走る理由

@NH0505

第1話

平凡な高校生、佐藤健太は、毎日同じような単調な日々を送っていた。勉強も運動も特別得意ではなく、とりあえず運動部に入っとけと親に勧められた陸上部に所属している。走ることがあまり好きでは無い健太は、同じくやる気の無い長距離ブロックに所属している友達と家でFPSゲームをする時間が唯一の楽しみだった。しかし、ある日、彼の人生は大きく変わることになったのだ。


「もっと速く走れたら、陸上を楽しいと思えるのかなぁ…」


健太は、学校からの帰り道、ふとつぶやいた。その瞬間、目の前が眩しく光り、気がつくと彼は見知らぬ場所に立っていた。周囲は緑に囲まれ、遠くには山々がそびえ立っている。彼は自分がどこにいるのか全く分からなかった。


「ここは…どこだ?」


周囲を見回すと、目の前には「『祝‼︎』箱根駅伝七年連続出場!」の看板が掲げられた学校があった。健太はその名を聞いたことがある。名門校であり、彼が陸上を始めた時から毎年箱根駅伝に出場している緑山学院大学だ。彼は自分がその学校の生徒になっていることに気づく。


「まさか、転生したのか…?」


彼は自分の体を見下ろすと、以前の平凡な姿とは異なり、引き締まった体つきをしていた。足は細いながらも筋肉がついていて、この身体の持ち主はすごい努力をしてたように思える。どうやら、彼はこの学校の陸上部の選手として生まれ変わったようだ。


健太は新しい生活に戸惑いながらも、陸上部の練習に参加することにした。初めての練習は、彼にとって衝撃的だった。一番最初のミーティングでは、監督が今日の練習の目的や意識などを熱弁し、周囲の選手たちは真剣にその話を聞いている。健太の常識では考えられないことだった。それもそのはず、健太の高校では顧問の先生もただいるだけで、ただ勝手に部員が集まってなぁなぁな雰囲気のまま始まり終わるだけだった。高校では誰も目的が無かった。練習が始まると、周りの選手の技術、走力、そしてメンタルの強さに彼は驚かされた。健太は途中で休憩するために集団から抜けていたが、周囲の選手たちは皆どんなにキツくても、最後まで監督に言われたことを反芻して走り切っていた。彼らは速く、強く、そして情熱的だった。彼は自分がこの環境に適応できるのか不安を抱えながらも、練習を続けることにした。次の練習の時、


「ねぇねぇ、新入り君!君、どれくらい走れるの??」


と健太に話しかけてきたのはこの大学の部長でありエースの川田先輩だ。のほほんとしたような穏やかな性格である彼は一年生にして箱根駅伝を走り、エース区間である二区で区間記録には及ばずも区間賞を獲得し、二、三年生でも二区を走り区間記録を塗り替えている学生トップランナーだ。陸上にあまり興味がなかった健太も箱根駅伝は見るので、彼の名前や活躍ぐらいは知っている。そんな彼に後退りしながらも、健太は、


「佐藤健太です!出身は〇〇高校で、パーソナルベストは5000mが14分05秒です!」


と健太はこの肉体の元の持ち主の記録を言っていた。彼自身の記録では箱根駅伝常連校であるこの大学にスポーツ推薦で入学なんてできるわけないからだ。川田先輩は健太の勢いに驚いていたが、落ち着いてから一言、


「記録は速いけど、なんか強くなさそうだね。」


この一言は健太の心をドキッとさせた。彼が1日目で感じた心の弱さを言い当てられた感じがあったからだ。健太の動揺を見抜くように先輩は続けて、


「駅伝はチームで走る競技だ。1人のミスをチームでカバーする。でも1人のミスはチームの責任になってしまう。この大学に入学してくるランナー、選手たちはチームのために一分一秒を縮めようと血の滲むような努力をしている。昨日の練習もそうだけど、長距離はメンタルスポーツだよ。生半可な気持ちだとチームに迷惑がかかるからね。」


キャプテンの言葉は厳しいようで実は優しいと健太は理解している。だが、自分の心の弱さを完璧に言い当てられてしまい、彼は悔しくて涙が溢れ出そうだった。これまで彼は陸上競技は個人スポーツだと思っていたが、駅伝競走は「one for all」「1人は皆のために」だということを初めて理解した。


それからというもの彼は血反吐を吐くように努力を始めた。この身体は前の持ち主が鍛え上げていたので、さらにもっと速く走れるよう健太は練習を続けていた。監督や先輩にも速く走るために頭を下げて指導してもらっていた。全ては箱根駅伝に出てチームを勝利に導くために。この時の健太は、肉体的にも精神的にも最高であった。


