第28話 ゴッドスライムハーツ

「アンブレード卿だって……?」


 吸血鬼は写真には写らないので僕は法王の顔を知らなかった。

 それはともかくとして。


「なぜウルハラを……彼はもう降伏していたのに」


 僕の疑問にアンブレード卿は答える。


「関係ない。目には目を。歯には歯を。戦争には戦争を。戦こそが吸血鬼の花だ」

「そんなのぜったい間違ってる。戦争なんてダメだ、ぜったい」

「黙れ。吾輩が法である」


 ピシャリと言われて僕は押し黙る。

 アンブレード卿の言葉には変な魔力があった。

 僕は口を閉じて声を発することができない。

 彼の独特の間や声色によって、会話の主導権を奪われる。淡々とした話術により場を支配されている心持ちだった。

 十字傘を右手で差すアンブレード卿。

 左手で懐から銀色のシガレットケースを取り出す。パカッと開くと整列された白い煙草を一本抜き出した。火の点いていない煙草で僕の肩を指した。


「どうやら入魂したようだな」

「入魂?」


 僕は左肩を見やる。

 おそらくスライムになったアオハルのことを言っているのだろう。


「あの真紅のスライムを知っているの?」

「あれは月並みのスライムではない」

「なに?」

「だいたい月並みのスライムに入魂できるわけがなかろうが。スライムなぞ下等生物は人間の魂の器として小さすぎるゆえ」

「じゃあ、いったい何だって言うんだ?」

「知れたこと」


 アンブレード卿は煙草を咥える。

 といっても、ぷるぷるの仮面の口にストローのように突き刺すといった具合だ。懐から左手で十字型のジッポーを取り出す。それから流れるような動作で着火した。煙草の火口に火を灯す。

 そして仮面の口から紫煙を燻らせながら言った。


「それは――ゴッドスライムだ」

「ゴッド……スライム?」

「ゴッドスライムはその昔、世界各地に散らばった。目、鼻、おとがい、喉、舌、耳、胃、肺、肝臓、膵臓、腎臓、十二指腸、竜涎香りゅうぜんこう、脳味噌。そして人間を取り込んだ、その真紅のスライムは――ゴッドスライムのしんぞうだ」


 アンブレード卿は今やスライムとなってしまったアオハルを見てはっきりと言った。

 僕は押し黙ることしかできない。


「数十億年前、この惑星アストができたばかりの頃、太陽は三体あった」

「でもこの惑星には太陽はひとつしか……」


 僕は空を見上げる。

 日食されている太陽が一個だけあった。僕の前世の地球と同じ数だ。


「ゆえに昔の話だ。その昔、太陽は三体あった。だがそれゆえに生物が住めないほどの灼熱環境だったのだ。加えて三体問題により惑星の気候の予測は困難を極めた」

「三体問題?」

「重力が相互作用する3つの天体があるとき、その軌道は予測不可能という天体問題だ」


 ご丁寧に注釈を入れたのち、アンブレード卿は続ける。


「しかし、そんな極限状態のなかゴッドスライムは惑星アストに飛来した。その際に大気圏で爆散し世界各地に飛び散ってしまったのだ。そこでゴッドスライムはどうしたと思う?」

「知らないよ、そんな昔のこと」

「ゴッドスライムの肉片はそれぞれに活動を始め、再び集合した。完全体となったゴッドスライムは生態系の頂点であり神に等しき存在。その大きな役目のひとつとして惑星環境を調整する。要するにゴッドスライムは三体の太陽のうち、一体を貪食したのだ」

「そんなバカな。一個の生命体が太陽を食べたって? それはいくらなんでも……」

「目を背けるのは汝の自由。だがしかし、これが真実だ」


 口調を変えずに無表情の仮面のまま、アンブレード卿は断言した。

 もしも仮にそれが真実だとすれば、恒星レベルの大きさのスライムが太陽まで飛んでいって丸呑みしたとでもいうのか?

