疑念の意
彼氏の厄介、か。
「前進しながらで構わない。回答を返してくれ。」
どうやら、今の俺は正気の沙汰ではないらしい。
俺の要求に足音だけをならす行為は、とても合理的だった。
「俺は、お前の邪魔になっているか?」
彼女の足音の音像が、真横になるように移動する。
「……理解為難い発言だね。」
彼女の反応は最早、当然だった。
「お前は、俺を邪険に扱いたいかということだ。」
無言のおかげか、足音が繊細に響くようになった心持がする。
「馬鹿じゃない、文章の内容の理解は容易だ。そうではなく、彼氏の立場から今の発言がされているという事象。それが謎なんだよ。」
普通に思考を巡らせるなら、恋人は愛しあっている。恋をしているのが普通だ。
「希少価値のない上に、こんな彼氏だ。交際して、何の得になるのかが謎なんだ。」
足音だけの響く空間の雰囲気に、淡いフィルターがかかる。
「私も謎だ。小柳との出会いから、小柳に恋をするまでの時間は長くはなかった。」
水戸のハスキーな声音も、今では柔らかい。
この手の話は、水戸も小っ恥ずかしいのだろう。
「だが、私の身体が君の身体を求めている。君の姿形を脳で創るだけで、鼓動が激しくなる。ある意味、中毒だ。」
この謎の解明は難関であるものの、この謎の共感は容易である。
恋愛は中毒症状である。
意外と、その解答が誤謬ではないのかもしれない。
思春期は中毒症状に溺れ、その経験を大人になってから活用する。
「まあ、言い返せない。中毒症状なんかと、結んでほしくはないけどね。この気持ちは、純粋無垢な理由から発生していると思うし。」
自分の心を揺らす発言が自分の口から出るのと、足音が止まる時。
二つの事象が重なり、心に冷風を感ずる。
「恋愛を中毒症状に例えない方が失礼な気がする。今や、強固な恋のせいで望まれない妊娠。暴力や束縛だって、聞いたことある内容になっている。これらが通常の思考による行動なんて、反吐が出る。」
恋愛絡みの聞き心地の悪い報道が増えているのは紛れもない事実だ。
「水戸と小柳は、お互いの中毒。そして、中毒症状をお互いに預ける存在なの。」
苦い味が、口と鼻に広がる。
「なんか好ましくないな。その表現方法。」
水戸の鼻から抜いた空気が、こっちの体内に混入しそうだ。
「表現って言っても、これは現実。恨むなら、現実を恨んで頂戴。」
勝手に足音が現れ、足音の音像が離れていく。
「視界が不安感を覚えるものなのは、俺も変わんないんだぞ。一言かけてくれてもいいだろ?」
俺もしつこく、足音の音像の横に身体を動かす。
「ふと思ったが、この漆黒の中を闊歩できるのは何故だ。建物の構造が載っている電子掲示板でも閲覧したのか?」
水戸は俺より視力が低い。
俺と水戸を天秤にかけなくても、水戸は一般的に視力の低い方だろう。
「建物の構造を考えたら、憶測でも進める。」
一丁前に知能がある。
むしろ、感覚の鋭さかもしれない。
いや、知能は感覚にも影響を及ぼすのかもしれない。
そんなことは、どうでもいいか。
この体験から得る知識や教訓など、まずない。
さっさと巡回して、帰宅すればいい。
此処で、彼女の傍に自分の身体があることが喜びだ。なんて思えない。
そんな俺は、罪悪感を覚えるべきなのだろう。
「返事がないと、会話が不安定なんだけど。」
一の言葉に、十を返したい。
それはただのエゴイズムに過ぎなくて、迷惑になりかねない。
「申し訳ない。」
納得いかなかったが、口では謝っている。
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