未来は空にある

@omusubikororinn

第1話

この生活、私はそんなに気に入ってない。1人が好きみたいな顔をして誰かと共有したい気持ちを抑えてばかりの毎日。嫌われないための最小限の会話と気遣いと忙しいふりはもう大得意だ。どこからか声を潜めて私を「ミステリアスだよねいい意味で」と言う声が聞こえる。私はミステリアスなのだろうか。誰か本当の私を教えて欲しい。高校生活最後の夏。この町で過ごす最後の夏。受験だ勉強だと言う大人もいるけれど、教室は明日から始まる夏休みを心待ちにする空気でいっぱいだ。この3年間私はここにある青春をずっと外から見続けてきた。テストも勉強も面倒くさい行事も楽しそうに笑顔でこなすのは普通のことなのだろうか。気味が悪い。心の底から妬ましくて羨ましくてそこに入った私を何度も想像した。私が変わればいいという気持ちは無意味なプライドが邪魔をした。私はただ淡々と過ぎていく日々の中でこの状況に慣れてきて一人が好きだと錯覚し始めた。同時に世界に私がいる理由とか必要性を探していつも見つからなくて、悲しくなる。そんな時、私は空を見る。いつか何かで“未来は空にある”という言葉を見た。意味は全く分からなかったけれど今に期待できない私にはぴったりの言葉で次第に空に惹かれた。暇で長い授業も空を見ていればあっという間に過ぎる。空には同じときがない。一つの雲をずっと見ているといつかは見えなくなるし、青い空でも色は様々だ。どこにいてもどんな気持ちでいても上を向けば空は見える。私は空が大好きだ。明日から夏休みで午前授業の今日、家で母と二人で昼食を食べる気にはなれずどうしようかと考える。母は私をそれなりに友達がいて普通の青春を送っていると思い込んでいるからだ。実際は全然だが一応親孝行として家では母の思い込みを演じている。ホームルームが終わり一番に教室を出た私の行き先は未だ決まっていない。家とは反対方向のバスに乗り、ICカードの残金の限界まで進んでみることにする。残金は620円、片道310円が限界だ。どこまで行けるかなと思いながらただただ空を見ていると「次は花のとうげー花のとうげ前ー」という声が聞こえた。運賃表を見るとちょうど310円で急いでおりますボタンを押した。どんなところだろう。わくわくする。少ししてバスを降りるとそこは田舎って感じの場所だった。山とか田んぼとか畑とかそんなものしか見えない。特にバス停の名前だった花のとうげはちょっとした観光地らしく、一緒にバスを降りた老夫婦も登りに来たようだ。隣の町にあるのに全然知らなかった。私も登ってみようかななんて思えてしまった。まずはお腹が空いたからこの町を見下ろしながら食べる美味しいものを探そうと思う。少し歩くとおむすび緑という看板が見えた。民家の一部がお店になっているような様子だ。緑さんがおむすびを作っているのかもしれない。山の上で食べるおむすびはきっと美味しいだろうなと思う。今日の昼食はここのおむすびに決めた。店に入ると思ったよりとても若い緑さんらしき人が「いらっしゃい」と私に声をかける。目の前に並ぶおむすびはどれもすごく美味しそうで輝いていて、こんにちはと返しながらも見惚れてしまう。どうやら私はかなりお腹が空いているらしい。1番好きなツナマヨとおすすめのすき焼きを一つずつレジに出した。緑さんらしき人はお会計の途中、ふと「花のとうげのてっぺんの空は心を綺麗にしてくれるから見ておいで」と言った。私の心が汚く見えたのだろうかなんて皮肉なことを考えながら小さくそうなんですねと答えた。すると「まああそこまで登らなくても私のおむすび食べればすぐ元気になっちゃうけどね、まいどあり」と照れくさそうにおむすびを渡す彼女は優しい笑顔を浮かべている。お礼を伝えて店を出た。元気になれるおむすびを二つも手に入れた私は勢いよく花のとうげの看板に向かって歩き出す。ただひたすらに登っていたが足が止まった。自分を客観的に見たからだ。高校生の私が放課後一人でとうげに登るのはかなり変だし寂しいことだと感じてしまった。このまま戻らなくても心配する人はいないかもしれない。少しして頂上まで150mという看板が見えた。そこからは何も考えずただ自分の古い靴を見て進んだ。頂上の空気は澄んでいた。先客がいてできなかったけれど思い切り体を伸ばして深呼吸をして大きな声を出したくなるような気持ち良さだった。ベンチに座り景色を見ながら大きな口でおむすびを食べた。すごく美味しくてお腹はいっぱいになったけどなぜだか心は満たされない。少しして花のとうげの頂上が私だけの物になった時、不思議な感覚になった。空は綺麗な茜色で大きな太陽には手が届きそうだと思った。今日なら届く気がして1番大きな岩の上に立って手を伸ばした。目を閉じて変わりたいと心の中でつぶやいた。するとそれから途切れ目もなく私の周りの景色が変わった。私は空の中にいた。空を飛んでいる私の姿は鳥に変わっていた。変わるってこういうことじゃないって思っている冷静な自分と大好きな空を肌で感じられて大喜びの自分が共存している。空の全てが私の翼の中にあるように、全身で暑すぎるほどの夏の空気を受け止めた。それから長く感じた一瞬の間、私は鳥としてたくさんの発見をした。朝の匂いと朝の風。都会の生き上手に教わった忙しない朝は工夫次第で楽しめるということ。静かな朝に響く新聞配達のポストの音。眠そうに幸せそうに犬の散歩をする少女。初めて見た朝曇りは不思議だった。日の出は一瞬だけど見れたら嬉しい。あんなに憎かった青春も待ち合わせて楽しそうに毎日登校する彼らを見てたら可愛くなった。十時のおやつというものが存在すると知った。午前中の公園は小さな笑顔が溢れていてぽわぽわランドだ。働くって大変だと感じることもたくさんあったけどそれ以上にそれぞれ編み出した楽の仕方は生きる術な感じがして面白かった。夏の昼間はとにかく暑いけど高台の木陰はちょうどいい。突然の通り雨は森に宝石を残していく。知ってはいたけどやっぱり雲には触れられなかった。青く光る空に沸き立つ入道雲は夏だと強く感じさせてくれる、夏が好きかもしれない。日差しの中できらきら輝く海は楽しい声と相まって心が躍る。夏休みなのに灼熱で人通りの少ないコンクリートの大通りはなんだか寂しい。昼ごはんのおいしい匂いがして母のありがたみを感じた。水をまくおばあちゃんや不揃いなきゅうりを丁寧にゆっくりとるおじいちゃん。ひまわり畑のカップルは映画みたいだ。パンが焼きたてで喜ぶ主婦。仕事が早く終わったのか嬉しそうに子どものお迎えへ行くサラリーマン。目の前で割引シールが貼られてすぐお母さんに伝える小学生。色んな人がいて幸せそうできっと見たことがあるのに特別に見えた。夏の短い夜は星がよく見えていつも見る青い空とは別世界で今日まで見ていなかったことを後悔した。バーベキューとか花火の小さな光もよく見えて綺麗だった。いつかの私と同じようにはしゃいでいる仲間たちを客観視している人も見かけたけれど寂しそうではなくてどっしり構えていて憧れた。夜遅くまでスーツ姿の二人が公園で本を読んでいた。さっきまで難しい電話をしていた人が空を見上げてアイスを食べて帰路に着く。小さな体から放つ大きな虫の声は命を感じて感動した。夜の森は昼よりも色んな音がよく聞こえてずっとそこにいられると思った。また人間に戻るかもしれないとまたとうげの頂上に行ったことも何度かあったけど、時々誰かが訪れてはやまびこやピクニックをして穏やかな空気でいっぱいで、自分が鳥になったことなんて忘れてしまう。目も耳も鼻も持っているもの全部使って知らなかった近くの美しさを感じた。姿が変わっただけで中身は変わらず私のままなはずなのに景色が全然違って見えた。普通は鳥になった訳とか飛び方とかこれからのことを考えると思うけどそんなこと頭のどこにもなかった。生活の中に溢れていた幸せと私の生きている環境の素晴らしさに心の全てが夢中だった。私の不幸を誰かのせいだなんて考えていたことがおかしくて恥ずかしくて情けなくなった。いつも幸せそうに見えていたクラスメイトはただそこにある小さな幸せに気付くのが上手なだけだったのだと思った。自分が変われば待っていると幸せがやってくるんじゃなくてずっとそこにある幸せに気付けるように変わらなきゃいけないんだ。目立つのが嫌で無難に目的もなくスマートフォンを見ているだけじゃダメで、視野を広げて感覚を澄まさないといけない。素敵なことがたくさんあったのに感じ逃しちゃってもったいないなと思う。でも同時に私は今までもずっと幸せだったのかと嬉しくなった。この気持ちになれた後に見るとまた違って見えるかもしれないと思って私は再び花のとうげへ向かった。ゆっくりと瞬きをしたら夜になりそうな夕方の頃着いた。あの時立っていた大きな岩に着地をしようと思った時バランスを崩してしまった。鳥になりたてなのに飛ぶ力を過信していたようだ。どうにか着地すると岩に置いた2つの足は鳥のものではなく、下を見ると見慣れた古い靴があった。人に戻ったんだって思った。状況なんて何もわからないのになぜだか落ち着いていてバーベキューにいたあの人に近づけたかもと思う。いつの間にか手に持っていたあのおむすび屋さんの袋にまた来てねと書いてあるのを見つけた。きっと緑さんも小さな幸せを見つけるのが上手い気がした。暗くなると危ないと思ってとうげを下りていると登った道とは全然違うように感じた。本当に違うのではないかと何度も地図看板を確認したが確かに同じ道だった。私の中身が変わったみたいだ。早く家に帰って母に会いたい。学校に行きたい。今の私なら新鮮な景色を楽しめる気がする。幸せだ。

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