俺の魔女、私のドラゴン

海城あおの

俺の魔女、私のドラゴン




 深い森の中、苔むした巨木が立ち並ぶ薄暗い小道を、1人の女性が歩いていた。


 銀色の長い髪が風にそよぎ、長いまつげの間から若草色の瞳が覗いている。外見は20代半ばにしか見えないが、その佇まいには数百年の歳月が感じられた。


 彼女は「魔女」

 そう呼ばれていた。


 人々から恐れられ、迫害された存在。しかし彼女の心には人間への憎しみはなく、ただ静かにこの森で暮らすことを選んだ。


 彼女は薬の素材を探しながら、ゆっくりと歩を進めている。手には古びた籠を下げ、時折立ち止まっては植物を採取した。



「あら、珍しい」



 魔女は小さな青い花を摘み、籠に入れた。その瞬間、不自然な物音が耳に入った。


 彼女は小首を傾げ、音のする方向へと向かう。

 茂みを掻き分けた先には、巨木が天を覆うようにぐるりと囲んでいた。密集した木々の中央から一筋の光が差し込み、天からの祝福のように、地面に円形の明るい空間をつくり出している。


 その光の中心に、一匹のドラゴンが横たわっていた。



「まあ」



 魔女は思わず声をあげる。


 褐色の鱗に覆われた巨体は、いたるところに傷や火傷の跡があった。乳白色の爪と牙はところどころ欠け、翼は無残にも引き裂かれていた。まだ子どもなのだろうか、魔女が過去に見たドラゴンより二回りほど小さい。



「ドラゴンを見るのは150年ぶりだわ」



 ドラゴンに近づいてまじまじと観察する。息はあるが、弱々しい。


 そして魔女の目は一つの場所に釘付けになった。ドラゴンの額には、大きな宝石が埋め込まれていた。木々の間からこぼれる木漏れ日に照らされて、きらきらと光っている。

 その時、ドラゴンの瞳がゆっくりと持ち上がり、魔女を捉えた。



「なん、だ、おま、え」



 弱々しい声だった。口調に敵意が滲んでいるが、体が衰弱しきって動かない状態なのだろう。「あなた、もうすぐ死ぬわね」と言えば、きっと睨まれた。その生意気な反応が面白くて、思わず提案してしまう。



「ねぇあなた、家に来る?」



 彼は何も答えなかった。おそらく答える力もないのだろう。


 魔女は小さく微笑みを浮かべて、魔法を詠唱する。するとドラゴンの体がふわりと浮かび、魔女の背の高さまで持ち上がった。ドラゴンの体は彼女の動きに合わせて、まるで空中に浮かぶ小舟のようにゆらゆら揺れながら、彼女の後を追った。


 木漏れ日がドラゴンの鱗に反射し、地面に模様を描いていく。

 小鳥たちのさえずりや、風が枝葉を揺らす木々のざわめきが彼女たちを追いかけていた。


 しばらく歩くと、木造の小屋が姿を現した。魔女が再び詠唱すると、ドラゴンの体が静かに着地した。



「ここよ」



 そう言って、ドラゴンの顔に触れた瞬間だった。体から眩い光が放たれ、魔女は目を細めながら目の前の光景を見守った。

 光が収まると、そこにはドラゴンの姿はなかった。代わりに赤い短髪と褐色の肌を持つ少年が横たわっていた。汚れがこびりついた髪、服から伸びる傷だらけの手足。あどけなさの残る顔立ちの中に、悲しげな影が滲む。


