自責の念
「あれ。若干、水戸の表情が視認できる。」
後方を向くと、前方の景色と色相が異なっている。
「前方の景色が徐々に変わっていたようだね。前方は勝色、後方は漆黒。憶測に過ぎないけど、前方に光源がありそう。」
その光源とやらを網膜に焼き付けたら、満足してくれるだろうか。
俺が強く足音を立てて、走る。
すると、強い足音の数が増える。
鈍い足音に、謎の焦燥感を覚える。
恋人関係としている時間が長いほど、相性が良くなるという都市伝説みたいな話は本当なのだろうか。
「青の要素が強くなっている。光源の気配もする。」
確かに、右に光源があるような。色が均等でない。歪な景色だ。
「見つけた。」
水戸の声を合図に、身体の速度を落とす。
「此処が光源だったみたいだね。」
吐いた息の音の重圧感。
こんな経験が今までにあっただろうか。いや、ない。
窓のついた部屋。なぜか、この景色を懐古する。
「教室……?」
思考の隙を与えずに、水戸は扉を開ける。
「この建物は学校みたいだね。声の残響とか、建物の規模とか。なにかと納得がいく。」
教室を見渡している水戸を横目に、ズボンのポケットに手を入れる。
「『ははは』と笑われたら、死ぬ。」
紙切れに書かれた文に、背筋が凍ったのも一秒。しょうもない悪戯だ。
「ははは」
水戸の笑い声の音像が、身体のすぐ前にある。
寒気を覚え、おもむろに顔を上げる。
彼女の真顔と、赤いフルーツナイフ。
不穏な血腥さもある。
「……なにを企んでいる?」
状況も相まって、動かない真顔に狂気を感ずる。
「……よく見れば、乾いた血が壁についているな。」
水戸の表情が歪んでいく。
口角は上がっていても、純粋な喜楽は表していない。
「……煩い!」
教室では、あまり残響は聞こえない。
大声の音像もすぐに消滅する。
でも、息の音はずっと聞こえる。
強い焦燥感を覚える、息の音。
それを聞いて、酷い呼吸をする。
悪循環である。
「仕留めきれていなかった人が、凶器を隠しやがるなんてね……」
物騒な言葉、違和感の数々。
此処で、水戸が人としての活動を強制終了させるという禁忌に出ていたことは間違いないだろう。
「そんな奴だったなんてな。……さようなら。」
反感を買ったのか、フルーツナイフを振り上げた。
「わかった。動かないから落ち着け。」
正直、落ち着いていないことはお互い様である。
「抑、この行動の動機はなんだ?」
沈黙が心臓の音を意識させる。
「友達と公園で遊んでいたら、中学生が喝上げをしてきた。」
現在まで、聞いたことのないか細い声が耳に入る。
「その友達は、私を気にも掛けずに逃げた。」
この街は治安が悪いから、珍しい話ではない。
「そのまま、私は千円札を中学生に渡した。小学生の頃の千円なんて、大金。私は涙を流した。」
水戸の泣き声なんて、聞いたことがない。
「挙句の果てには『水戸奏って男みたいな名前。』って弄られた。」
確かに、奏は男性の名前になりがちだ。
「……私は友達に、強い恨みを覚えた。」
正面に冷めた顔。
「私、思ったんだ。」
フルーツナイフを持った手が、おもむろに下がった。
「大切な人には、逃げてほしくない。」
この台詞だけを切り取れば、最高の彼女だろう。
いや、最低の彼女にしたのは俺だ。
「はい、千円札。」
札の指触りが、心臓を煮る。
「同情だけでいい! 恋人に損失を与えたくない。」
水戸は純粋無垢だ。
純粋無垢な人を相手に逃げてはいけない。
わかったか、過去の俺。
「その逃げた友達、俺だ。」
心臓を刺された痛みも、自業自得だ。
好奇心と青色 嗚呼烏 @aakarasu9339
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます