願イノ叶
澄
第1話
『あなたの夢も叶うかも?七夕まつり』
パステルカラーで書かれたその文字に僕は足を止めた。最近駅前にできたスーパーの一角に立てかけられた笹と十数枚の短冊。近くにいるのは小学生だろうか。ランドセルを背負った子供数人が笑いながら近くの机で何かを書いている。あたかも小さい子向けのものであったがその時の僕は酷く引かれたような気がした。
「おれけいさつかんになれますようにっておねがいしたんたぜ!」
「わたしはね、アイドルのけいくんにあえますようにってかいたんだ〜」
甲高い声が横を通り過ぎていく。気づけばここにいるのは僕一人だった。
——何か書いていくか。
色とりどりの短冊の中から白い紙を手に取りペンの蓋を開ける。
——特に将来なりたいものもないけど、、まぁこんなところか。
書き終わった短冊を笹の枝に括りつけていく。横にある拙い字で書かれた願い事が目に入り思わず笑みがこぼれる。
——帰ろ
願い事たちを背にした僕は歩き出す。ひとつの短冊が白く光っていることに気づかないまま。
「有名になりたい」
* * *
いつもより静かな朝だった。7月にしてはやけに涼しい気がした。
ゆっくりとまぶたを開けると自分が畳の上の座布団で寝ていることに気がついた。
「え?」
家に畳はあるがこんなに広くない。それに僕は自室のベッドで寝ていた。何処だここ。
混乱状態のまま立ち上がろうして、固まった。短く黒い毛の生えた足。肉球。一瞬で覚醒する意識。
「……ねこ?」
「え?僕が?猫に?」
そんなことに気がついたのがおよそ1時間前。今の僕はある程度の落ち着きを取り戻していていた。
まず僕は猫になっていた。理由は分からないが
よくほんの世界である転生とやらだろうと考えることにした。
そしてここは恐らく現代では無い気がする。
部屋を見渡すと掛け軸や違い棚などの奥に縁側が広がっている。今の時代にしてはやけに古風な造りをしている。こんなもの歴史の教科書でしか見たことないな。
もう少し近くで見てみようと光の射す方へ歩こうと思った時だった。後ろの襖が空いた音がした。
「あら、起きたのねェ。ご飯持ってきましたよ。」
ビクリとして振り向くと、そこにはにこりと微笑む女性が小さなお皿を持って立っていた。
上半身が赤と白の矢絣柄で黒の袴によく映えている。齢は30くらいと言ったところか。じっと見つめているとその女性はこちらにすり足で歩み寄ってきた。
「はい。ここに置いておきますからね。また来ますね。」
僕の前足の近くに置いてゆっくりと出ていく。この部屋、あの服装、、もしかしたらここは現代ではないのかもしれない。でも何故。
……考えることをやめた。
足元にあるお皿の中を覗くと、何やら鰹節みたいなものが入っていた。恐る恐る舌を近づける。悪くない。
僕は黙々と皿が空になるまで舐め続けた。
そういえばなんで急に転生なんてしたんだろうか。何かきっかけでもあったのだろうか。記憶を遡ってみるとスーパーでの出来事が浮かんだ。何気なく書いた短冊。“願いが叶うかも”というキャッチコピー。
——まさかな。
* * *
「入りますよ。そろそろ旦那様が帰ってこられるから行きましょうねェ。」
食事を終えて十数分した頃、先程の女性が部屋に入ってきて言った。
旦那様。家主みたいな人だろうか。昔は大黒柱のような男の人がいたと聞いたことがある。どんな人だろう。
そんなことを考えているうちに女性が近づいてきて僕を持ち上げた。
涼し気な木製の廊下を運ばれている。所々に光の透ける障子が目に入る。広いな。率直にそう感じた。
先程の部屋を出てから少ししたところの障子が空くと、そこには廊下に比べたら幾分か暗めの書斎のような空間が広がっていた。
壁一面に並ぶ大量の本。その一角に設置された机。そこに座り筆を進めている男。
——この人は作家か何かなのか?
