好奇心と青色
嗚呼烏
度胸試し
「この建物に興味を示せない。くどい味を頭に描くのが、本当に容易だ。腐蝕を予想させられる。」
この悲惨さは、俺の過去を彷彿とさせる。
「
俺と水戸は、恋人関係を開始した時点が一年前の話になる。
「私は小柳より視力の数値が低いから、様々な感覚を身体で覚えたいという欲望がある訳だ。」
暴論だな。
彼女の好奇心は脳に効く毒素だ。
「腹一杯だ、口を閉じろ。」
だが、その毒素も庇護欲を擽る。
恋愛は中毒症状も発生させるのだろうか。
それが真実なら、俺は中毒者になってしまう。
恥を捨ててでも、自らの誤謬であることを祈る。
「私の万物に興味を示す性格に恋愛感情を自覚したのは、他の誰でもないだろう?」
二の句が継げないという程度ではないが、この話題に声を上げることが癪だ。
「……水戸だって、俺の好ましい特徴の一つや二つ。あるだろうが。」
風による、空間の振動の証拠。
それは空虚を揺蕩い、目の前を通り過ぎる。
「嗚呼、こんな話は非生産的だ。やめだ、やめ。」
沈黙を避けるつもりが、俺が度を失っただけになってしまった。
「抑、此処が名を馳せているのは何故だ。」
古臭さが香る建物に、二つの目線が刺さる。
「此処は悪霊が存在する、と名高い場所。死人も出ているとか、いないとか。」
突然の残忍な悪霊の話題に居た堪れない。
「……その悪霊は、どんな損害を齎すのが主だ?」
偽りのない言葉を胸の内で出すなら、古臭い建物に入る行為に風情を覚えるのは安本丹だ。
危機管理能力の著しい低下は、俺との恋人関係の快諾の前だ。
いや、空嘘かもしれない。
低下というほど、初期値が高くないという可能性もある。
「私も曖昧模糊だが、此処に度胸試しに来る奴は行方不明になるだとよ。あまりに滑稽だ。」
彼女の微笑から滲み出ている狂気。
「私と小柳だったら、絶対に窘窮しないだろう。」
操り人形ではなく、動かし人形になった俺。
「俺からの許諾もないのに、腕力で選択を葬ってしまうなよ……」
錫色から漆黒の光のグラデーションを、俺の身体が浴びた。
「闇より暗い。瞳孔がいくら大きくなっているか気になる。」
年季の入った廃墟だからなのか、光源がない。
細微な表情の視認はおろか、物質的な妨げの視認も不可能に近い。
皮肉を言っても、清い言葉ばかりに触れた耳の判断を確認できない。
「悍ましいものがあるじゃないか……」
水戸が、込み上げる驚愕に音を上げる。
「なんだよ……」
自分の声を受けるのは、理由のない嫌悪感を感じる。
残響が強いということは、民家が廃墟になったわけではないのだろうか。
無意義なことの片手間に推測していると、前腕が張力に操られていく。
「御覧なさい! 人形が屠られている!」
前腕が受けた張力と視線の矢印を揃えると、腹綿が煮えくり返った人形が認識できた。
なんてな。
「まるで、蝦蟇口財布から綿が出てるみたいだ。」
自分の心に吐いた冗談に呆れつつも、綿に人差し指の指先をつける。
「……あれ?」
指の腹が、縫い針の先端に触れたかのような刺激を受ける。
こんな刺激を綿が生み出せるわけがない。
その刺激の正体を把握するべく、二本の指の腹に刺激の正体をつまませる。
綿の鋭く擦れる音とともに、二本の指にかかる重力が纔かに強くなった。
「……どうかしたか?」
なんとなく前進していた水戸のものであろう足音が、強い残響の後に鳴り止んだ。
「……問題は無い。」
二本の指に挟まる紙切れのようなものは、毒にも薬にもならないだろう。
特別、報告はしなかった。
話の内容が発展することはないのに、何故か前進する足音が空間に広がらない。
「何故、留まっている。」
不可解に唆され、問い質した。
俺はむしろ、この建物に興味無いのに。
「恋人に距離を置いてほしい女性は珍しいと思わないか? ……もしかして、最近は私を女性と認識していないのか?」
水戸は惚気けるキャラクターではなかっただろう。
不意に放たれた一言が、心の虫を騒がせる。
顔が火照る。
俺の頬の薄紅は、漆黒に飲まれる筈だ。
「進もうか。」
手を前に出して、煽るように動かす。
改めて、この空間は漆黒だ。
勿論、空間にあるだけの俺らの視界も同様。
人差し指に、合成繊維の感触が伝わる。
水戸の位置が、俺の距離感覚に刻まれる。
「……なにをする。」
躊躇いを纏った声が、歪な存在となる。
「……何に対する疑問だ?」
現在までの自分の行動のおかしい点が分からない。
「なぜ、ヴィーナスラインをなぞるんだ。身体に嫌な感覚が残るだろう。」
人差し指が掠ったところは背中だったらしい。
「しょうがないだろ、ここは漆黒だ。」
三度目だが、ここは漆黒だ。
霊とか関係なく、ほぼ視覚が奪われているに等しいことに不安感を覚える。
「漆黒なら、私が咎めないとでも?」
景色と混ざって、冷酷に感ずる。
確かに、水戸の発言は道理にかなっている。
傷を負わせた者。加害者は、事実や悪意の有無でしか言い訳してはならない。
決して、状況の悪さを盾にしてはならない。
「そうだな、気持ち悪いことをした。申し訳ない。」
まあ、今回は饒舌に語るほどの大事ではないのだが。
「それで良し、早く進むよ。」
自分にとっての都合の良い発言で、水戸は上機嫌だ。
「外観からの推測だと、かなり部屋が多い建物だろう。全てを巡回する予定ではないだろうな。」
虫の知らせで、卒爾に言葉を吐く。
「嗚呼、勿論。興味を示したと言えど、彼氏の厄介にはなりたくない。」
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