戦争機械は朱の空に唄う
新井狛
戦争機械は朱の空に唄う
戦争が終わった。
多数の人間が詰め込まれ、
歓喜と悲嘆が入り交じり、閉所に重く澱んだ空気を揺らす。ぽんぽん、と幾枚もの布が空中に舞い上がった。勝ったらしい、と興奮した様子で誰かが語るその言葉がぼんやりと脳の表面を滑り落ちていく。
「勝ったらしい……」
鼓膜を揺らした音をなぞるように口から零れた言葉が、膝から下を失った腿の上に落ちて弾けた。
覆いかぶさってくれた父ごと吹き飛んだ足。視界の端で動かなくなった母と弟の姿を思い出す。ザクザク、と歩兵型の
少女の掌からは何もかもが零れ落ち、今は己のちっぽけな命のみが載っている。戦勝の報には、なんの価値も感じられなかった。
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
首の後ろに読み取り機が当てられる。産まれてすぐに埋め込まれるIDチップのお陰で、誰もが“どこの誰か”を瞬時に示す事ができた。
国の中枢、固く護られた塀の奥の地中深くに埋められたパーソナル・データベースは傷一つなく、すべての国民はすぐに身元を保障されることとなる。身元のスキャンニングは瞬く間に各地の避難キャンプを駆け巡り、身寄りのある人々は次々と手を携えてキャンプを去っていった。
帰る場所のある者は名を呼ばれていなくなる。呼ばれない、という事はつまるところ天涯孤独の証であった。
目の前で両親と弟を亡くした少女もまた、淡々と日々を過ごした。日に日に人が減り規模を縮小していく野戦病院は、絶望の煮凝りのように重く澱んだ空気に支配されている。
「レイラ・ウィリアムズ」
だから自分の名前が呼ばれた時には心底驚いた。テントの布を押し広げて、あちこちにガタの来ていそうな歪んだ車椅子が現れる。ザク、と地面を踏む音に、金属の擦れる音が重なった。煤けた赤錆色のボディが姿を現す。ひゅう、と喉が鳴った。
「こんにちは。ミス・レイラ」
穏やかなバリトンボイスが、少女の名を呼んだ。少女は限界まで目を見開いて、呼吸を忘れたように固まっている。アクチュエータのささやかな駆動音を奏でながら、硬い装甲に覆われた手が少女に向かって伸ばされた。
「や……」
指が触れた瞬間、猛烈な勢いで身を引いた。バランスを崩してベッドマットに倒れ込む。唐突に喉が呼吸の仕方を思い出した。激しく息を吸い込んでは吐きだす。ひっきりなしに息をしているのに、ちっとも呼吸は楽にならなかった。
胃の奥からせり上がってきたものをベッドマットにぶちまけて、そのまま少女は気を失った。
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
「無理だよ。こんなの残酷すぎる。
「じゃあ、貴方が引き取ってあげなさいよ。ここはあと1週間で閉鎖になるんだから」
「それは……」
「それに
大人たちの声を遠くに聞きながら、少女は薄っすらと目を開けた。すっかり見慣れた簡素な布張りの天井に、白光のランタンが掛かっている。
「おはようございます、ミス・レイラ」
視界の外から滑らかなバリトンが呼び掛けた。視線だけを動かしてそちらを見る。
「……何、それ」
半透明の梱包材でぐるぐる巻きにされたヒトガタに向かって、少女は吐き捨てるように問うた。泡のように緩衝用の気泡が幾つも連なるその向こうに、赤錆の色が透けている。
アクチュエータの駆動音を奏でながら両腕を軽く上げたソレは、右と左をそれぞれ眺めてから肩を竦めてみせた。
「なんでも、私の外装がミス・レイラの
「そう」
壊れてしまったガラスのコップを、同じように包んで捨てた記憶が唐突に蘇る。よく見ると梱包材は大量の小さなものの継ぎ接ぎで、巨大なゴミの塊のようにも見えた。先程漏れ聞こえてきた会話を思い出して、少女——レイラは口の端に薄い笑みを刷く。
「ゴミはゴミ同士、よろしくやってろって事かしらね。あなたも私も、社会から捨てられたんだわ」
「そんなことはありません。土地と家、それから毎月定額の支援金を受け取る権利があなたにはあります」
「そう。ご親切な事」
レイラは吐き捨てるように言うと、ゆっくりと体を起こそうとした。
「手伝います」
そう言いながらレイラの上半身を支えようとした梱包材まみれの腕を、細く骨ばった小さな手がぴしゃりと払い除けた。
「触らないで。人殺しの機械はきらいなの」
カシャカシャと、無機質な瞼が上下する音が響く。半透明の梱包材に巻かれた頭が、きょとりと首を傾げてみせた。
「私は本国所属の
「そういう話じゃないわ」
レイラは不安定な仕草で体を起こすと、ゆっくりとその向きを変える。細い両腕で上半身を持ち上げ、なんとか自力で車椅子に移動しようと試みた。
「失礼します」
ぐらぐらと不安定に揺れる細い身体を、赤錆が透ける腕がひょいと持ち上げる。レイラが眉を吊り上げて義足用のコネクタが突き出した腿だけの脚をばたつかせるが、その抵抗をものともせずに、そうっと車椅子へと華奢な体を収めた。
「触るなって言ったでしょ!」
「そういう訳には。貴女には生活介助が必要です。あなたの手足となるべく、私にはケアロボットのアプリケーションがインストールされました」
「私の脚を吹っ飛ばしたのは
「私はこの国の国民の脚を吹き飛ばしませんよ」
「クソ。サイコーだわ」
吐き棄てるように笑う。
——どのみち戦災孤児である彼女に、選択肢など存在はしないのだ。
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
「土地と、家。ねぇ」
今にも潰れそうなあばら家と、枯れた草と石ころばかりが転がる大地を見て、少女は呆れたように呟いた。
乗り心地という言葉を辞書に持たないピックアップトラックに揺さぶられること数時間。やる気のなさそうな運転手が近くだとうそぶく場所で適当に放り出されてから、車椅子でさらに数時間。尻は石のように固くなっている。パンツを脱いだらきっと腫れ上がっているに違いなかった。
「素敵な我が家ってわけね」
そう言ってレイラは車椅子を押す人影を振り仰いだ。巻かれていた梱包材は悪路の長旅で破れたり剥がれたりして、赤錆色の金属があちこちから顔を覗かせている。
「剥がせば、それ」
「いいのですか」
「もう慣れたわよ。たぶんね」
嫌そうな顔で手のひらを翻して、レイラは車椅子の肘掛けに手を掛けた。ぐっと力を込める。両脚に取り付けられた簡易な義足が砂を噛んだ。
「手を貸します」
「結構よ」
脱皮に失敗した蜥蜴のように、ぷわぷわと半透明の梱包材の欠片を纏わりつかせた手を拒絶する。ゆっくりと立ち上がり、右脚と左脚に慎重に体重を振り分けた。義足に慣れていない体がぐらぐらと揺れる。次いで慎重に踏み出したはずの一歩が小石を噛み、ぐるりと視界が回転した。
「ここは悪路です。まずは家の中で練習しましょう」
カサカサとビニールの擦れる音の向こうから、穏やかなバリトンが落ちてくる。抱き止められた姿勢のまま、レイラはじっとりと
「離して」
「ダメです」
「命令よ。主人の言うことが聞けないの」
「賢い不服従ですよ。犬でもすることです」
そう
「ねぇ、
「……私はWD-4058ですが」
「長い。呼び辛い」
はぁ、と溜め息が落ちてきた。この
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
トントン、と小気味のいい音が崩れかけたあばら家に満ちる。まともに暮らせそうな部屋はひとつきりで、朝食の準備が奏でるメロディが毎日の目覚まし代わりだった。
レイラは身体を起こしてしばらくの間目を擦ると、黙ってベッド脇に並べられた義足を手に取る。半眼でそれを腿から突き出したコネクタに嵌め込み、あくびを一つこぼして立ち上がった。大分馴染んできたその脚を動かして、台所に立つ
「おはようございます」
穏やかなバリトンボイスの挨拶を無視して顔を拭く布を探していると、横合いからスッとよく乾いたタオルが差し出された。顔から雫を滴らせながらしばらくそれをじっと見たレイラは、黙ってタオルを引ったくる。
