昔語り〜漫画同人誌の頃

源公子

昔語り〜漫画同人誌の頃

 お盆の後の倦怠感。過ぎ去りし越し方を思い、メモを取る。


 来月68歳になる。何もやりたいと思わない、何も欲しいと思わない。

食べるものさえ舌が変わって、好きだったものが食べたくなくなる。もう要らない。

 何もかもがめんどくさい。やめてしまいたい、楽したい。


「歳も歳だし、疲れたからもう書くの辞めたい」

 なのに私の中の何かがこう言う。


 ――まだダメ――


「堪忍してくれよ……」

 気晴らしに夜アニを見まくっている。



『同じ時を過ごそうと、同じ景色を見ようと、私とあなたの胸の内にあるものは決して同じではない』

 アニメ「モノノ怪」の「のっぺらぼう/後編」のセリフ。


 大好きな母親に喜んでもらいたい一心でいつも自分の心を押し殺し、母親の道具となって好きでもない武家に嫁ぎ、虐げられ苦しむ娘、お蝶の話。

 最後に自分の本当の姿に気づいたお蝶の言葉は『私ってバッカみたい』。

 そうして戸を開け、お蝶は自由に飛んで行きました。


 それを繰り返し見ながら、「ああおんなじだ」とため息をつく。


『私、重宝されてました。何でも押し付けてやらせれば勝手に頑張るから、使い勝手がいいって』アニメ「ラーメン赤猫」のセリフ。

 

 漫画同人誌時代私は便利な表紙屋だった。コミケでずらりと並べた同人誌の、私の表紙の号だけ(表紙欲しさに)瞬殺で全部売れる。そのくらい絵だけは描けました。

 友人のプロデビュー作(32P)舞台がニューヨークの漫画の背景、13時間で全て書いた。時間がなくてペン入れ間に合わず、アニメのセル画みたいな完璧な下絵を描いて「この通りになぞって描くんだよ」と指示して、朝イチのバスに飛び乗って出勤したこともある。後日「ニューヨークの雰囲気がすごく出てた」と褒められたそうだ。


 お付き合いで書いたB6の小さなカットさえ、勝手に表紙にされてしまうので、仕方なくちゃんとB4で、毎月4〜5枚描がなくてはならず、売上がかかっているので、手も抜け無い。(全て無料奉仕)みんなは気楽な高校・大学生。私は高校出て、実家で認知症の祖父の世話を母とみながら町の役場に勤めて(強制サービス残業当たり前、一円も残業代出ず)の中での執筆活動。いつも眠くて、よくトイレで意識なくしてました。


 その頃時代は萩尾望都。ホモ漫画(今のBL)創世記の時代。

 女の子に、ホモ漫画(BL)いうポルノが初めて解禁された70年代後半。

 あの頃はみんな鼻の穴広げて、フンフン言いながら食らいついてみてたからなあ。実に恐ろしい光景でした。時代ってやつです。

 私としては、ああゆうことは見えないとこで、二人だけで楽しくやってほしい。

 私、ホモもポルノも大嫌いなの。(そうなんですよ、シャーロックさん。個人の趣味は自由だからと思って、どうしても本音が言えなかったのです)


 あの時代、プライドのある漫画書きなら、「レディースかく位なら漫画書くのやめる」とゆう方が普通の感覚。皆、真面目でした。なのに「男同士の濡れ場」描け?

 ともかく流行で、猫も杓子もそれを書かないわけにいかない。同人誌の「お題」で出されるんですから。(いまだに『お題』と聞くと、トラウマで少し引き攣ります)


 仕方なく描き出したが、途中で「やってられるかバカヤロー!」になって、描いたネームの初めの3ページと、ラストの1ページ(ポルノシーン全てカット)仕上げて提出。それが受けた、死ぬほど受けた。

 自分で読み返してみて、ウッカリ『秘すれば花』をやってしまったことに気づいて愕然。キスシーンしか描いてないのに、やばい!

 と、いうわけで「ホモ漫画の名手」というレッテルを貼られて、作品依頼殺到。

 ストーリーものは絶対描かなかったけど、絵だけなら、ヌードデッサンは完璧にできましたから……きれいなポージングで誤魔化しましたが、何で男の裸なんて描かにゃならんのよ。本当はヘドでそうなくらい嫌だった。あの頃の私は、プロになる(創作)より友達が欲しい(交流)が、メインだったから。


 同人誌は女の世界。周辺圧力で言いたくても言わせてもらえない。どうしても周りの顔色を伺い、ハブられたくないから、自分の意見を殺すしかなくて。

 私はNOと言いづらい人間なので、いいように利用されてしまった。

変な人や、身勝手な人がたくさんいた。他人と付き合うのは辛いと思った。 


 わたしが描きたかったのはストーリー漫画だった。でも、すべての時間を仕事と介護と絵を描くことに取られて、もうストーリー漫画を描く時間は残ってなかった。14歳で初めて別冊マーガレットに投稿して以後、17歳で同人誌に入ってからは、まともな作品はほとんど書けなかった。アイデアなんていくらでもあったのに!


 そうまでして全ての時間を絵ばかり描いて守った漫画同人誌の世界。

 やがて「同人誌」と言うサークル活動は終わりを告げて、みんな消えて行った。

 後には描き散らした絵と、無駄に使い捨てにされた10年の時間が残るだけ。

 今は右肩を筋断裂してしまい、もう絵は書けない。


『ツァイガルニク効果=達成できなかった、中断してしまったことが強く、記憶に残る心理現象。「最後までやり遂げたい」と言う気持ち』


「何故、私は本当にやりたいことをしなかったのか」ただ後悔しかなかった。   一番腹が立ったのは、自分に勇気がなかったこと。他人の評価を恐れて、投稿するという、チャレンジから逃げてしまったこと。(時間がないは言い訳だ)

 だから還暦を期に、チャレンジをした。描けなかったストーリーを、書いたことさえない小説で書き、「100ページ作品を書いて投稿する」「お題を恐れる気持ちの克服・公募ガイド1年間投稿」「webに、投稿後の全作品掲載。どんな酷評も恐れ無い」2021年末、カクヨムに作品掲載。でもそこは……


web小説には2種類の価値観がある。

「創作こそが全て」=小説家になろう

「楽しく交流いたしましょう」=カクヨム

『カクヨムの圧倒的快適さの意味VS創作という観点/文字塚』内容圧縮、無許可掲載。ごめんなさい。


「しまった来るサイト間違えた、辞めたい」

 だけど、世話になってる従姉妹のNには止められ、(他にも数人に止められ)別のサイトを探す方法も(コロナ禍でパソコン教室に行けず)時間もなかった。

 カクヨムは、35〜50代のゲーマー男性8割。(少女漫画出身の私には無理!)

星取りとPV争いで、「異世界転生・なろう系」の売れ線のみに日が当たり、それ以外は書いても埋もれて「書くのは自由だが、読んでくれる人はいない」世界だった。


『閉ざされていると思えば「牢」になる。出たくないと思えば「城」になる』

 アニメ「モノノ怪」のセリフ 


 私はカクヨムを出るのを諦めた。

「時間が惜しい、目標の100ページ書き上げて書くのやめればおんなじだ」

 2022年末、目標の100ページ完成、コバルト長編ノベル投稿。(一次選考突破)これで書くの終了。(私はやり遂げた!)後悔という、心の膿出し終了だ。


 なのに、また止められた。(それも3人も)私の人生なのに何で他人が決める?

 成り行きで、また依頼作を書くことに。ああ、きっとまた漫画同人誌時代の二の舞になる。(なのに、何故書く気になったのか、今でも分からない)



 倒れるほどの無理をして、「魔法の国のシャーロックホームズ」仕上げる。

 さらに続編を求められて、(もう書く必要もないのに)年間目標を10万ページに増やす事で、何とか対応。その後依頼をしたシャーロックさんと、考え方の違いで対立解消。(ああやっぱり漫画同人誌とおんなじだ)


 そこまで苦労して書いたのに、カクヨムで最後まで読んでもらえたのは三人。

 自棄を起こして、5のウェブサイトに全作品を掲載(4月末〜7月15日)PV比較するという暴挙に出る。

……結果は意外に良い反応だったが、Webに疲れ果て、Web活動は事実上停止。


『私ってバッカみたい』


「決めた事だからやる」そう言って、一年かけて「ホームズシリーズ」13万字、老骨に鞭打って仕上げて、散々しなくていい苦労して、嫌な思いして。

 なのに、私は次の作品「扶桑樹の国」の資料探しと、プロット作成をずっとやり続けている。(まだだいぶかかる、最低でも半年は練り込まないと後悔することになるから)


 これを仕上げたってどうせまた最後に『私ってバッカみたい』って思うのに、何故続けるのか?


 多分「楽しい」から。キツかった、しんどかった、何度も倒れて寝込んだ。

 それでも、それを超える「楽しい」があったから、やめられなかった。


 だから決めた。「楽しくなくなった時がやめ時」それを私の絶対ルールとする。

 そしてその時は私が決める。他人には決めさせない!


 ああ、でも早くやめたいよ……(本音)

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