そして迎えた11月、「全日本大学駅伝」当日である。健太は一年生ながら他のメンバーとの調子の良し悪しを考えて最終八区に起用された。監督からは、


「お前は速いんだから自信を持って行け!」


と激励されたが、健太はこの日人生で一番緊張していただろう。初めての襷、この襷には七人分、走ってないメンバーを合わせると数えられないくらいの思いがこの襷には乗っている。健太は先頭で襷を取った。二位の西洋大学とは十秒差。健太にとって初めてのチームのために負けられない走りが始まった。西洋大学とは十秒差しかなかったので、健太は西洋大学の選手と一緒に走ることを選んだ。健太は相手選手のペースの上げ下げに対応して、ラストスパートの勝負となるだろう、と誰もが思った。しかし、現実は違った。残り三キロで西洋大学の選手がロングスパートをかけ、健太は付いて行くことができなかった。結果は一位と二十秒差の二位。完敗だった。記録も、離れてしまった後に気持ちが切れてしまい、あまり良いものではなかった。ゴールした瞬間、西洋大学の監督の胴上げを横目に、泣きながらチームメイトに


「ごめん、ごめん」


と謝ることしかできなかった。チームメイトも、


「お前のせいじゃない」

「チームでカバーできなかったのが悪い」


と言ってくれていたが、どこか残念で悔しそうな声なのは泣きながらでも理解できた。自分の状態は最高だったのに。何が足りなかったのだろう。出走したメンバーでのミーティングの時、監督はこう言っていた。


「悔しさを感じたことのない人間は弱い。挫折をしたことのない人間は弱い。まだ箱根駅伝がある。そこでリベンジをするぞ。」


健太とチームメイトは悔しそうな表情を浮かべながら真剣に話を聞いていた。泣いているメンバーもいた。健太はミーティング終了後に川田先輩に呼び出された。沈んだ表情で呼び出された場所に向かった。川田先輩は健太を見て、


「今日はそれでよかったよ」


と一言。健太自身は今日の自分に良いところなんてなかったと思っているのに。


「何がですか」


と健太は悔しさを滲ませるような声で言った。


「君、慢心してたでしょ。」


健太はドキッとした。先輩は続けて、


「『これだけ頑張ったんだから勝てる。俺がチームを勝たせられる。この思いが詰まった襷を自分がゴールへ一番に届けられる。』とか思ってたでしょ。自分が自分が自分が、って結局はチームメイトも信用せずに最初から一人みたいに走ってたんじゃない?」


「だからゴール前のロングスパートで『自分は負けたんだ』的な感じで遅れてったんじゃないのかな。」


「もっとチームメイトを頼っても良いんじゃないの?気楽に走ってくれよ。素の状態で君に勝てるやつなんか数えられるぐらいの人しかいないんだから。」


自分はチームの一員なのだから。健太は大事なものを思い出した。自分のミスはチームでカバーしてくれる。自分一人で全てやらなくて良いのだと。健太は肩の力が抜けたような感じがした。


それからというもの、健太はメキメキと成長し、チームでは上級生を含めても上位五人には入るであろう実力を身につけた。この時の健太は、走ることが楽しくてしょうがなかった。


そして迎えた箱根駅伝初日、川田先輩は二区、健太は三区で起用された。駅伝が始まり、一区の四年生の先輩は区間二位、二区の川田先輩は快走し区間記録で二位と二十秒差の一位で襷を健太に渡した。健太はこの一年間で監督や先輩、同級生に学んだことを考えながら走った。後ろの監督が乗っている車から激励の声が聞こえる。


「区間記録狙えるぞ!ここからここから!」


どんどん元気が湧いてくる。走ることが楽しくて楽しくて。自分には仲間がいるから。プレッシャーも何もない彼の走りは凄まじいものだった。中継場が見える。肩から思いの乗った襷を取る。健太の顔には笑顔が浮かんでいる。四区のチームメイトも笑顔だった。渡した時にチームメイトの背中を押す。後は託した。と。


結果として、緑山学院大学は二位と二十秒差の往路優勝、健太は区間記録を打ち立て二位と一分差をつけた。健太は仲間とゴールで喜び合いながら、


「陸上競技は最高に楽しいスポーツだ」


と心の中で叫んだ。


次の日の朝、復路の応援をしようと起きたら、平凡な高校生である佐藤健太の家で目が覚めた。健太は驚いたが、箱根駅伝往路優勝はやっぱり夢かと思った。だが、自分の心の中には、


「仲間と走ることは楽しい」

「陸上競技は楽しむスポーツだ」


と夢らしきもので学んだこと、感じたことがしっかり残っていた。健太は横にあるゲーム機を手に取り、棚の奥底へ入れた。これから部員に仲間と走ることの楽しさを伝えていこうと思った。高校へ行くために朝の準備をした。もちろん部活動のためのランニングシューズも。身体はまだまだ引き締まっていないが、楽しむことには関係ないだろうと思った。楽しくないと続けることはできない。


晴れやかな顔で玄関の扉を開けた。彼はとても良い選手になるだろう。どんな陸上選手も原点は


「走ることが楽しい」


から生まれるのだから。

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