「あら」と魔女は驚きの声をあげたが、すぐ理解に満ちたものに変わる。



「人間の姿の方が、治療しやすくていいわね」



 魔女は笑って、少年を抱えて小屋の中へと入り、ベッドに寝かせた。


 彼女は棚から様々な瓶や薬草を取り出し、手際よく薬を調合しはじめた。

 調合した薬を少年の口に流し込む。苦い味に少年は顔をしかめたが、魔女は「もう少しよ」と優しく囁きながら、最後の一滴まで流し込んだ。


 次に魔女は軟膏を作り始める。薬草の香りが小屋中に満ちた。できあがった軟膏を、魔女は少年の傷口に丁寧に塗っていった。



「ふふ、がんばって」



 彼は時折痛みに顔をゆがめたが、魔女のやわらかな手つきと優しい言葉に、少しずつ表情が和らいでいく。

 魔女の手慣れた治療のおかげで、少年の傷は驚くべき速さで回復していった。


 そして3日後の夜、少年はついに目を醒ました。彼は混乱した様子で辺りを見渡し、最後に魔女の顔に視線を移す。



「気分はどう?」



 彼は困惑しながらも、黙って頷いた。その仕草に、魔女は小さく笑った。


 5日目になると、少年は自力でスープを飲めるほどになった。にんじんとじゃがいもを煮込んだスープを、彼は黙々と口に運んでいる。ベッド近くに置いたランタンの灯が、彼の頬の上で踊っていた。

 魔女は少年の様子を見守りながら、静かに尋ねる。



「どうしてあそこで倒れていたの?」



 スプーンで掬う手が止まる。少しの沈黙の後、彼は短く答えた。



「額の宝石を狙った人間に村を襲われた。家族と仲間が殺された。逃げ続けて、この森に辿り着いた」



「そう」と魔女は言って、その話は終わった。



 ーーそして10年の月日が流れた。




「狩ってきたぞ、魔女」

「おかえりなさい」



 魔女はエプロンで手を拭き、男の近くまで歩いた。唇に弧を描きながら、トカゲのような魔物を肩に背負った男を見上げる。彼の姿を頭から爪先まで眺めて、魔女は言った。



「ふふ、かっこよく育ったわねぇ」

「……何だ急に」

「私の教育のおかげかしら」

「火山近くに放置したり、魔物の群れの中に突き落とすことが教育なのか?」

「ただでは死なないでしょう? ドラゴンなんだから」



 彼の皮肉を受け流し、魔女は踵を返した。呆れたようなため息が聞こえる。

 魔女とドラゴン。お互いに名前は知らないまま、2人は奇妙な共同生活を送っていた。


 ドラゴンは狩ってきた魔物を床に置き、部屋をぼんやりと見渡す。


 天井からは様々なハーブが束になってぶら下がり、かすかに香る薬草の匂いが空間を満たしている。壁に取り付けられた棚には、色とりどりの小瓶や壺が整然と並んでいた。

 部屋の中央には真鍮の天秤や乳鉢、どうやって使うか分からない道具がところ狭しと置かれている。勝手に動かすと魔女は笑顔で怒るため、なるべく触らないようにしていた。

 窓際には古びた本棚があり、古書が背表紙を見せて並んでいる。本棚の傍にあるソファには、褪せた色のクッションが置いてある。魔女はよくそこで本を読んでは、寝落ちしていた。