その間も包丁の音は止まなかった。右手首をぱかんと外して上に折り曲げた先から突き出しているナイフがジャガイモを刻んでいて、タオルを差し出しているのは腰から伸びる第四の手だったからだ。ちなみに第三の手はスープの鍋をかき混ぜている。
「ちょっと、そのナイフを料理に使わないでって言ったのもう忘れたの? メモリ交換する?」
「ようやく話しかけてくれた。ツッコミ待ちなんですよ、こうでもしないと話しかけてくれないじゃないですか。コミュニケーションです、コミュニケーション」
「それで和ませてるつもりなら大失敗なんだけど。嫌がらせ? バッド・コミュニケーションって言葉知ってるかしら?」
飄々とうそぶく
「我が家のお嬢様は今日も塩が効いていらっしゃる。塩はほどほどになさいませんと身体に毒ですよ」
レイラは釣り上げた目の角度を更に上げると、
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
「むか! つく! はら! たつ!!!」
鍬の歯が砂利だらけの土地を噛む。掘り起こした石の塊を畑と決めたエリアから蹴り出しながら、レイラは空に吼えた。今日の空はよく晴れていて抜けるように青く、その清々しさがまた腹立たしい。
力任せに振り下ろした鍬が大きめの石に当たり、両腕がじんと痺れた。思わず鍬を取り落とす。本当は自分でやる必要などないのかもしれない。あの戦争機械は命じれば涼しい顔でこの開墾作業もやってのけるだろう。
実際彼はとても親切だ。どれほど拒絶されても笑顔が曇らないのが
この日々のささやかな怒りは、後悔と絶望の深みに沈み込まないために必要なエッセンスだ。どろどろとした底なしの感情が堆積した沼の上に張った、ささやかな厚みの薄氷。いつ突き破るかわからない危険性を孕みながらも、それは確実に彼女の足が沼にはまり込むのを防いでくれている。
(人間、感謝の気持ちを忘れてはいけないのよ)
母が口癖のように言っていた台詞を思い出す。べたべたと甘やかしてくれるタイプの母親ではなかったけれど、凛とした佇まいの芯の強い人だった。あの教えを、毎日親身に世話をしてくれる
母がどんな顔をしてこの台詞を口にしていただろうかと考えた時、記憶の中の母の顔がぐしゃりと蕩ける。かつての絶望のひととき、視界の端で頭を半分吹き飛ばされて倒れ伏したその顔を、恐ろしくて見ることが出来なかった。想像で補われるその最期の顔は、血と肉の塊と化した父のそれと混ざり合って日に日に酷く歪んでいく。
腹の底から熱いものが迫り上がった。空っぽの胃から絞り出された酸が、喉を焼きながら畑にぶちまけられる。ゲホゲホと咳き込み、目の端に涙が滲んだ。
滲む視界の真ん中に落ちている鍬を引っ掴む。振り上げて、振り下ろす。硬い地面に鉄の刃を捻じ込んで、地表から土の塊を抉り取った。ぐしゃぐしゃとそれを踏み砕く。
がむしゃらに振り下ろす鍬が小石を弾き、弾かれたそれが額に直撃して皮膚を裂いた。たらりと流れる生温かい深紅の雫が、
「朝ごはん、出来ましたが……ってああ! 怪我してるじゃないですか」
あばら家の扉を開いて顔を出した
「やめて。触らないで」
「駄目です。傷をこんなに汚して、破傷風になりたいのですか」
「さあ、食事にしましょう。今朝はちょっといいものがあるんです」
「……食べたくないわ」
すん、とレイラが鼻を鳴らす。食欲がないのは本当だった。あんな想像の後で、一体何を食べたいと思うだろう。
しばらく炊事場からカチャカチャという音がして、足音が戻ってくる。
「じゃんじゃじゃーん!」
ベッドのすぐそばに設えられたダイニングテーブルのあたりから聞こえてきた、バリトンのとても良い声で発せられるバカみたいな台詞に、レイラは思わず顔を上げてしまった。
「ここにチーズと、調理済みのジャガイモがあります」
「……そうみたいね」
がしゃ、と金属の触れ合う音がして少女はびくりと体を震わせる。チーズを持っていないほうの腕が変形した。五指を揃えた手の形が失われ、糸鋸のような形状に変化する。ヴン、と低い音をたててその刃が赤く染まり始めた。
「それって……」
「ええ、これは主に破壊工作に使うための熱線カッターです。ですが……」
「こうしてチーズを美味しく溶かす役にも立ちます」
ふわりと食欲をそそるチーズの香りが鼻をくすぐった。まるで何処かの貴族に仕える執事のような洗練された動きでジャガイモに溶けたチーズを乗せ始めた
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
季節は移ろい、抜けるような青空の奥からは容赦のない夏の太陽が大地を照らしていた。ささやかに実ったトウモロコシをひとつ捥ぎ取って、少女はふうと小さな溜息をつく。義足に熱が篭って足の接合面が熱い。濡れたタオルで接合面付近の義足を冷やしながら、レイラは畑の外に目を向けた。
硬い装甲に覆われた手が、もりもりと地面を掘っていく。冬に向けて畑を拡張することになり、新たな区画の開墾は
「キラー!」
レイラはすっかり定着したその呼び名で
「どんな具合でした?」
「ふふん、上々よ? 見て御覧なさいな」
「どれ、少々拝見」
自信満々に差し出されたそれを、
「何か言いなさいよ」
「……実入りがいまいちでは?」
「もう! この荒れ地の初収穫にしちゃ上等でしょ!? 嘘でもいいからいい顔しなさいよね」
「いやいや。耕し方が足りないんですよ、これ」
「だからこっちも私に任せておけばよかったのに。我が家のお嬢様は頑固でいけません。何でも手弁当でやろうとするからこうなるんです」
レイラはすっかりむくれた表情でトウモロコシの皮を剥き始めた。
「アンタみたいな人殺しの機械と喜びを分かち合おうとした私がバカだったわ。……焼いて」
「これはしたり。私としたことが、あるまじき失態です。美味しく焼くので許してください」
くつくつと笑いを堪えながら差し出された第三の手を、レイラはトウモロコシで引っ叩く。第三の腕はそれをひょいと避けると、トウモロコシを掴んで持ち上げた。片腕を熱線カッターに変形させて、炙り焼きの位置を取ると残った手で開墾を再開する。
すっかり作業のやる気をなくしたレイラは、ひっくり返した木箱の上に腰掛けると、両膝の上で組んだ手に顎を乗せた。再びばりばりと荒れ地を掘り起こし始めた
「なんでアンタそんなに穴掘り性能高いの? 戦闘マシンのくせに」
「地雷敷設用ですね。塹壕掘ったりもしますし」
「……聞くんじゃなかった」
レイラは深い溜め息を吐き出した。
地雷もまた嫌な思い出だった。戦争の主役が
逃げる道行きで爆ぜた友人の姿を思い出す。腹の底に重い感情が熱く凝るが、かつてのようにそれが喉元まで上がってくる事はもうなかった。
じゅわじゅわとトウモロコシの表面に、柔らかな焦げ色がついていく。端の粒が干からび始めたのを見て、皮を剥かなければ良かったな、と後悔が胸をよぎった。
かつては人を守る壁を破壊するために使われていた熱線カッターは、すっかり美味しいもの製造機と貸している。地雷を埋めるためだったらしい腕は、明日を生きるための大地を耕していて。暴力と死の色は、毎日少しずつ命の営みに置き換えられていく。
柔らかに目を細めたレイラの視線の先で、突然
轟音と閃光。
少女の髪がパッと散る。数本の栗毛が膝の上にふわりと落ちて、まん丸に見開かれた目がきゅっとつり上がった。
「撃つときはなんか言えー!!」
「お伺い立ててたら逃げちゃうでしょう。やあ、大きいな。今夜はバーベキューですね」
ガチャガチャと腕を元に戻しながら、
(うちのキラーがごめんなさい、ちゃんと美味しくいただくのでどうか安らかに)
収穫篭の一番上にほかほかと湯気を上げるトウモロコシを乗せると、
「俺たちゃ不死身の兵隊さ、今日も元気にBANG、BANG、BANG……」
穏やかなバリトンが、古いメロディに乗せて柔らかな歌声を紡いだ。夏の風がそよぎ、肌を焼く太陽の熱を優しく散らしていく。心地の良い歌声に身を任せて、レイラは静かに目を閉じた。
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
「もう食べられないわよ」
「おや」