暫く彼を見つめていると視線に気がついたかのようにこちらに目を向けた。僕に合わせてから少し上に目を遣る。
「おぉ連れてきてくれたかい。ありがたや。」
「いえいえ。ではまたあとで呼びに来ますね。」
そう言うと彼女は僕をゆっくりと床に降ろしてくれる。同じ目線になるようにしゃがんて頭に手を伸ばしてきた。毛がふわふわと揺れる感覚がとてもきぶんが良かった。猫って毛繕いとか、撫でられるのが好きって聞くけどこんな気持ちなのか。案外悪くないな。
障子が閉まったのを確認して振り向くと座っている男——旦那様がこちらを見下ろしていた。
「よく来たなァ。君は昨日わたしが拾ってきたのさ。道に捨てられたように転がって居たもんだから可哀想でな。でもこれからは此処で世話をしてやるからな。…って言ったところで言葉は判らないだろうけどな。」
少し悲しそうな、憐れむような目をしながらこちらを見ている。思ったよりも優しそうな人だ。
ていうか今の話。僕は元からここの家で飼われていた訳ではなかったのか。ならば前からいた猫に意識が入り込んだのではなく僕の身体ごと猫になったということだろうか。情報が分かればわかるほどわけがわからなくなるな。
「おいで。」
いつの間にか椅子から立ち上がったようで目の前に足が目に入る。見上げると彼はこちらに手を伸ばし脇の当たりを優しく掴んだ。
「そうだな。次はこの子のことを…。」
彼は何かを呟いた。最後の方は声が小さく聞き取れない。
思いついたようにすたすたと先程の机へと向かう。歩く度に僕の足がぶらぶらと左右に揺れる。椅子を引き、膝の上に座らされる。
机の上に手を置き覗き込むと、そこには何枚もの原稿と万年筆。やはりこの人は文を書く人だ。
左手で筆を執ると少し考えながら桝目を埋めていく。それを目で追っていきながら、僕は強い既視感を感じた。
——あれ、この文章読んだことある…。
「わたしはね、此処でいつも文字を書いていルンだ。最近新しいものを創ろうとしていたんだがテーマをどうしようか迷っていたんだ。そんな時に君を見付けた。其処で今度は君——猫を書こうと思ってな。」
真逆。彼はあの人なのだというのか。では何故僕は拾われたのか。
——あ。
あの日のスーパーでの出来事がフラッシュバックする。“有名になりたい” そう書いたあの短冊。
「願いが…叶ったと言うのか…?」
衝撃の事実に気がついてしまった僕は身体中の毛逆立ったような気がした。
* * *
「どうですか?筆は進んでおりますか?」
静かに障子を開け、女が入ってくる。手にはマグカップを乗せた盆を持っている。
「嗚呼。この子を題目にして次を書く事にしたんだ。完成を楽しみにして於いてくれ。」
「あら、いいですねェ。屹度この子も悦んで居りますよ。」
机の上に盆を置き、男の膝にいる真っ黒な猫を頭から背中にかけて撫でてやる。きゅっと目を細めながらも何かを伝えようとする様な目をしている気がした。
「そう云えば。この子にまだ名前を付けていませんでしたね。何に致しましょう。」
女の呟きを聞いた男が万年筆を置き、少し考え込んだ。
「その事なんだが、敢えて付けないのはどうだろうか。半日程考えてはいたのだが其れが一番いい気がしてな。」
「あらそうなんですね。旦那様がそうお考えなら私めもよいと思いますよ。」
にっこりと微笑むと男の書いている原稿を控えめに覗き込む。
「まるでこの子の視点にたった様な御話なんですね。」
「何時もとは違う雰囲気の物もいいと思ってな。」
いつからか見上げていた猫がごろごろと喉を鳴らす。二人はそれを見つめる。
「ではわたくしは買い物に行って参りますね。
それから御飯の支度を致します。」
「嗚呼。頼むな。」
ぺこりと頭を下げてから女は出ていく。そのままの足で玄関の方まで歩いていく。
「あの小説、とても興味深そうでしたねェ。“吾輩は猫である” だなんて。素敵な冒頭です事。」
女は玄関の扉を開ける。 【 夏目 】。そう書かれた表札には眩しげな陽光が注がれていた。
願イノ叶 澄 @fuwakami6
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます