第3話

 東京、新宿。普段は人で溢れかえるこの地も、民間人の気配はないに等しい。また一体、目の前を通る。迷わず斬り捨てる。この作業を何度繰り返したことか。師の見立て通り、全ては陽動なのだろうか。邪念が頭をよぎりかけるのを振り払い、再び集中する。次に集中が途切れたのは、携帯の通知音だった。携帯を投げ捨てそうになりながらも持ち場を離れ、師団本部を目指す。道すがらに黎亞と合流し、恐ろしく遠く感じる本部への道を駆ける。間に合え、間に合え、と祈りに近い叫びをあげる。鳥居はもうすぐ見える。


 第零師団敷地内の静寂を破ったのは、けたたましいほどのアラート音だった。ついに現れた。気配を察知し、佑華院とともに部屋を出る。玄関の目の前には10日前と同じ姿をしたあの男が立っていた。男は掌に息を吹きかけ、異形を形作る。その数に圧倒され、佑華院と彌也子は互いの腕が届かないほど引き離された。何度斬れど、異形は数を減らすどころか、その勢いを増していた。気づけば佑華院の姿は見えなくなっていた。

 「チッ。大人しくしていれば良いものを。貴様は制圧の対象外だと言っただろう。黙って着いてくるならば貴様に一切の手出しをする必要はないというのに。」

 「私にそれはできない。先生もみんなも戦っているのに私だけ戦わないなんてできない。たとえ父さんの知り合いだとしても、あなたの言葉は信用できない。」

 その答えを待っていたかのように男はさらに異形を生み出した。彌也子は後退りしかできず、間合に入ることはおろか、近づくことすらできない。片っ端から異形を斬り伏せ、距離を詰めようとする。切先が男の喉を掠めようとした時、突如、足元が不安定になった。受け身を取りきれず、地面に腕を強打する。その弾みで剣を手放してしまった。圧倒的強者を目の前に丸腰となった。絶体絶命の彌也子に数多の異形がのしかかろうとしたその時、凄まじい速度の“何か“がその異形を粉砕する。射線を辿ると、そこには鳴廻の姿があった。

 「ふぅ、危ないところだったね。5分だ。5分で取って戻って体制を整える。いいね?」

 力強く頷いた彌也子は剣が吹き飛んだであろう方向へと走っていく。その姿を確認した鳴廻は問答を始める。

 「2年前、お前達は何を企んだ。人類の排除か?妖の保護か?……どのみち、あの日、我々に看破された時点で敗北は決まっていたこと。それをなぜ今更。」

 「フッ、分かりきった事を。よくもまぁ白々しく言える。あの男と関わっていた以上、知らないなどありえんことだ。あれは反逆者だ。故に––––。」

 「もういい。目的は果たした。あとは黙って戦え。」

 男の言葉を遮って、鳴廻は攻撃を仕掛ける。光よりも速い、いかづちの魔術。間合いに入り込む異形を貫き、近づいていく。貫かれた異形は断末魔を上げることすら許されず塵となっていく。鳴廻を遮るものが消え去った時、彌也子が剣を手に戻ってきた。

 「佑華院さんは指揮に回りました。伝言です。『好きなだけ暴れとけ。』と。」

 その言葉を聞いた鳴廻は選手交代と、彌也子とタッチをし、去っていく。「真名看破は任せる。全部書いてあるよ。」そう耳打ちし、どこかへと消えていった。掌に貼り付けられた付箋にはあの妖の真名と看破の方法が書かれていた。一度ポケットにしまい、切先を向ける。鳴廻によって多少追い込まれた様子の男は丸腰で彌也子と対峙する。圧倒的強者を目の前に、彌也子は震えが止まらなかった。けれど、こいつの目的は私だ。私がやらなくて、誰がこいつを倒す?足に力を込め、歩き慣れた石畳を蹴り飛ばす。勢いのまま剣を振りかぶり、刀身を力づくで叩き込む。手応えは感じた。反動で後ろに飛び跳ね、前方を確認する。確かに剣はその体を斬り裂いた。が、目の前にはかすり傷ひとつない男の姿があった。男は呆然とする彌也子を見下し、拳を振り下ろそうとした。その時、

 「我が刃に告ぐ、『射抜け』。」

 その声と共に1本の弓が男の方を正確に射抜いた。矢の軌道を辿るとそこには変わらない仲間の姿があった。

 「ギリギリ間に合った、みたいね。じゃあ一旦交代よ。せんせーから、渡されてるんでしょう?」

 「これが終われば士官学校が再開される。僕たちは、生きて学友になるんだ、そうだろう?」

 櫻子と黎亞は笑って彌也子の前に出る。彌也子は後方に隠れ、鳴廻から受け取った付箋を確認する。真名看破、妖にとって弱点とも言える真名を縛ることでその能力の大半を封じ込める手段。付箋に書かれていたのは簡易的なものだというが、それでも十分にあの男を封じ込める。2人が稼げる時間もそう長くないだろう。彌也子は迅速に、確実に手順を頭に叩き込む。

 彌也子が後方へ弾いたのを確認すると、櫻子と黎亞はそれぞれ武器を構えた。

 「随分と私たちの仲間やってくれたじゃない。これでも私、結構怒ってるから。本当はミヤちゃんにトドメは刺してほしいけど、もし倒せちゃったら、ごめんね。–––疾風迅雷・高嶺颪しっぷうじんらい・たかねおろし。」

 頭上から振り下ろされる薙刀は風を纏い、周囲を吹き飛ばしながら矛先を地面に叩きつける。足元を吹き飛ばされた男の体は宙を舞う。そこへ、すかさず一矢報いる。

 「逃すか…!『止めろ』!!」

 風に少し煽られながらも矢は正確に男の肩を射抜く。

 動きを封じたところに彌也子が戻ってきた。その目に躊躇いはなかった。

 「ありがとう、2人とも。私も頑張ってみるよ!」

 一度深呼吸をし、乱れた息を整える。突き立てた剣を中心に魔法陣が展開される。そう、目の前にいるのは人の形をした怪物。人類の、私の敵だ。今、絶対に倒す。

 「『我が名と、始原の天秤の名において、簡易看破、東雲孤月、汝の身を縛らん』!」

 詠唱の声に呼応し、地面から数多の鎖が伸びる。その鎖は男––東雲孤月を捕らえ、身動きを取れなくする。彌也子は突然の脱力感からその場に座り込んだ。櫻子は彌也子の元へ駆け寄り、黎亞はこれでもかというほどの護符を東雲の体に貼り付ける。程なくして、新宿に待機していた全戦力が帰還し、東雲は地下の独房へと連れて行かれた。その夜は話が進展することもなく、彌也子たちは解散となったが、初めて人に刃を振るった日だ。異形を相手にするのとは話が違った。1人、ベッドの中で眠れぬ夜を過ごした。

 あの夜から数日が経過した。彌也子たちは鳴廻のもとに集まっていた。

 「3人とも、お疲れ様。君たちのおかげで今回の首魁を生け取りにすることができた。詳しい話はできないが、奴の動機はやはり人類の排除ということだ。一応協力関係にあるやつは他にもいるらしいが、各地で各個撃破の連絡が来ているからこっちは問題なさそうだ。さて、ここからが本題だが…。」

 そう切り出されたの3人の今後だった。鳴廻預かりとなっていた彌也子は今回の功績から正式に第零師団への所属が決定した。さらに3人揃っての昇級も決まった。そして、この10年近く閉鎖状態となっていた士官学校の正式な再開が決定した。これは10年間停滞し続けていた第零師団の、ひいては魔術界にとってとても大きな一歩となる。動きを止めた大きな歯車たちが再び動き出すのだ。鳴廻は嬉々として語った。彌也子にその重要さは理解しきれなかったが、きっと良いことなのだろうと思うと、自然と笑みが溢れた。士官学校は、春から始まる。

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