキラと光っている。この夕凪の時間を兄と最後に過ごしたのはいつだったか。きっと二、三年前だろうけれど、もう思い出せない。

 ずっと前に役目を終えて無人となった灯台は、私と兄の秘密基地だった。父はチェーン展開の本屋の店長で、バイトさんもパートさんも週末、特に午前中はシフトに入りたがらないものだから「仕方ない」といつも週末を仕事で留守にしていた。そして、母は車の免許を持っていないので、私たち兄妹は必然的に週末を町内で過ごすこととなった。幸い、山に海にと自然に囲まれ、子供達の遊びに割と寛容なこの町には遊び場はたくさんあったけれど、二人きりで週末を過ごすときの定番の行き先が、この灯台だった。

 一応、灯台の入口の扉には南京錠がかけられていて、一般人は中に入れないようになっている。けれど、大きな手の割に器用だった兄は、いつも私の髪からヘアピンを取って鍵穴に突っ込んでは、カチンッと小気味良い音を鳴らして鍵を開けていた。私が何度やっても開かない鍵をいとも簡単に開けてしまう兄は、まるで魔法使いのようだった。

(あぁ、もう、なんで。なんでここに……)

 思わず唇が歪む。つーっと汗が頬を伝った。私は兄の面影から逃れたかったのに、どうして兄の面影が強く残る場所に来てしまったのだろう。いや、この町にいる限り、兄の面影からは逃れられないのかもしれない。生涯を、兄はほとんどこの町で過ごした。三年前に海運業者に就職して以降、この町に、というよりは陸地に滞在する期間は減ったけれど、休みになれば兄は必ずこの町に戻って来た。そして、毎日毎日海を見ているだろうに、「やっぱりここの海が一番だ」と山の上からこの岬から、そしてこの灯台から、この穏やかな海を眺めていた。

 そんな人がどうして、嵐に荒れ狂う海の中で死ななければならなかったのだろう。

 私は、自分の前髪に手を這わせた。なぜか左端の前髪だけ伸びるのが早くて邪魔だから、そこだけいつも二本のヘアピンで留めている。もちろん今日も。私はそこから一本ピンを抜いて、南京錠の鍵穴に突っ込んだ。奥まで刺さったのを確認してカチカチと動かしてみる。ガチャガチャと何度も動かしているとガジャンとけたたましい音を立てて、南京錠が外れた。兄のようにスムーズにはいかなかったが、どうやらある程度の年齢になり、ある程度の力がつけば、半ば力業でこの南京錠は外せるものらしい。

 ドアノブを引っ張れば、ギギッと音をたてながら扉が開いた。中はジメジメと埃っぽくて黴臭くて、数日前に過ぎ去ったばかりの梅雨のような匂いがした。他の場所なら入るのをためらうようなひどい臭いなのに、灯台だと違和感なく、むしろ入りたくなるのはどうしてなのだろう。兄との思い出が懐かしいというよりも、あまりにも足を運んでいるから灯台は黴臭いものだと、私が納得してしまっているに違いない。


 鉄製のらせん階段をゆっくりと、パタン、パタンという自分の足音を聞きながら登っていく。白亜でできた塔の中は、直射日光が遮断されているので暑いというほどではないが、それでも頂上に近づくにつれて暑くなっていくのを感じる。今や無用の長物となったサーチライトのあるガラス張りの頂上階は、経験上呼吸ができないほど蒸し暑いとわかっているため、一つ階下の展望デッキに出た。夕凪のため風はなく蒸し暑いが、潮の匂いを嗅ぐとなぜか涼しく感じる。海のある町で生まれ育った性だろうか。太陽の光は、もう水平線の上にわずかに線となって見えるだけ。

 この岬に足を運んだ日は何時間も、それこそ六時の鐘が鳴るまで灯台で過ごした。兄と灯台に来た日に雨が降ったことは一度たりともなくて、常にさんさんと太陽が照っていた。いつも絶好の海水浴日和で、兄は泳ぐのが好きなはずなのに、私と岬に来たときは泳がずにずっと灯台で過ごした。海に人が見えると、大人にバレないように、と灯台の中に引っ込み、兄お手製の牛乳パックのランタンで明かりを得ながら、漫画を読んだり、トランプをしたりした。ずっと二人きり。友達一人呼ばなかった。灯台は私たちだけの、本物の秘密基地だった。夕方になって海に人影がなくなると、展望デッキに出てぼんやりと、日が沈むまで海を眺めた。海を眺める、というよりは見つめる兄の横顔を、私は鮮明に覚えている。

