第4話

第零師団の冬はよく冷える。古い建物が多いせいか、宮殿の地下に造られたせいで冷気が逃げて行かないからなのか。とにかく、室内いようと外にいようと東京の冬空よりは寒い。そんな寒すぎる第零師団の冬は調理場が最も忙しくなる時期でもある。そんな忙しい調理場に1人、彌也子は佇んでいた。東雲との戦いの後、再びご奉仕ライフを送っていた彌也子はさらに料理の腕前を上げていた。物覚えの早い彌也子はたった2週間でありとあらゆるレシピを身につけ、クリスマスにはチキンとケーキ、大晦日には大量の年越し蕎麦、そして正月には重箱十段近くに詰め込まれたおせちと、年末年始の食事を作り続けていた。そしてついた二つ名は「調理場の王」だった。そんな王は今、極寒の第零師団から皆を守るための作業に取り掛かっている。それは、おでんと肉まんだ。普段の差し入れであるおにぎりも炊き立てのご飯を握っているとはいえ、彼らのもとに行き渡る頃にはかなり冷めてしまっている。そこで思いついたのが肉まんだった。一度に大量に調理ができ、食べやすさはおにぎりと変わらない肉まんなら間違いなく人気が出ると彌也子は確信していた。そして案の定大ヒットし、「調理場の王」の名は瞬く間に広がった。そして今日も肉まんを蒸している。その隣ではおでんの下準備が始まっていた。我ながら調理と鍛錬の繰り返しの生活、よく飽きないものだ。などとぼんやり考えながら蒸し上がるのを待つ。ちなみに今は数学の問題を解いている。「将来役に立つから〜」と渡されたこの問題集、中学生向けのものですが?私、中学生なってないですよ?1人で送り主に文句を垂れる。もちろん送り主は「あの人」《鳴廻梓》だが。悪態をつきながら待つことしばらく、肉まんが蒸し終わった。全部まとめて皿に乗せ、鍛錬場を目指す。鍛錬場には馴染みのメンツが揃っていた。いつも通り談笑しながら肉まんを頬張り、また調理場に戻る。大根に味が染みたのを確認して一旦保温したまま調理場を出る。午後からは鍛錬の時間だ。おでんの最終的な調理は他の人に任せてあるので時間を気にせずに剣を振るう。日が暮れれば解散の時間だ。シャワーを浴び、夕飯までの短い自由時間を満喫し、食堂へ向かう。昼間下準備をしておいたおでんを皆で食べ、「調理場の王」ともてはやされ、部屋へ戻り日記を書き、就寝。何もない日常も、まぁ悪いものじゃない。

季節は巡り、春となった。3人は士官学校の生徒として新たなスタートを切った、ということも無くただ、今までと変わらない鍛錬に明け暮れた日々を送っていた。一つ大きく変わったといえば、任務で第零師団の外に出ることが増えたということだろうか。一応士官学校は国立の高等学校とされているため、今までの学生でも軍人でもない立ち位置からは開放され、学生として認められるようになった。つまり、彼らには学生の本分である勉強が課せられ、鍛錬と任務の間の時間に遊ぶ自由は認められず、寮の居間で勉強するほかなくなった。そしてまた、今日も勉強に明け暮れていたのだった。東雲孤月によるテロ事件以降、特段大きな事件が起きることなく2年近くが過ぎようとしていた。彌也子たち3人はもう間も無く士官学校卒業を控えていた頃のことだった。2年の沈黙を破る、混乱が幕を開けた。

明け方の第零師団に届けられたのは1つの便箋だった。そこにはただ一言、

「鳴廻梓、消息不明。」

とだけ綴られていた。送り主は鳴廻家だという。師団に駆け込んできた使用人から便箋を受け取った佑華院は即座に師団内、各班長を呼び出し、鳴廻の失踪を内密に処理するよう命じた。前線指揮の要である彼の失踪が明るみに出れば師団の統率が取れなくなるのは火を見るより明らかだった。

それは、いつもと変わらない朝だった。いつもと同じ時間に目を覚まし、いつもと同じ朝食を食べる。いつも通りの身支度を整え、部屋を出て、教室へ向かう。変わり映えのない朝だった。教室には馴染みの2人。出会って2年、何度も共に戦った仲間。年は違っても、そんなことは関係ないと胸を張って言える。そして側には、いつも先生の姿があった。何も変わらない風景、それが彌也子にとっての幸せだった。今朝も、そんな変わらない1日が訪れようとしていた。–––ただ一点を除いて。