 清潔で整理された部屋とは言いがたいが、道具のひとつひとつが魔女の使いやすい場所に置かれていた。深く息を吸うと、ハーブの香りが鼻腔をくすぐる。

 ドラゴンはそこでようやく、狩りでずっと緊張させていた体を緩めることができた。



「どうぞ」



 魔女はティーカップを机の上に置いた。

 薄紅色の液体がカップに満ちている。「実験台になって」と言われ色々飲まされた過去が蘇り、ドラゴンは眉をしかめた。そんな彼の反応を見て、魔女はけらけら笑う。



「ただのハーブティーよ。珍しい花が手に入ってね。リラックスする効果があるの」

「……街へ出たのか」

「ん? そうよ」



 魔女の返答に、ドラゴンは不機嫌そうに押し黙った。

 10年前、人間に仲間と家族を殺されてから、ドラゴンは人間を憎んでいた。魔女はうっすらと笑いながら肩をすくめる。



「……ただの物資調達よ。人間とはほとんど喋っていない」

「これからは俺が調達する」

「塩や砂糖をあなたが調達できるとは思えないわ。人間の加工技術が必要だもの」

「……俺が作る」

「本さえも読めないあなたが?」



 魔女に指摘されて、ドラゴンは「うっ」と声をあげた。

 彼は狩りに関する才能は素晴らしかったが、勉学に関してはからきしだった。

 いつもは言い負かされて終わるやり取りだが、今日は違った。彼は言葉を紡ぐ。



「次、街へ行くときは、俺も行く」

「……いいの?」



 いつも涼しい顔をした魔女は珍しく驚いた声をあげる。

 この10年、ドラゴンは人が集まる場所に近づくことはなかった。彼は真剣な表情で一度だけ頷いた。




 *



 魔女とドラゴンの歩く足音だけが森にこだまする。

 森を抜けた先にある街が見えると、小屋からずっと無言だったドラゴンの空気がわずかに変わった。無意識だったのだろう、彼は包帯が巻かれた額に手を伸ばした。

 魔女は眉を下げ、すまなそうに言う。



「ごめんね。宝石に強い魔力が込められていて、魔法でも隠せなかったの」

「別に、いい」



 ぶっきらぼうに言いながらも、声に滲む緊張は隠し切れていない。魔女は微笑み、「やめとく?」と尋ねた。彼は無言で首を横に振った。



 石畳の路地が印象的な小さな街だった。

 色とりどりの家が肩を寄せ合うように建ち並んでいる。行き交う人々はみな笑顔で、連ねた店の商品を覗いては思い思いに語り合っている。

 活気のある街並みが珍しかったのだろう。ドラゴンはきょろきょろと子どものように好奇心を覗かせながら、あたりを見渡して歩いていた。



「あら!」



 不意に女性の声が聞こえ、ドラゴンはびくりと体を震わせた。

 彼を安心させるように、魔女は「こんにちは」と穏やかに答える。



「誰かと一緒なんて。珍しいわねぇ」



 色彩豊かな野菜が並んだ店の前で、小太りの女性は言った。くせっ毛の髪をチェック柄の布で縛り、緑色のエプロンをつけていた。魔女は頷く。



「ええ、同居人なの」

「へぇ、素敵な男性ねぇ。恋人さん?」

「違うわ。ただの友達よ」



 魔女は笑って答える。

 ドラゴンは無表情を保ちながらも、少しだけ顔を赤らめた。


 魔女は店先に並んだ野菜をいくつか見繕い、銅貨を渡した。「おまけよ!」と店主は明るくいい、袋の中にリンゴを1つ詰めてくれる。

 魔女は感謝を伝えながら手を振り、店を離れた。数分ほど歩くと、ドラゴンは不機嫌そうに言った。



「魔女、俺に嘘ついたな」

「嘘?」

「前に『人間とはほとんど喋っていない』と言っただろう。だがさっきの女とは仲よさげに話していた」

「ふふ、嫉妬?」



 魔女がからかうように言えば、かっとドラゴンの頬に紅が差した。「そうじゃない!」と大声で叫べば、通行人たちが驚いたように2人を見た。多くの目線が突き刺さっているにも関わらず、ドラゴンは彼女を射貫くように見つめていた。

 魔女は片手を頬にあてながら困ったように笑い、彼の手首を引っ張った。



「おいで」



 通行人の目から逃れるように、狭い路地へと入っていく。

 石畳の道を通る2人の足音、頭上では洗濯物が風に揺られている。短い階段を何度か上り下りし、石造りのアーチをくぐり抜ける。目まぐるしく変わる風景の中、ドラゴンは踊るように揺れる銀色の髪の毛だけをずっと見つめていた。


 その時、別の道から子どもが飛び出し、ドラゴンの膝と衝突した。



「わっ!」



 ドラゴンは体を一瞬体を強ばらせ、目の前の人間を見おろした。

 子どもは尻もちをつき、大きな目でドラゴンを涙目で見上げていた。



「大丈夫?」



 魔女がしゃがみ心配そうに声をかけるが、少年の目は怯えたようにドラゴンを捉えたままだ。彼女は叱るようにドラゴンに目配せすれば、彼は目を泳がせ、おずおずと腰をかがめた。そして戸惑うように声をかける。



「けがは、ないか」



 少年の大きな目が一度、二度とまばたきをし、ほっと安心したように顔をほころばせた。「うん!」と元気よく頷いた彼は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。



「ごめんなさい、鬼ごっこに夢中になってたの」

「いや、俺こそ、悪かった」



 自分の言葉が合っているのか分からない、そんな不安が滲んだ口調だった。少年はにっこりと太陽のような笑みを見せて、路地の向こうへと消えていく。少年の背中を見つめるドラゴンの横顔を見ながら、魔女は軽やかに笑った。