 ふっと一陣の風が吹いた。長い長い凪が一旦終わったらしい。水平線の下に太陽が完全に消えた頃、小さな波が生まれ、控えめにザバザバと岬に打ち寄せ始める。そういえば私が中学生になって初めての夏休みに、この展望台で手持ち花火をしたことがあって、その時にも似たような景色を見た気がする。この穏やかな海も陸地に近づくと浅瀬や暗礁が多々あって、熟知している人が運転しなければ船が転覆してしまうのだ、と兄は言っていた。そして、商船高専を出たら海に関わる会社に就職して、船を一人前に運転できるようになったら、この穏やかで危険な海を知り尽くして、のんびりと、自由に、勝手気ままに、クルージングしたいのだとも語っていた。その夢は道半ばで途絶えてしまったけれど。

 風が強くなるにつれ、少しずつ波も大きくなる。眼下の海を眺めていれば、波が引いた一瞬、月光に照らされて黒々とした岩場が見えた。きっとあのような岩場が兄の命を奪ったのだろう。あんなゴツゴツとした岩場に投げ出されたのでは、いくら泳げようと、屈強な体を持っていようと一溜まりもないだろう、と私はやっと納得した。


 ふと、東京で再会するであろう兄の姿はどうなっているだろうと疑問に思った。こんな岩場に打ち付けられたのなら、顔も体も、どこかしら骨が折れていたり、皮がむけていたりするかもしれない。そもそも水に何日も浸かっていたのだから、どんな変化が起きているかわかったものではない。

 記憶の中の兄には、もう会えないかもしれない。

 その考えに行きついた途端、家では一滴も流れなかった涙がブワリと溢れ出す。人目はないから思う存分泣けるが、それにしても涙がぼろぼろと流れて仕方がない。急いでポケット探るが、残念なことにハンカチは既に洗面所の洗濯かごの中だ。ティッシュも切れている。仕方なしに、胸元を飾るスカーフを解いてハンカチの代わりにした。薄いので吸水性はないが、無いよりマシだ。

 スカーフの臙脂色が涙に濡れて血のように濃くなっても、まだ涙が止まらない。自分がこんなにもお兄ちゃん子だったとは思わなかった。そう思いながらスカーフを握る。じっとりと手のひらが涙で濡れ、スカーフが吸収しきれなかった雫が手首を伝っていく。明日が来るのが怖い。変わり果てているだろう兄に遭うのが怖い。兄が死んだのだと、認めなくてはいけない瞬間が来るのが怖い。

(本当に、どうして)

 そうは思うものの、あの快活な人は私がずっと泣いているのをヨシとしてくれないことはわかっている。あの晴れ男は、私が泣いているときはもちろん、浮かない顔をしているだけであっても、笑わせようとしてきた人だった。きっと明日会うとき、こんなにも私がぼろぼろと泣いていたら困るだろう。性格上幽霊にはならないとは思うが、万が一にもなってしまって困るのだ。あんな元気の良い幽霊がいたらたまったものではない。

(明日には、晴らすから)

 明日笑って、せめても泣き笑いで会うために、今日一日だけは灯台で過ごした思い出を胸に泣かせてほしい。潮風の中で一緒に過ごした日々を、蒸し暑い夕凪に耐えながら夕陽を眺めた日々を、そして日が落ちて黒々とした海に映る月を眺めた夜を、朧げな記憶にしないために。


 思う存分泣いて、やっと涙が枯れた頃、臙脂色の薄いスカーフは惨憺たる姿になっていた。涙が染み込んでぐしゃぐしゃで、握っている間に爪が引っかかったのか、いくつか穴も開いている。これまで2年間スカーフを巻いてきたが、こんなことは初めてだった。どうしたものか、と端をつまんで広げて眺めていると、少し強く吹いた陸風にスカーフが攫われる。あっ、と手を伸ばすが、緩い風に乗ってスカーフはひらひらと舞い、黒い海へと落ちていく。

(まぁ、いいか。涙とは、これでさようなら)

 私は一度目元を手の甲で拭うと、灯台を出て家に帰った。

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