香辛料の香りを立ちのぼらせた骨付のアバラ肉を皿に乗せた
「なんてこった。これが一番の自信作なんですよ。一口だけでもどうです?」
レイラは目だけをきょろりと動かすと、黙って手元の皿を
「……おいひぃ」
もぐもぐと肉を咀嚼しながら悔しそうに味を褒められて、思わずと言った様子で塊肉に刃を伸ばした
「……これ以上はマジで吐くわよ」
「残念。明日ラップサンドにでもしましょう」
悪戯っぽく微笑んで肉を片付け始めた
「あんた、ケアロボットだっていう設定は何処に行ったの? カロリー計算どうなってるのよ」
「私の仕事はね、我が家のお嬢様がより豊かに人生を過ごす手伝いをすることなんです。たまには羽目を外すことも必要ですよ。これはいわば心の栄養です」
「そ」
薄く笑んで、少女はダイニングテーブルに上体を預けた。よく磨かれた天板に頬をつけると、ほどよくひんやりと冷たくて気持ちがいい。
「私の仕事は我が家のお嬢様がより豊かに人生を過ごす手伝いをすることではあるのですが――」
心地の良いバリトンが、先ほどの台詞を繰り返す。レイラは顔を上げずに、視線だけを赤錆色のボディに向けた。硬い装甲に覆われた手が、右手首の先端から伸びるナイフの脂を拭う。
「私の人生も豊かにしていただいている気がします。殺すだけの機能に生き方を教えてくれたのは貴女ですよ、ミス・レイラ」
レイラは答えず、黙って視線を逸らした。
赤錆の装甲が肉の包みを持ち上げる。あの装甲の下にある銃口が、畑を荒らす害獣を恵みに変えた。地雷を掘るのだといった腕で、何度抱えられただろう。ナイフで料理をし、熱線でチーズを炙ってくれて。
「ねぇ、歌って」
「喜んで。ナンバーは?」
「任せるわ」
穏やかなバリトンが、似合わぬレトロポップを紡ぎ始める。片付けながら歌に合わせて腰を振り始めた
軽快なメロディに乗る低い声は滑稽なのにひどく心地良く、とろりと瞼が重くなる。
(明日の朝、起きたら……)
柔らかに意識の底に沈んで行きながら、少女は母の教えを反芻して。
(人殺しの機械なんて言ってごめんなさいって……。それから、ありがとうって、言おう)
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
気付くとベッドの上にいた。しん、と静まり返った夜の底、窓の外から虫の声が僅かに漏れ聞こえてくる。
薄い上掛けから這い出し、台所に立った。水を汲んで喉を潤す。
コップを伏せて寝床に戻ろうとしたところで、外からガタンとこの時間帯にそぐわない音がした。次いでガサガサと家の周りを複数の人間が歩き回るような音がして、少女は訝しげに眉根を寄せる。そうっと入口付近の窓に歩み寄って耳を澄ませた。
「本当にこんなボロ家に女が一人で住んでんのか?」
「見た奴がいるんだよ! なんかボロいアンドロイドと女しかいねぇんだって」
「まぁ空振りでも構わんさ。畑があるってことは少なくとも人は住んでる。何かしら頂くことはできるだろ」
「へーへー」
粗野な会話に身が竦んだ。体がガタガタと震え始める。彼らが何を目的としているかが分からないほど、子供ではなかった。
ちらりと充電ドックの
だが。殺すだけの機能に生き方を教えてくれた、と笑った、あの歌が好きな
台所を漁り、包丁を手に取った。窓から差し込んでくる僅かな月明かりが、ほぼ使われていないがゆえに鋭利さを失わない刃をきらめかせる。両手で握り、それを人に向けることを想像して、レイラは顔を歪めた。
音を出さないようにそうっと包丁をシンクに入れて、代わりに分厚い鉄のフライパンを握りしめる。ガチャガチャとドアの鍵を無遠慮に弄る音がし始めた。息を潜めてダイニングテーブルの下に潜り込む。
苛立ち紛れに蹴り飛ばしたような扉の音がドン、と響いて、少女はぎゅっと目を瞑った。二度、三度とそれが繰り返され、蝶番が軋む。半年間この居間を守ってくれていた扉は、四度目を耐えることが出来なかった。木の破片と共に、勢い良く扉がぶち破られる。
暗い部屋の中を、バタバタと3組の靴が駆け抜け、真っ直ぐベッドに向かった。薄い上掛けが投げ捨てられ、はらりと床に落ちる。
