僕の失恋について

千織

彼女たち

 恋をしたことがない。


 高校時代、誰を好きかと聞かれて、とりあえず誰かの名前を挙げようかと思ったが、好き=エロい目で見てる、なのかなとも思ってやめた。本当に好きなら、相手からキモがられてもいいが、大して好きでないのに相手を不快にさせるのは申し訳ない。


 僕は、そんな調子で大学生になった。同級生の女の子と仲良くなり、告白された。本人たちも、周りも、それが当然と思うくらい自然な流れだった。


 十代ならさっきのような遠慮もあったが、大学生ともなれば大人の好奇心もある。彼女だって、うまくいかなくなっても簡単には傷つかないだろう。そう思って、半ば実験的に付き合った。


 彼女は穏やかで、いつも機嫌がいい人だった。上品過ぎず、冗談も交わせる。雰囲気のおおらかさからは想像できない高さのヒールを履くのが好きだった。くたびれたスニーカーしかない僕のアパートの玄関に、高級デパートの緊張感を切り取って持ってきたようなヒールが礼儀正しく並ぶ。




 僕たちは、裸のままで何時間もベッドの中で話せる人たちだった。他愛ない授業の話、友達の話、バイトの話。喫茶店で話せるようなことを、わざわざ服を脱いで話す。


 彼女は、ベッドの中でも彼女のままで、友人らが言うような乱れるとかいう現象はなかった。僕の性技が及ばなかったのかもしれないが、僕のベストを尽くしているのだから、それはもう仕方ないと自分で自分を納得させていた。


 彼女は小柄だが、胸が大きく、性格の優しさもあってモテていた。彼女は、自分がアプローチされたことを全て僕に報告してくれる。だからといって、僕が彼らに特別な感情を持つことはなく、むしろ彼女に惹かれる気持ちに共感して親しみを持っていた。


 僕は僕で、さして取り柄はないのだが、その人畜無害さがいいのか、時々告白を受けた。いちいち断る面倒さから、彼女と付き合って一年経つ頃に、お互い指輪をつけることにした。魔除けみたいなものか。自分に好意を抱いてくれる人を、魔呼ばわりするのは失礼だが。自分に魔が刺さないように? 僕はその可能性はゼロだし、彼女を束縛するつもりもない。彼女に万が一、浮気心が出ても、彼女がいいならそれでいい。彼女の幸せを願いたいし、彼女を好きな相手はもはや僕のフレンドなのだから。


 そう考えてはいたが、結局、彼女が浮気をしている様子はなかった。デートして、僕のアパートに来て、なんら変わり映えしないセックスをして、だらだらとベッドの中で話す。そんな四年間だった。




 社会人になり、お互い都会に就職した。住まいを一緒にするか悩んだが、最初の二年はそれぞれの職場近くに別々に暮らすことにした。


 都会には、毎日がハレの日みたいな圧力がある。カラフルな広告が秒を置かずに回転し、飲み屋のグラスは宝石ばりに輝いていて、癒し系のカフェですら端々までオーナーのセンスが主張していて隙が無い。思っている以上にたくさんある公園には、木々や花がやっぱり整えられている。少しでも身近に自然を取り入れようとしている都会人の足掻きだろうか。それとも、僕たちみたいな上京組への慰めだろうか。


 彼女のヒールは、都会では全く普通だった。彼女よりスタイルがいい人、彼女より優れている人はたくさんいた。だからと言って、他に目移りするようなこともなかった。元々、恋愛体質ではない。職場では指輪はつけなかった。社会人の指輪は結婚指輪しか駄目なのではないかと単に思い込んでいたのだ。指輪が外れて、なんとなく誘惑されているのかな、と思う機会が増えたが、持ち前の鈍感プレイでそっと距離を置いていく。セクハラにうるさい時代に生まれて、良かったと思う。




 社会人三年目に入ろうとした時、彼女からオーストラリアに移住をする、と言われた。唐突だった。彼女はオーストラリアが好きで、住んでみたいとは言っていた。が、まさか、仕事に慣れてきた三年目に行動するとは思っていなかった。


 一緒に来る?と聞かれて、断った。都会暮らしですらようやくなのだ。海外なんてとんでもない。そう言うと、彼女はそうだね、と言って笑った。




 彼女は、初志貫徹でオーストラリアに移住した。今はSNSもあるから、遠く離れたという気はしない。毎日、メッセージのやり取りもするし、気軽に電話もした。でも、僕は服を着ている。服を着たままでも彼女と話せるんだ、となぜかしみじみ思った。


 一年が経ち、彼女から現地で彼氏ができたから別れてほしいと言われた。僕は承諾した。彼女のSNSを見たときに、汚れたスニーカーを履いていたからだ。




 フリーになった僕は、次に告白して来た人とは必ず付き合おうと決めていた。まもなく、取引先の年上で強気な女性に押し倒された。付き合うことになると、彼女は田舎育ちの僕に、都会の楽しみ方を教えてくれた。彼女は、笑顔が爽やかで、正義感が強くて、面倒見がいい。身長が高いのにさらに高いヒールを履く。歩き方はまるでキリンのようだ。


 オーストラリアの話が出たとしても、わざわざ彼女に思いを馳せることはなかった。彼女の幸せを願っているから……という高尚な理由でもないし、今カノがいるからというオスの事情でもない。彼女を好きだったのは間違いないが。


 無神経にも、今カノにその話をした。


「恋は執着という感情だから」


 今カノはそう言って、僕を試すようにニヤリと笑った。


 ならば、失恋とは執着を断念せざるを得ないことか。彼女への執着が未だ残っているとすれば、彼女にはあの田舎では目を引いてしまうような高いヒールが似合っていたのに、と思うくらいだ。


 今カノは僕の服を脱がすのが好きで、僕でよく遊ぶ。そんな彼女を眺めながら、僕は自分が何に恋しているかを考えていた。



(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の失恋について 千織 @katokaikou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る