第2話 関心のない女神

自分で言うのも何だが。あれからは一方的な戦闘だった。僕たちの10倍の数はいた男達は今や全員ヘカテの拘束魔法で綺麗に地面に並べられている。僕と戦った者は顔面や体が青痣や出血が多く見られるが、ヘカテと戦った者達は抵抗する暇もなく睡眠魔法でノックアウトされたからか目立った外傷は見られない。

当のヘカテはというと倒れた木に腰掛けて退屈そうに杖の手入れをしている。


「それで?殺せばいいものを温情で生かしてこれからどうするつもりだ?」


ヘカテは物騒なことを言いながら顎で男達を指し示す。男達は恐怖で顔を歪めながらビクビクと震えている。命乞いをしないのはそれが通用するような人間にヘカテが見てないからだろうか。まぁヘカテは人間ではないのだけど。


「とりあえず話を聞かないと。人を殺した時点で許されないことだけど念の為にね。」


そう言いながら僕は男達に襲われていた少女に向き直る。年は僕より少し下、だいたい14歳くらいだろうか?黄金のような金色の髪の毛が太陽を反射してキラキラと輝いている。大きな翡翠のような瞳は不安の色を見せながらこちらを見つめている。


「あの…あ、あなた達は一体…」


少女はおずおずとこちらに話しかける。先程の戦闘を見て怯えてしまっているのだろう。少しどもりながら口から出た言葉はかなり小さく覇気のない声をしていた。


「僕はカイン。この山で暮らしてるんだ。それでこっちがヘカテ。」


僕がヘカテを紹介すると少女は目を大きく見開いた。翡翠の瞳が大きく揺れている。


「ヘカテ…!?あの女神の!?本物!?」


少女は口を手で抑えそこから言葉が出なくなってしまったようだ。ヘカテが女神様なのは知っていたけどやっぱりすごい事だよなぁ。女神と一緒に暮らしているなんて。


「女神ヘカテ!?道理で強いわけだ!」

「女神と戦うハメになるなんて最悪だ…」


捕まった男達からも声が上がる。同情の余地はないのだが、まぁ、ご愁傷さま。

そう思っていると少女が恐る恐る声を上げる。


「あの…女神ヘカテ様…私、ウェンディ・ベルベットと申します。お会いできて光栄で…」

「ほう。私の許可無く名乗るか小娘。」


ヘカテが愉快そうに圧をかける。ヘカテの顔を見るに本気で不機嫌になった訳では無いのが分かるのでこの少女をからかっているのだろう。つい先程まで死ぬかもしれない状況にいた少女にする対応ではないがそこは女神様。気まぐれに人を弄ぶのだ。

声を掛けられたウェンディと名乗った少女は慌てて謝罪をする。


「も、申し訳ございません!とんだ御無礼を!お許しを!」


そして流れるように綺麗な土下座をした。あれ、貴族って結構誇り高いのでは無かったのでは?こんな腰が低いことある?まぁ相手は女神様だしそんなものなのか?

さすがにいたたまれなくなった僕はヘカテに注意する。


「ヘカテ。あんまりいじめないであげてよ。」

「なんだ?嫉妬か?ふふ、愛いやつめ。心配しなくとも私の愛はお前にしかやらぬぞ。」

「ありがたいけどそういう訳ではないよ。単純に可哀想になったんだよこの子が。」


反応の良いウェンディと、僕が嫉妬したと勘違いしたからか、いつになく上機嫌になったヘカテは今にも歌でも歌い出しそうだ。

このままでは話が平行線になりそうだ。もうすぐ日も暮れるだろうし、一旦家に帰ってしまおうか。


「ウェンディさん。ここで立ち話もなんですし、僕らの家に1度来ませんか?お茶でも出しますよ。」

「え、よろしいのですか?あなた…女神ヘカテ様の家に私などが?」

「おい、何勝手に決めておる。」

「別にいいでしょ。この子怪我もしてるし馬車も壊れてるんだしさ。」


ヘカテは少し不機嫌な様子だが、さすがにこのままこの子を放っておけない。


「ふん。カインに感謝するんだな小娘。」

「あ、ありがとうございます。」



ウェンディさんは恐る恐るこちらについてくる。


「あのぉ…」


捕まった男達から声が上がる。

余裕の無さから引きつった笑みを浮かべこちらを探るように話し出す。


「我々はどうなるのでしょうか?できれば見逃してほしいなと…」

「うーん。」


男達は雇われの身で仕方なく少女を襲ったと言っていた。しかし明らかに悪意を持っていたしなぁ。かといって命を奪うのもなぁ。

僕がうんうんと悩んでいるとウェンディさんが声を上げる。


「あの、この人達を許してあげてくれませんか?」


つい先程まで自分を殺そうとした奴らを許そうと提案してきた。これにはヘカテも驚いたのか口を開け唖然としている。


「何を言っている小娘。先程までお前を殺すだけで飽き足らず、その尊厳まで奪おうとした奴らだぞ?この一瞬で聖職者にでもなったのか?」

「いえ、女神ヘカテ様。この方々が行ったことを私は生涯忘れないでしょう。」


ウェンディさんは俯きながら呟く。その表情は見えないが複雑な感情の気配がする。


「この人達だって仕方なくやったはずなんです。きっと反省して正しい人になってくれるはずです。」


こちらを見上げたその顔は強ばっていた。彼女の中の怒りと恐怖、許し、善性。それら全てがぐちゃぐちゃに混ざったようななんとも言えない顔をしていた。


「…分かりました。当事者であるあなたがそう言うなら僕はもう何も言いません。ヘカテ。彼らを離してやって。」

「…」


ヘカテは僕の言葉を聞くと男達にかけた拘束魔法を解いた。


「この小娘の慈悲に感謝するのだな。」

「あ、ありがとうございます!」


拘束を解かれた男達は恐る恐るといった様子でその場を離れようとする。


「帰り道は向こうだ。山を出る頃には日が暮れているだろうが、お前達は夜には慣れているだろう?」


そう言ってヘカテは男達の後ろを指差す。帰り道を教えてもらった男達は足早にその場を立ち去って行った。

僕ら3人しかいなくなった後、僕達は家への帰路へとついた。



~~~~~




「改めて、この度は助けていただきありがとうございました。なんとお礼をしたらいいか。」

「いえいえ、そちらも大変でしたね。」


家に着いた僕はウェンディさんにお茶を出す。ヘカテが山で取ってきた野草のお茶だ。貴族からしたら飲むこともないものかもしれないが、今はこれしか出せるものがない。

ウェンディさんはちびちびとお茶を飲むがやはり口に合わないのか、お茶を少し飲むと飲むのを辞めた。


「ウェンディさん、無理して飲まなくていいですからね。普段から飲んでいるものと味が違うでしょうから。」

「い、いえ!そんなことは!ただ疲れてしまって…」


表情を窺うに本音半分気遣い半分と言ったところか。逆に気を遣わせてしまったようだ。


「あと、呼び捨てで結構です。」

「え、そういうわけには。」

「私は敬称をつけられるほど立派な人間ではありませんし、それにカインさんは命の恩人ですから。」

「しかし…」


こういう時はお言葉に甘えて呼び捨てにした方がいいのだろうか。こういった事は苦手だ。助けを求めて部屋の奥で本を読んでいるヘカテを見ると、チラリとこちらを見た後すぐに本へ視線を戻してしまった。

自分で決めろということだろうか。


「わかりました。ではウェンディと呼びますね。」

「ありがとうございます。」