「……何だ」

「いいえ、何でもないわ」



「行きましょう」と声をかけ、魔女は目的地へと再び歩き出す。ドラゴンは立ち上がり、己の手首を見た。さっきまで繋いでもらっていた手のひらのぬくもりが、やけに名残惜しかった。


 薄暗い石畳の路地裏を通り抜ると、眩いほどの光が目に飛び込んできた。目を細めて、何度かまばたきを繰り返すと、目の前には息を呑むような絶景が広がっていた。風でなびく髪をおさえながら魔女は言う。



「お気に入りの場所なの」



 なだらかな丘の上に立つ2人の足下には、一面の花畑が広がっている。風に揺られる花々が、夕日に照らされて金色に輝いていた。

 ドラゴンは無言で、遠くに沈みゆく夕日を眺めている。心地よい沈黙がしばらく2人を包んだ。


「ねぇ」と、魔女は静かに呼びかける。



「あなたの過去を知っているわ」



 ドラゴンはわずかに体を強ばらせたが、何も言わなかった。魔女は優しく続けた。



「人を恨む気持ちは分かる。でも酷い人間だけではないわ」



 夕日が地平線に触れ、空がオレンジや紫のグラデーションに染まっていく。その美しい光景を見つめながら、「見て、あの夕焼け」と魔女は指さした。



「人間はあのグラデーションみたいなものよ。冷酷な一部の人のために、人間を嫌いになってしまっては、もったいないわ」



 ドラゴンは黙って魔女の言葉に耳を傾けていた。彼の瞳に夕日が映り、その中で何かが揺れ動いているようだった。

 ドラゴンの脳裏では、謝罪の言葉を口にする少年の声が浮かんでいた。同時に生まれ育った村が燃えさかる過去も蘇ってしまい、彼は拳で胸を抑えた。そんな様子を見て、魔女は優しく肩に手を置く。



「少しずつでいいの。少しずつで……」



 まるで歌うような口調だった。ドラゴンは目を閉じる。



「……考えてみる」



 彼の低い声に、魔女は満足そうに笑って一度だけ頷いた。




 *



 その日から、2人はたびたび街へと出かけた。


 ドラゴンは街の誰よりも背が高く、目をひいた。無愛想な彼にも構わず、多くの人が話しかけ、時には子どもたちに憧れの目で見られることもあった。

「かっけー!」「ヒーローだ!」と、きらきらとした純粋な目で見上げられるたび、ドラゴンはたじろぎ、その反応を見ては魔女は楽しそうに笑った。


 小屋での奇妙な生活も変わらなかった。


 いつものように魔女は薬を作っていた。大きな鍋の前に立ち、熱心に中身をかき混ぜている。彼女は慣れた手つきで様々な薬草やきのこを鍋に放り投げていく。時折、呪文を唱えると、鍋の中身が不思議な色に変化した。


 ドラゴンは絵本を読むフリをして、ずっと魔女の様子を観察をしていた。長いまつげ、整った鼻筋、やわらかそうな唇。彼は自分の心臓の鼓動が少しずつ速くなっていくのを感じた。



「ねぇ、それ取ってくれない?」



 不意に魔女から声をかけられ、ドラゴンは指さされた方向に目を向けた。立ち上がり、棚から小瓶を取り出す。それを手渡すとき、指が触れあい、彼の心臓が大きく跳ねた。



「ありがとう」



 魔女は微笑む。その笑顔に思わず見とれてしまう。



「どうしたの?」

「いや……何でもない」



 立ち尽くすドラゴンに、魔女は不思議そうに尋ねた。「そう?」と彼女は小首を傾げて、再び薬作りに集中した。

 この感情は何だと混乱しながら、ドラゴンは椅子に座り、再び絵本を開いた。しかし内容が全く頭に入ってこなかった。




 *




「今日はこんなものかしら」



 2人が街に出かけるようになって1年が経った。

 ドラゴンはすっかり街の人間の顔なじみになり、話しかけられることが増えた。最初はぶっきらぼうに答えていた彼も、少しずつだが他愛のない話を口にするようになった。



「ミルクがないと言ってなかったか?」

「あぁそうだった」



 魔女は目を細めて、「あなたが来てくれてよかった」と言う。ドラゴンはぷいと拗ねたように目線を逸らした。


 その時、遠くの方が騒がしくなった。叫び声や悲鳴が聞こえ、目線を移せば、こちらに全速力で走ってくる男がいた。帽子を深くかぶり、手には貴金属を持っている。

 女性の慌てたような声が聞こえた。



「泥棒よ! つかまえて!!」



 ドラゴンは向かってくる男の前に立ちはだかった。男は「どけ!」とナイフを片手に、スピードをゆるめずに走ってくる。しかしドラゴンは眉一つ動かさず、身軽な動きで避けた。



