エピローグ

「えっ、異動……?」

「ああ、もっと必要の大きな施設に行くことになった。もう君たちには逢えなくなるな」


 白衣の男が下した判断は、母子から物理的に離れるというものだった。最愛の息子の傍から離れるのは辛いが、元気になった母親に息子を託し、だれか結婚適正試験に合格した男と一緒になってもらったほうが幸せになれると白衣の男は考えたのだ。

 同僚の男の声は、白衣の男には届かなかった。


「息子を頼む」

「先生……」


 女の瞳が潤んでいる。これからの生活が心配なのだろうか。


「俺の部屋はこれからも君が使えるよう、手配してある。君は今後内勤の軍籍者として働く。遠慮なくここにいていいぞ」

「先生は、いつかここに戻ってきますか?」

「分からない。……君は俺に遠慮することなく、誰か他に良いやつがいたらそいつを頼れ」

「そんなの……。私の家族は、あの子と先生です!」


 女の悲痛な声が、部屋に響く。

 女は分かっていた。白衣の男が、かなり無理をして自分をこの部屋に置いてくれていたことを。

 民間人が使う大部屋に押し込むのではなく、設備が整った個室に置いてくれた上、男はマンツーマンで看護してくれた。最愛の息子の、生物学上の母親だからそうしてくれたのだと女は思っている。

 しかし、彼女は白衣の男を愛さずにはいられなかった。


「……ありがとう、その言葉だけで充分だ」


 女に礼を言う、男の目も潤んでいた。

 他人に対し冷淡で、共感性が薄く、自己中心的。良好な家庭を築くための人格を持ち合わせていなかったはずの男の心には、確かに女の言葉が響いていた。




 ◆




 白衣の男が、国境沿いにある軍施設へ異動してから一年半が経った。

 負傷兵が多く入院しているここの仕事は多忙を極めている。


『先生! そろそろお昼にしましょう?』


 男の机の上にある、スピーカーから声が発せられる。

 それは、息子の母親の声だった。


「先に食べていろ」


 男はそっけなく言葉を返す。


『えええ~⁉︎ そんなこと言って、またお食事を抜くつもりでしょう? 駄目ですよ、ちゃんと食べないと』

「……分かっている」


 女の声に、しぶしぶ男は机の隅に置いていた弁当箱を自分の前へ置く。そして端末をスタンドに立てかけると、カメラモードを起動した。


 端末の画面には、栗色の巻き毛の女性が映し出される。ひらひらとこちらに向かって手を振っていた。柔らかな笑顔に、それまで険しい顔をしていた男の表情が少しだけ和らぐ。


 女は白衣の男が自分の元から去っても、他の男を頼ることはしなかった。結婚適正試験に一発合格した彼女は息子を引き取り、男が元々暮らしていた部屋で息子と二人で暮らしている。軍施設に就職した彼女は女手ひとつで息子を育てていた。

 この春、息子は初等学校に上がった。


『あの子がね、初等学校のテストで百点を取ったんです』

「それはすごいな」


 白衣の男がこの女を断ち切れないのも、息子の情報が入ってくるからだ……というのは彼の言い訳だ。


 異動して一年半、女の提案で彼らは通信機越しに昼食を共にしているが、男はこの時間を楽しみにしてしまっていた。

 もはや、女のことが好きだという事実は、誤魔化しきれないところまで来ている。彼女の幸せを真に望むのならば、コミュニケーション能力に難がある自分よりも、他のコミュニケーション能力強者の同僚や部下に彼女を託したほうがいいのは分かっているのだが。


『先生、いつ帰ってくるんですか? 私もあの子も先生に逢いたいと思っています』


 画面に映し出される、寂しげな女の顔。

 眉じりを下げて前屈みになっている女を見ていると、触りたくて抱きしめたくて堪らない気持ちになってくる。


『つ、次の休暇にでも、帰る……』

『わぁっ! ほんとうですか?』


 このままではいつか彼女の笑顔に屈してしまう。

 男は負けを覚悟していた。




 実際、男は負けた。


 長期休暇時に女と息子の元に戻った彼は、母子に説得されてしまい、再度異動届けを出してしまう。

 元いた施設に戻り、息子の母親と定期的にコミュニケーションを取るようになった白衣の男は、それが功を奏したのか、三年後、結婚適正試験に合格する。

 晴れて彼は家族を持てることになったのだが、今度は女から『先生の赤ちゃんが産みたい』と提案され、すったもんだするのだが、それはまた別の話である。



 <おわり>


────────

お読みいただき、ありがとうございました。

最後に星の評価をお願いします。


《完》

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