妙な雰囲気を感じながら、彌也子は教室の扉に手をかけた。そこに師の姿はなく、女性が1人、佇んでいた。佑華院伊織、鳴廻梓の姉弟子であり、若くして総司令部に配属された天才。なぜ彼女がここに?疑問を抱くうちに、櫻子と黎亞も教室に現れ、自然と席についた。誰もが異常事態を察する中、佑華院はここで初めて口を開いた。

「…鳴廻梓は行方不明となった。これは一部の人間にしか知らされていない事実だ。だから決して口外しないでほしい。それから、本来、君たちに伝える必要はないと通達は来ているが、私の独断で伝えようと思う。–––は失踪なんかしていない。ただ、死んだんだ。勝手に責任なんか感じやがって…。」

冷静だった佑華院の声は徐々に感情が昂り、震えるようになった。

どうして、何のために、誰のために?何も理解できなかった。先生が何に責任を感じたかなど分かる術はなかった。それでも、教えて欲しかった。愚痴をこぼすでも、憤るでも、何でもよかった。ただ、知りたかった。なぜ鳴廻梓は死を選んだのか。言葉になったかはわからないが、話は1ヶ月前に戻った。

鳴廻は古き時代より陰陽術、近現代では魔術の大家として栄えた名門中の名門。とはいえ、現当主の梓は当主としてはまだ若く、一枚岩とはいえない状況だった。彼が継ぐ前より、親当主派と反当主派の派閥争いが水面下で勃発していたが、当時まだ20歳過ぎの梓が当主となったことにより、対立は深まっていた。そして、先月、反当主派の過激派によって事件が引き起こされた。梓のいない隙を狙ったこの事件は、彼の妻と幼い子供2人を人質として、梓に当主の座から降りるよう圧をかける、というものだった。しかし、梓の妻、シオンによってその策は失敗に終わった。魔術師の家系に生まれ、結界術の才能を持った彼女は我が子と自身を覆う結界を展開し、襲撃に応戦した。それが仇となった。シオンによって限界まで硬度を高められた結界には傷一つつけること叶わず、襲撃者の目的はシオンたちを人質にとることから、結界の破壊、ひいては彼女の殺害に変貌していた。

急報を受け自邸に戻った梓の眼前に広がったのは、妻の亡骸と怯える幼い双子の姿だった。

「そもそも梓は当主の器なんかじゃない。優しすぎるんだ。反発勢力を潰し切ろうとできなかった。だから、大切な人を喪った。少なくともあいつはそう感じていた。だから責任とか言って戦い続けて、死んだんだ。誰1人、責任を問うた覚えはないのに。とはいえ、あいつのことばかり考えているわけにはいかない。あれが当主になったのは相伝魔術を持っていたからだ。双子の、確か女の子の方が同じ魔術を持ってるはずだ。少し様子を見てくるよ。君たちはここにいても、外に出ても大丈夫。当面の間は士官学校は動かないから。任務も入らないように調整しておくよ。」

そう言って佑華院は教室を出て行った。誰からともなく教室を去っていった。

それから1週間は何もできなかった。最初は死を認めたくなかった、というよりは理解が追いつかなかった。徐々に実感が湧いてきて胸が締め付けられた。けれど、前に進まなくては。鳴廻はいつも、前を見ていた。そして、「大切な人を喪ったら、まずは泣け。気持ちの整理がつくまで泣いたら、あとは笑え。あとは時々思い出してあげるんだ。」そう言っていた。泣いたら、そのあとは笑う。ならば前を向かなくては。彌也子は決心し、佑華院の元へ向かった。

「先生になる、か。いいと思うよ。」

彌也子の決意を聞いた佑華院はそう言ってメモとペンを出した。そこに書かれていったのはこの先の進路だった。

「まずは士官学校《ここ》を卒業したら高校に入る。手配はこっちで済ませておくよ。そして大学で教員資格をとる。士官学校の教師なら専門の大学があるからそこに行こう。最速でも7年かかるけど、覚悟はある?」

問いかけに首を縦に振る。そこからはあっという間だった。

士官学校卒業の日。3人は慣れ親しんだ教室に別れを告げた。師との思い出の残るこの教室は当面は閉鎖してもらうことが決まった。あの日々のまま、彼はここにいる、そう願ってのことだった。これから3人は第零師団所属のままバラバラの道へ進む。彌也子は教師となるために高校へ。櫻子は隊士として戦いながら短大へ進み、黎亞は実家に戻り、しばらくは数年間放置していた後継問題の解決に尽力するという。次に会えるのはいつかわからない。もしかすればこれが今生の別れかもしれない。それでも、最後は笑っていたい。3人からは自然と笑いが溢れた。いつか、もう一度ここで会えると信じて。それぞれの道へ、歩みを進めていった。

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ようこそ、陸軍第零師団! 露杜 翠華 @snow_emblem

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