「なっ!」



 男が驚きの声をあげたと同時に、ドラゴンは男の背中に突進した。「ぐっ」と呻き声をあげ、抵抗してナイフを振りかざす。ドラゴンは間一髪のところで避け、腕をひねりあげて地面に組み敷いた。

 男の体は思い切り地面に叩きつけられる。宙を舞ったのは、男が持っていた貴金属とーードラゴンの額に巻かれていた包帯だった。


 額の宝石がきらりと太陽の光に反射した。ドラゴンは包帯がとれたことに気づいておらず、男の後頭部を睨みつけていた。人が集まってくる。


 魔女は慌てて首に巻いたスカーフをとり、「ケガしてるわ」とドラゴンの額に巻いた。彼はその時はじめてナイフがかすって、包帯がとれていたことに気づく。「すまない」と小さく謝る。



「すごいわ!」

「あんな軽々とやっつけるなんて!」



 街の人々が感嘆と共にドラゴンの動きを褒める。すぐに街の警備がやってきて、男は連れて行かれた。貴金属の店の店主が涙ながらに、ドラゴンに何度も頭を下げた。

 人のざわめきや興奮はおさまらない。笑顔や驚きの顔でドラゴンに対する賞賛を口にする人々の中、1人だけ鋭い目で睨みつけていたことに2人は気づかなかった。





 *



 街での騒動から1ヶ月ほど経った日だった。

 静寂を携えた森に、突如、騒がしい音が響き渡る。


 魔女は手に持っていた薬草を机の上に置き、小屋の外へ出ようとした。後に続こうとするドラゴンに「ここで待ってて」と片手で制す。


 外に出た魔女は耳を澄ませる。すると遠くから、馬の蹄の音と金属の鎧がぶつかり合う音が聞こえてきた。



「あれは……」



 木々の間から、王都の紋章を掲げた旗が見え始め、騎士団が姿を現した。

 金色の鎧に身を包んだ騎士を先頭に、後ろには弓や槍を背負った兵士たちが続いている。金色の鎧の男は、馬から見下すようにして魔女に言い放った。



「ドラゴンを探している!」

「……」

「宝石を持つドラゴンがこの近くにいるはずだ!」

「ここには私1人しか住んでいないわ」



 冷静に言い返す魔女に、「はっ」と男は馬鹿にしたように笑った。剣を抜き、魔女に刃先を突きつける。



「だったら力尽くで探すだけだ」



 魔女の背中には汗が一筋流れていた。数人だったら魔法で追い返すこともできただろう。しかしあまりにも数が多すぎる。


 緊迫した空気の中、睨み合う2人。

 魔女が短く詠唱するのと、男が剣を振りかざすのはほぼ同時だった。


 彼女の前に透明な盾が現れ、剣を弾いた。男は驚いたような様子を一瞬見せたが、すぐに「攻撃!」と後ろにいる兵士たちに命令をした。


 魔女が呪文を唱えはじめると、緑色の光が渦巻き、前列の騎士たちを吹き飛ばした。後続の騎士たちは矢を放つが、彼女は透明の盾で全て跳ね返す。

 しかし魔女の背後から別の騎士が忍び寄っていた。彼女が気づいたときには遅く、騎士の剣が彼女の肩をかすめた。



「くっ……」

「まさか100年前の魔女狩りの生き残りがいるなんてな」



 金色の鎧の男は、殺気に満ちた声で言う。

 魔女は血が流れる肩をおさえながら、荒く息をつく。「逃げて……逃げて……」と独り言のように呟きながら、膝をつけば、男は勝ち誇ったように近づいてきた。

