第51話「疑念」
研究室を出て、資料室に向かう。
研究棟の中には魔法に関する書物を管理する資料室がある。いわば図書室のようなものだが、ここにある書物はごく一部で、大半は王立図書館にある。
だが、図書室という名前でないのには理由がある。
扉を開けると案の定、机の上に紙が積み重なっている様子が目に入って一瞬半目になる。
そう、ここは研究レポート置き場と化しているからだ。しかもこぢんまりとした部屋で、きちんとした所から出版されている本は十数冊しかない。ほぼ研究生や教授の独自の研究成果をまとめた紙、あるいは薄い冊子だ。
ああ、あそこの紙束、上半分の重心がずれているなと考えていたらその上半分がばさばさと音を立てて崩れた。
思わず片手で目を覆う。研究者の性とでも言おうか、学院生は代々、整理が苦手なのである。
代々、と言ったのは、数十年前からずっとこうなのだとクリスティア様が仰っていたからだ。
面倒だというのと、貴族であるがゆえに整理の仕方など分からないという理由で放置されてきたのだろう、とはお父君の公爵曰くである。
類似した研究レポートがないかと思ってきたのだが、これでは探せそうにない。元から当てになどするのではなかったと後悔する。
帰ったらルドにでも…いや駄目だな、怒られる。他に頼れる人もいないし、この実験については結果をまとめて後日落ち着いてから話そう。
術式が分からないのに研究レポートなんて読めるのかと思われるだろうが、最近は頑張って覚えているのだ。
相変わらずあの無駄に曲線の多い文字を見ると脳が拒否反応を示すが、無理やり知識を詰め込んでいる。マリーに怒られると怖いからな。
おかげで最低限、中級魔法くらいまでなら分かるようになった。
術式はパズルのようなもので、一つ一つの塊を覚えてしまえば存外簡単だった。
まあ、それと術式を好きになれるかどうかは別だが。
得意と好きは一緒ではないのだ。今の僕の状態は、得意だけれど嫌い、だ。
話が逸れたが、今回の実験は個人的なものなので学院のお世話になるわけにもいかない。
屋敷の皆が忘れた頃にさらっと報告しようと思う。なんなら僕が成人してからでも良い。
ふと、なんだか外が騒がしいな、と思えばもう昼時だった。
仕方ない、今日は諦めて術式の勉強でもするか。
食堂で軽食をもらって中庭に出る。今日はアル…フレディ先生が先に来ていた。
「どうも」
「おう」
「術式の勉強してます?」
「会って早々それを聞くあたり、性格悪いぞ」
「ちなみに僕はしています」
どん、と胸を張って言う。
「人の話を聞け」
「はいはい」
フレディ先生とは大分打ち解けて、今では軽口を言う仲だ。
いつもと変わらぬ先生の態度に思わず顔が綻ぶ。
社交界では貴族らしく真顔を維持しなければならないが、今はプライベートな場だ。少しくらいくだけたっていいだろう。
隣に座ってパンを食べる。
ちなみに食べているのは白パンだ。
黒パンのほうがコスパが良いのだが学食になかったため、父上に
「黒パンありますか?」
と聞いたところ
「あるけど…ないな。ごめんな」
とちょっと悲しそうな顔で断られた。結局あるのかないのかどっちだ。
仕方ないので学食の軽食スペースに売っていた白パンを食べている。
過去回想に耽っているとフレディ先生が呟く。
「お前、いっつもそればかり食べてるのな」
「ん、ああ」
口に物が入ったままだとよろしくないので飲み込んでからしゃべる。
「少食なので。それと食べすぎると午後確実に眠くなるので」
この学院の学食はボリュームが多いのだ。魔術師は糖分必須というがそれは魔導師団とかの戦闘系だけだと思う。
「ああ、そういうことか」
「そう言う先生はパスタが多いですよね」
「好きだからな。まあ、午後に眠くなるが」
今日はトマトソーススパゲッティだ。パスタは日によって変わるようでクリームパスタやボロネーゼが出たこともある。
それもこれも先生が食べているのを見て把握したことだが。
「なんとこのパスタ、麺の硬さが選べるんだ」
ベンコッティとアルデンテ、分かっている人はソースによって分けるそうだ。
「流石お貴族様」
僕には縁のない話だ。美味しいに越したことはないが、食にそこまでのこだわりはない。
「俺も同感だ。ソースだなんだ、硬さだなんだとめんどくせえ」
めんどくせえ。気怠そうな人が言いそうな台詞第一位だ。思わずふっと吹き出す。
「何だよ」
「いや、らしいなと思っただけです」
「らしいと言えば」
先生が思い出したように言う。
「ルイスは全然騎士団長の息子らしくないよな」
「どういうことです?」
遠回しに父と似ていないと言われたような気がして警戒する。
「いやさ、純粋な疑問なのだが、何故お前はここ、つまり魔法学院にいるんだ?聞くところによると騎士の家系らしいし、ランバート家」
ぴた、とパンをちぎろうとした手が止まった。初耳だ。
父上からは何も聞いていない。ランバート家が騎士の家系だなんて。
もしそれが本当だとしたら、何故父上はそのことを言わなかった?
体が弱いのだから騎士にはなれないかもしれないが、一度くらい、剣を触らせてくれても良かったのではないか。
何故剣ではなく先に魔法を教えたのか。
もしかして父上は、最初から…?
心臓が、嫌な音を立てる。
知りたくない。あの家に、ランバート家にも、僕の居場所がないと思い知ることが怖い。
「ルイス」
フレディ先生の声でハッと我に帰る。
「大丈夫か?」
「すみません、大丈夫です」
大丈夫じゃない。冷や汗が流れて止まらない。だがこの人に、そこまで頼るわけにはいかない。
フレディ先生と別れて一人になると、不安感が一層大きくなる。
何で、どうして。
疑念が募る。これでは術式も頭に入りそうにない。
今日はもう、帰ろう。
魔王(仮)の人間〜魔王になんてなりません!〜 東雲晴日 @haru_nohi
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