そうしてウェンディの緊張が少し解けたのを確認し、本題へと入る。


「ところでウェンディはなんであんな目に?

あ、言いたくなかったら良いのですがこれからの動きを決めたいので。」

「いえ、大丈夫です。」


ウェンディは出されたお茶の水面を眺めながらぽつりぽつりと話し始めた。


「数日前、急に家に火を放たれたんです。父と母は私を何人かの従者と一緒に隣国へと逃がそうとしたのですが、道中で盗賊や獣に襲われてどんどん数を少なくして…」

「なるほど…」


聞けば聞くほど悲惨だ。突如として日常を奪われる。その苦しみと恐怖はよく分かる。


「それで、これからどうするんですか?」

「どうって…」


ウェンディは自分の体を抱きかかえるように自身の二の腕を掴む。


「…隣国の、〈アトランタ〉を目指します。父と母とはそこで合流する筈なので。」

「アトランタ…」


ヘカテから聞いた事がある。隣国アトランタ。海に面した国であり、僕らがいるこの国〈ガイアルム〉の隣の国だ。ここからはこの山を越えて都市を2個ほど越えた先にあった国の筈だ。


「アトランタを目指すなら結構遠いですよね?馬車も壊れてしまいましたし。」

「はい。ですが私は行かなければなりません。」

「歩きで行くなら何ヶ月もかかりますね。ウェンディさんは戦いができないでしょうから道中も…」


僕の指摘はウェンディさんも感じていたのだろう。顔がどんどん真っ青になっていく。

その姿を見ていると、


哀れだ。こんな小さな少女が何もかも奪われ、たった1人で進まないといけない。

哀れでならない。


「「あの!」」


僕とウェンディが声を出したのはほぼ同時だった。


「あ、カインさんから…」

「いえ、ウェンディから…」


そんな譲り合いをし、しばしの沈黙が流れる。

少しして同時にぷっと吹き出す。


「ふ、ふふふ。なんだかおかしいですね。」

「うん、そうだね。」


はにかむようにウェンディが笑い、深呼吸をした後、こちらをまっすぐと見つめた。


「カインさん。私を隣国まで護衛をしていただけませんか?」


翡翠色の瞳がこちらを見つめる。その瞳には先程までのおどおどした少女はいなかった。


「もちろん報酬もご用意いたします。今は手元にはありませんが、隣国にて父と母と合流できた際に報酬は絶対に支払わせていただきます。」

「…」

「虫のいい話なのは承知しています。ですが、どうか…」


ウェンディは頭を下げる。金色の髪が頭に合わせて動く。

僕はチラリとヘカテに目を配る。ヘカテはもう本を読んでおらず、足を組み、頬杖をつきながらこちらをただ見ていた。

ヘカテはいつも僕に過保護だ。鍛錬では容赦しないがそれ以外の時間は常に僕を心配し傍に付き添っている。

そして、僕の意見や行動を尊重する時はいつも、ああして僕を見守っている。

きっとヘカテは今日の戦闘を見て、確信したのだろう。僕はもう外の世界でも大丈夫だと。


「ウェンディ。」

「! はい!」


ウェンディに声をかけるとびくりとその肩を揺らす。

ここからでも緊張で唾を飲み込む音が聞こえた。


「その依頼。お受けします。必ずあなたを隣国に送り届けます。」

「あ、ありがとうございます!」


ぱぁと花が咲いたような笑顔を向けながらウェンディはこちらに感謝を述べる。そして安心したのか出されたお茶を一気に飲み干した。

苦味が一気に来たのか、うっとした表情を見せている。

なんで急に一気飲みを?


「すみません、お花を…御手洗はどちらに?」

「そこの扉を出て左の突き当たりですよ。」


そうするとウェンディはパタパタと部屋を出ていった。

残ったのは僕とヘカテだけだ。


「ヘカテはどうするの?僕だけ護衛に行ってヘカテは留守番しとく?」


僕の呼び掛けにヘカテはむすっとした表情をしながら答える。


「愚問だな。私がお前から離れたことがあったか?」

「ないね。ちょっとした長旅になるかもだけど、頼りにしてるよ。」

「ふん。」


ヘカテはそう言うと手元にあった本のページをパラパラと捲る。


「出発は明日の昼頃だ。それまでに準備をしておけ。」

「わかったよ。ウェンディが帰ってきたらその事を伝えてあげて。」


僕は席を立ち、出発の準備を始めるために部屋を出ていった。

明日から夢見た外の世界の旅だ。この山以外の、この世界の景色をたくさん見れる。

僕は期待に胸を踊らせながら部屋の扉を後ろ手に閉めた。