 あえて言おう。

 ありえません。

 しかしアンブレード卿は歯止めがきかない。


された太陽はゴッドスライムの体内で消化される。その結果――超新星爆発を引き起こす。爆発は星の終わりにつきものゆえに」


 僕はエセ科学を聞かされている気分だった。

 頭が割れそうだ。


「そして、ゴッドスライムはまたもや世界各地に散らばった。再度合体するとき、二体目の太陽を喰らう。その1回目と2回目の残骸が今宵のふたつの月だ」

「もともとは3つあった太陽のうちふたつ食べられて、現在はひとつになった。そして星喰いの食べ残しがふたつの月を生み出したって?」

「そうだ。ゆえに太陽と月は兄弟なのだ」

「でも待って。太陽の大部分は水素とヘリウムのはずだ。それがなぜ月になるの?」

「それは正確には食べ残しではなく、ゴッドスライムの排泄物ゆえ」

「え、ええ……!?」


 まさか夜空に浮かぶ月がゴッドスライムの糞だなんて、誰が想像できる?

 ロマンチックのカケラもない。しかし、星の起源などそんなものなのかもしれない。


「2回目の超新星貪食スーパーファージノヴァが起こった際に、月の一部が隕石となってウシュットガルドに落ちた。それが、かのアカズキン33だ」


 ウルハラが変狼するときに口にしていた牙石の元となった特大の月の隕石か。


「世界はゴッドスライムによる食の7日間から生まれたというわけなのだ。白血書はっけつしょアサーガ13節堕落園における『進化と不死の実』とは、これすなわちゴッドスライムのことを指す。その昔、類人猿は禁断の果実に手をつけた。ゴッドスライムを食べたのだ。そして進化の道は分かれた。片方は吸血鬼となり、もう一方は人間となった」

「そんなのインチキ宗教のでっちあげだ!」


 僕は猛然と反論した。

 ゴッドスライムを食べた類人猿が人間と吸血鬼、どっちに進化したかなんて聞く気にもならない法螺話だ。

 こんな詐欺師は入院中にたくさん会った。


「そうやって数々の吸血鬼や人間を騙してきたんだろう? でも僕はそうはいかない」

「汝もわかっているはず。汝の肩に乗っているスライムが何よりもの証拠である」


 アンブレード卿は確信的に言い切った。

 僕はアオハルの顔が不思議と怖くて見れない。


「そやつはゴッドスライムの肉片部位スラパーツの場所が大まかにわかるはずだ。それは言うなれば帰巣本能。スライムは再生機能によって元の姿かたちに戻ろうという性質があるゆえ」

「そうなの……アオハル?」


 僕はおそるおそるアオハルに尋ねる。

 僕の肩口からはドックンドックンとアオハルの真紅の肉体が脈打っているのが伝わった。

 痛いほどに熱く鼓動する。


「わかる。なんとなく」


 生唾を飲み込みながらアオハルは認めた。

 それから訝しげに言う。


「だとしたら……あいつの仮面も」

「うむ」


 アオハルの言葉の続きをアンブレード卿は引き取った。


「吾輩が被っているこの仮面マスクも、実はゴッドスライムのスラパーツに他ならない」

「はあ?」


 アンブレード卿の顔面を覆っている黒と白のツートンの仮面が?

 スライムだって?

 どこが?


「ゴッドスライムの両眼。純白と漆黒の双子スライムだ。左眼球がホワイトアイスライム、右眼球がブラックアイスライムである」


 アンブレード卿はおもむろにスライム仮面を脱ぐ。

 絶妙に十字傘の陰となり素顔はうかがえない。

 スライム仮面は分裂した。白と黒の丸いスライムに分かれる。それぞれ一ツ目のスライムだった。瞳孔が収縮して開いている。アンブレード卿の白い手袋の左手のひらで双子は飛び跳ねた。

 のちにアンブレード卿の顔面に飛びつき、また仮面に擬態する。


「吾輩は世界各地に散らばったゴッドスライムの肉片を合体させ、本来のあるべき姿に戻す」

「アンブレード卿、それであんたは太陽を壊すつもりなのか!」


 吸血鬼にとってもっとも邪魔な存在。

 拝むことが許されない忌むべき対象。


「浅墓な」

「な、何が違うっていうんだ!」


 僕の質問にアンブレード卿は答える。


「吾輩は人間の大罪を償わせたいだけだ」

「なに?」

「そのためには吸血鬼の基本的人権が必要不可欠ゆえ」


 果たして、このアンブレード卿はいったい何をどこまで知っているというのだろうか。

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2024年9月21日 00:00
2024年9月22日 00:00
2024年9月23日 00:00

スライムハーツ 悪村押忍花 @akusonosuka

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