 その時、突如として轟音が響き渡った。


 巨大な影が現れ、騎士たちの前に降り立った。褐色の鱗に覆われた巨体、鋭い爪と牙、そして額には黄金色の宝石が輝いていた。



「……俺が相手だ」



 ドラゴンは低く唸る。

 騎士たちは一瞬たじろいだが、すぐに剣を構えた。金色の騎士は叫んだ。



「宝石を渡せ!」



 ドラゴンは答える代わりに、轟音と共に炎を吐き出した。ドラゴンの尻尾が大きく振られ、数人の騎士が吹き飛ばされた。鋭い爪と牙が騎士たちの鎧を引き裂いていく。

 しかし彼らも簡単には引き下がらない。矢が次々とドラゴンに向けて放たれ、鱗を傷つけていった。

 戦いが激化する中、金色の鎧の男は隙を見て、ドラゴンに向かって跳躍した。彼の死角から鋭い剣先が伸びる。



「危ない!」



 魔女の叫び声が響いた。

 彼女は最後の力を振り絞り、ドラゴンの前に飛び出した。剣が深々と魔女の胸を貫く。



「魔女!」



 ドラゴンの悲痛な叫びが森中に響き渡った。

 彼女の唇がかすかに動き、何か言おうとしたが、声にはならなかった。魔女の瞳から光が失われ、膝から崩れ落ち、そして倒れた。血の水たまりが地面に広がっていく。


 無残な姿になった魔女の体を見て、ドラゴンは咆哮した。

 立っていられないほどの揺れが、森全体を襲った。ドラゴンは目を赤く光らせながら、騎士たちを睨みつけた。ぎょろりとした瞳から一筋、涙が伝う。


 ドラゴンは彼らに襲いかかった。その姿は、もはや理性を失った獣そのものだった。森全体が戦いの炎に包まれ、剣とドラゴンの鱗がぶつかり合う音が響く。



「くっ」



 金色の騎士がよろけた瞬間を、ドラゴンは見逃さなかった。彼の胸を、素早く鋭い爪で貫いた。騎士は血を吐き、口元を歪ませながら言う。



「俺たちを、殺しても、むだだ……おまえは、ずっと、狙われる……」

「……」



 ドラゴンは答えず、騎士の体をそのまま遠くへと放り投げた。リーダーがいなくなったことで、生き残った騎士たちは悲鳴をあげ、恐れをなして逃げ出した。

 森に再び静寂が戻る。ドラゴンは人間の姿になり、地面に倒れた魔女に近づいた。



「魔女……魔女……」



 か細い声が口から漏れた。

 彼女の体を抱き上げたが、反応はない。胸からはとめどなく血が流れ、彼女の顔は真っ白に染まっている。ドラゴンの瞳から涙がこぼれた。



「置いていかないでくれ、魔女」



 森で傷ついた自分を見つけ、治療してくれた日。一緒に薬草を摘みに行った午後。背に乗った魔女が、子どものようにはしゃぐ声。読み書きを教わった長い夜。森で摘んだ花を渡した時に見せてくれた笑み。真剣な表情で薬を作る横顔。街で一緒に見た夕日。本を片手に寝てしまった寝顔……10年の記憶が走馬灯のように蘇る。



「お前がいない人生に、意味なんて、ない……」



 亡骸に縋り付くようにドラゴンは言葉を絞り出した。

 その瞬間、ドラゴンの額の宝石が不思議な光を放ちはじめた。黄金色の光が、次第に強さを増していく。やがてその光は眩いばかりの輝きになり、魔女の体を包み込んだ。


 彼女の胸の傷口を光が覆い、少しずつ傷を癒やしていく。ドラゴンは涙で滲む世界で、呆然と傷が塞がっていく様子を見つめていた。

 

 光が最も強くなり、痛いほどの光が放たれたあと、ドラゴンの額から宝石が落ちた。ころん、と宝石が地面を転がっていく。

 すると色褪せていた彼女の頬に、少しずつ血色が戻りはじめた。ドラゴンは息を殺して、魔女の様子を見守っている。


 そして、魔女の瞼がゆっくりと持ち上がった。



「ドラゴン……?」



 弱々しい声で名前を呼ばれた瞬間、ドラゴンは強く魔女を抱きしめた。彼の目から、涙が流れ落ちていく。



「生きている……本当に生きているんだな」

「えぇ」



 魔女は頷いて、そっとドラゴンの頬に手を添えた。



「あなたが、呼び戻してくれたのね」



 ドラゴンは大粒の涙をこぼしながら、無言で何度も頷く。

 静寂が包む森の中、2人は互いの存在を確かめるように抱擁を交わしていた。




 *



 襲撃を受けた次の日、魔女とドラゴンは小屋の外へと出た。小屋は魔女の魔法がかけられていたため、ほぼ無傷の状態だった。2人の足下には梱包された荷物が置かれている。


 魔女は懐かしそうに小屋を見上げた。苔むした屋根、風化した木の壁、朝日を照らす窓ガラス。この場所で過ごした長い年月の記憶が、彼女の心に押し寄せてきた。



「100年以上もここで暮らしてきたのに」魔女は微笑みながら呟く。「不思議と寂しくないわ」



 ドラゴンは黙って彼女の横顔を見つめていた。魔女はドラゴンを見上げて言う。



「もうここにはいられないわね」

「あぁ。……また狙われるかもしれない」



 ドラゴンは額を抑えた。昨日まで煌々と輝いていた宝石は、その額にはなかった。

「不思議だわ、宝石が取れちゃうなんて」と魔女は彼の顔を覗き込んだ。



「宝石の力を使い切ったんだろう」



 ドラゴンは静かに答える。

 魔女は首元からネックレスを取り出した。細い銀のチェーンの先には、加工した宝石が輝いていた。「もらってよかったの?」魔女は少し心配そうに尋ねた。



「いいんだ」



 ドラゴンは頷く。



「お前に持っていて欲しい」



 彼の言葉に、魔女は嬉しそうに頷き、ネックレスを胸元に押し当てた。

 しかし、すぐに彼女の表情が変わる。上目遣いでドラゴンを見て、少しだけ眉根を寄せた。



「……人間は嫌いになってしまった?」



 その質問にドラゴンの体が、一瞬硬直した。彼の脳裏に、忌まわしい記憶が走馬灯のように駆け巡る。村が炎に包まれる光景、叫び声、血の匂い。家族や仲間の無残な姿。

 そして最後に浮かんだのは、剣が深々と突き刺さり、横たわる魔女の姿だった。


 ドラゴンは心臓あたりを強く握りしめた。深く息を吐き、痛みを押し殺すようにして言う。



「……分からない……」

「……そう」

「俺は、」



 ドラゴンは言葉を続け、魔女の瞳をまっすぐに見据えた。



「お前がいれば、それでいい」



 彼の言葉に、魔女は目を丸くし、ふっと笑う。そしてドラゴンに身を寄せ、唇の端に軽いキスを落とした。

 ドラゴンは彼女の細い体を抱きしめた。まるで魔女の温もりと鼓動を確かめるような抱擁だった。ドラゴンは魔女の耳に唇を寄せて、低い声で囁く。



「行こう。俺の魔女」



 2人の体は離れ、ドラゴンは人間の姿から変化した。彼の体が光に包まれ、その輪郭が大きくなっていく。


 大地を思わせるような豊かな色合いの褐色の鱗、象牙のような乳白色の爪と牙。翼を広げれば、空を覆うほどの存在感を示し、薄い膜越しに太陽の光が透けた。

 深い朱色の瞳は、優しく魔女を見つめている。

 彼女は宝石があった辺りをなで、ゆったりと顔を抱きしめた。ドラゴンは甘えるように彼女にすり寄る。


 魔女はドラゴンの背中に乗った。

 ドラゴンは大きく羽ばたき、空へと舞い上がった。高度があがり、風の音が大きくなっていく。空には薄い雲が浮かび、隙間から朝の光が美しく輝いていた。魔女の銀髪が風になびき、2人の後ろに光の尾が引いているかのようだった。



『俺の魔女』



 先ほど魔女の耳元で囁いたドラゴンの低い声を思い出し、歌うように呼びかけた。



「私のドラゴン」



 しかし、風の音が大きすぎて、その言葉はドラゴンの耳には届かなかった。魔女は少し寂しげに微笑んだが、すぐにその表情は晴れやかなものに変わった。

 風を切る音を聞きながら、魔女は目を閉じる。



「あなたと一緒なら、どこへでも」



 彼女の唇には幸せな微笑みが浮かんでいた。

 2人の姿は朝焼けの空に溶け込むようにして消えていった。




***


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