「いねぇじゃん!」
「だが空き家って感じでもないぞ。探せ」
ぎゅっとフライパンの柄を握りしめて、動き回る足を睨みつける。狭い部屋だ。見つかるのはすぐだった。
「いたぞ!」
腕を掴んで引きずり出される。狭いダイニングテーブルの下では振りかぶることも出来ず、結局フライパンは何の役にも立たなかった。
「離して!」
「ばーか、お嬢さん。ここで離すヤツぁ人んちに押し入ったりしねーの」
華奢な手から引き剥がしたフライパンを放りながら、男がニヤニヤと笑う。ベッドまで半ば引きずられるように連れていかれ、乱暴にマットの上に投げ出された。体勢を戻す前に男の体が圧し掛かる。無造作に義足が引き抜かれ、神経接続を無理に切断された痛みに喉がおかしな音を立てた。
恐怖が心臓を鷲掴む。救いを求めた喉が、
「……ぁ」
「あぁ? 何だァ?」
身体に覆い被さって服の襟元に手を掛けた男が、怪訝そうな声を出す。圧し掛かったその重みが、自分を守って死んだ父のそれと重なった。喉の手前まで上がってきていた起動コマンドを飲み込む。ここで彼の手によってこの男が物言わぬ肉の重さで自分の上に落ちてきたら、たとえ生き残ったとしてもこの先生きていける気がしなかった。
胸元の布地が音を立てて裂けていく。ぎゅっと目をつむり、肌の上を這い始めたざらつく掌の感触を、なんとか遮断しようとした。
淡く息を吸い込む。魂が穢されていくような気がした。目の端に涙が浮かぶ。この小さな一言なら、言っても許される気がした。
「たす、けて……」
ほとんど音にならない掠れた声。女の体の感触を愉しんでいた男が、一瞬目を丸くしてからけたたましい声で笑い始めた。
「助けてだってよぉ! だァれが助けてくれるんだぁお嬢ちゃん! こんなド田舎のよ――」
唐突にその声と体を撫でる感触が止まる。
ぼと。ぼと。剥き出しになった少女の腹の上に、腕が二本落ちた。
狭い室内を一陣の風が吹き抜ける。腕を失った男の体がダイニングテーブルの脚に叩きつけられる音と共に体の上から重みが消え、代わりにふわりと抱き上げられた。猥雑な悲鳴が耳を刺す。
「キ、ラー……?」
どうして。そう目で問いかけた少女の頭を優しく撫でて、
「"助けて"を私の起動コマンドに設定していたんです。貴女は夜によくその言葉を発しながらうなされていたから」
そっと床に降ろされたレイラは唇を噛んだ。そんなところまで見ていてくれたのか、という喜びと、これから起こるであろう殺戮の絶望が胸を焦がす。
「やりやがったな、ポンコツ!」
呆気に取られていた侵入者が正気を取り戻した。乱射された銃弾を、
「バカやめろ! クソ、何がボロいアンドロイドだ! こいつは
「だめ、殺さないで!」
「……っ、承知しました、我が家のお嬢様!」
赤錆色の風が部屋を駆け抜ける。何処かと連絡を取ろうとしているのか、端末を操作している男に鋼鉄の身体が肉薄した。ナイフが一閃し、手首の腱を切られた男が通信機を落として絶叫する。
「うわああああ!!」
先ほど跳弾を食らった男が、恐怖にかられて再び銃弾をばら撒いた。その全てを装甲で弾いて、
ぱぁん、と鋭い破裂音が部屋に響き渡る。ピンを咥えたまま、男は仰け反ってどさりとくずおれた。じわじわと赤い液体が掃除の行き届いたフローリングに広がっていく。
「ぁ……」
少女の声が震える。
「すみません。言いつけを守れませんでした」
起伏のないフラットなバリトンが謝罪の言葉を紡ぐ。違うの、と言いかけたレイラの声を遮るように、開け放たれた扉の向こうから数台の車両が砂利を噛む音が流れ込んできた。少女の表情がぐしゃりと歪む。
無機質な瞼が動き、優しい表情で平坦なバリトンが言った。
「大丈夫。私は貴女の
「まって」
伸ばした指は赤錆の色に届かない。扉の外に消えていく背中をただ見送って、少女はぺたんと座り込んだ。扉の外から怒号が聞こえる。
「いたぞ
悪意と害意が、身体の芯を凍らせる。レイラは強く目と耳を塞いで座り込んだ。塞いだ耳のその奥からは、骨を揺さぶる戦闘音が絶え間なく聞こえている。
どれくらいそうしていただろう。いつの間にか戦闘の音は止んでいた。レイラはずるずると身体を引きずって打ち捨てられた義足を回収すると、それをコネクタにはめ込んで恐る恐る外に出る。
そこは暴力と悪意のハリケーンが吹き荒れた跡地だった。おびただしい血が荒れた大地を染め上げ、そこかしこに壊れた肉体が散らばっている。むせ返るような血の匂いの真ん中に、ボロボロの
「キラー? ……っ」
恐る恐る近づいたレイラは、それが座り込んでいるのではなく、体の部品の大半を失っているだけだということに気付く。
いつも美味しい料理を生み出していたはずのナイフが、血に塗れている。熱を失った熱線カッターには、黒く焦げた肉片がへばりついていた。歌に合わせて楽しげに揺れていた腰から下は、丸ごと吹き飛んでいる。
少女はぺたりと膝をついた。引き裂かれた夜着の裾が、どす黒い赤を吸い上げていく。
「WD-4058、
「キラーで、構いまセ、ンよ、我が家ノ、お嬢サマ」
そう言った
夜が明けていく。登り始めた太陽の光が、少女の白い頰を赤く染めた。
「ごめん、ごめんな、さい。ごめんなさい。私、あなたに。ありがとうって、言わなきゃいけなかったのに」
「あア、顔が、ぐしゃグしゃデす、よ」
ひしゃげた銃口が、少女の頰を柔らかに撫でた。モーターの唸る音を混ぜ込んで、ひび割れたバリトンが歌う。
「俺た、チャ不死身の兵隊サ、今日モ元気にBANG、BANG、BAN、G……」
レイラは
「どうか笑っテ、
穏やかなメロディが、少しずつゆっくりになって。無機質な目の光が二、三度瞬いた後、
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
兵装は、彼女が怖がるからと幾つも外していた。生活に便利なものは残していたけれど、大半の兵装は畑の横の倉庫で埃を被っている。
弾薬も最低限しか積んでいなかった。たまに害獣を撃つだけの機能に、満載は不要だ。軽くしておけば電力の節約にもなった。
回路が動かない。ばちばちとあちこちから火花が散っている。なんとか扉は死守したはずだが、彼女は無事でいるだろうか。
彼女の呼ぶ声がする。起動しなければいケない。なぜ今更型番で呼ぶのだろう。久しく呼ばれていない型番は、自分の識別子としてうまク機能しなかった。いつも通りの
泣いている。危機は去ったのに、とテも悲しそうで、ひどク怯えた顔をしている。生体情報をスキャンした。ストレス値が高い。昨日、歌を聞かせた彼女のストレス値が下がっタはずだった。かつて部隊を取りまとめてイいた
彼女が泣いテイる。思考回路が回らナい。リプレイが歌詞を紡ぐ。私のオ嬢様。最近良く表情が変わるようにナった。笑ったり、怒ったり、拗ねたり、……泣いたり。
ノイズが、ひドい。データが、破損してしマ、う前に、これ、だけハ、保存シシて、おかナ、いト。
――ぷつん、と意識が、途切れる。
ブラックアウト。
「WD-4058、
彼女の呼ぶ声がする。起動しなければいけない。システムチェック。
彼女の表情のデータは……
「おはようございます、ミス・レイラ」
今日は昨日の開墾の続きをしなければ。猪肉の保存作業もタスクリストに載っている。朝食はラップサンドの約束だった。
「おはよう、キラー」
白い部屋に佇む彼女は、泣きそうな顔で微笑む。それは集めて並べた彼女のデータと、どこか差異があるような気がした。見慣れない白衣を着たその姿をスキャンする。
「随分と、髪が伸びましたか。背も少し大きくなったようですが」
ケアロボット・アプリケーションのライブラリに問い合わせても一晩で背や髪が伸びる事例が見当たらない。ポニーテールに結い上げた髪をぽりぽりと掻いて、彼女は肩を竦めてみせた。
「随分と時間が経ったから。話したいことがたくさんあるわ。ラップサンドでも食べながら、ね」
―完―
戦争機械は朱の空に唄う 新井狛 @arai-coma
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