~~~~~




「ったく、散々な目にあったぜ。」


真っ暗闇の山の中を男達は進んでいた。カイン達に敗れた男達はヘカテの指示した道を歩み山を出るためにその歩を進める。


「落ち目の貴族の家を襲って殺す。連中が根回ししてるから俺達は捕まることは無い楽で良い報酬の仕事だと思ったのによ。」

「まさか女神ヘカテとその眷属に会うとはな…」

「どうするよこれから。依頼元にどう言い訳する?」

「そりゃお前このままトンズラよ。さすがに相手が相手だ。隣の国にでも逃げるとしよう。」


パキパキと地面に転がる枝を踏みながら、男達は進む。


「…」

「…」

「…」


そうして、全員がひとつの疑問を持つ。

お互いに顔を見やり、やがて疑問は確信に変わる。


「なぁ、俺達かなりの時間歩いたよな?」

「あぁ、馬車を追いに山に入った時より時間は経ってるはずだが。」

「やっぱりそうだよな。」


男達は足を止めた。止めてしまった。

それが始まりだった。



グチャリ



男達の中の1人がその音を聞いた。柔らかいものを力でそのまま無理やり押し潰したかのような、以前殺した、人間の臓物を踏み潰した時に聞こえた音に似ているその音を。


「?」


男が音の方向、つい先程まで自分達を殴り倒していた少年に殴られた場所がまだ痛むと嘆いていた仲間の方向を。


「う、」


そこにあったのは、


上から何かに押し潰され、、手や足、目玉が潰されて1つにくっついた平らな肉塊があった。


「うわあ」


その悲鳴は最後まで続かず、声を上げた男は突如としてその体を炎が包んだ。


「ぎゃあああああああ!!!!」

「なっ!?」

「なにがおこっ」


そして次々と男達は命を落とす。

ある者は氷漬けに、ある者は200もの肉片に切り刻まれ、ある者は濡れた布を絞るようにねじ切られた。

悲鳴と、肉と骨が砕け引きちぎれる音が木霊する。彼らの悲鳴はやがて夜の暗闇の中に溶けていった。

あとに残ったのは血と臓物、人間だったなにかの成れの果て。

そして、それを見つめる女神が1人。


「私とカインの領域。それを汚しておいて生きて帰れるわけなかろうに。」


パシャパシャと血の水溜まりを女神は歩く。

心底軽蔑した目で人間だった肉片を冷たく見下ろしながら女神は歩く。


「私の物だ。やっと見つけた私だけの。」


女神は頭上の月を眺める。それは自身を冠する夜の太陽。

ニヤリと口が三日月に歪む。


女神は少年を愛している。


世界など、少年1人に釣り合わないほど。

少年のためなら世界すら滅ぼしてしまいたくなるほどに。


念の為に少年にこの痕跡を気付かれないように秘匿魔法を掛け、帰路に着いた。あとは隣国に向かっている間に獣や虫が綺麗にこの肉塊を残らず綺麗に食ってくれるだろう。


2人の家に着いた女神は足音を潜めながら歩く。

部屋で寝ている少年に気付かれないようにゆっくりと扉を開け、部屋で寝ている少年を見下ろす。


「…」



鍛錬と戦闘をしたからか少年は泥のように眠っている。口の端からは少し涎が垂れている。

女神は指で涎を拭うとペロリと指を舐めた。そして寝ている少年の額に口付けをし、頭を撫でる。

寝ている少年は与えられた刺激に身じろきをし、寝返りを打つ。

その様子を女神は愛おしげに眺める。その貌はまるで普段の冷徹な鉄仮面とは程遠い、初恋の少女のようにその頬をリンゴのように赤く染めていた。

踵を返した女神は扉を優しく閉めた。


今日も夜が更けていく。相も変わらず、女神も月も、少年を優しく見守っている夜だった。












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女神と暮らす少年、没落貴族を拾って旅に出ます @warudody3821

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