夜風は冷たい

夜風は冷たい

     ∶∵∴∵∴∶

[日暮れ]

 静かに鳴くセミ。

さぁーっと吹く風は昼間の熱気を少し残す。

しっとりとくれていく夕陽。

空や雲。山々を赤々と染めて山へ消える夕陽。

一つひとつに夏の面影を感じる。

 俺は自分の住むマンションのベランダからそれらを見つめる。

ダル着にサンダル。誰も何も言わない。

一本タバコを取り出し、火をつけ。一口吸う。

はぁ…と吐き出された煙は、夏の雲に溶けていく。

 また吸い。また吸い…

クシャッと頭をかく。

 俺は、ベランダから自分の部屋をみた。


「こんなに…俺の物って少なかったんだな…」


俺はクシャッと頭をかいたあとタバコを吸い切り部屋へ戻った。

タバコの匂いをつけていても笑いながら怒る人もいない。

暗い中、部屋に居ても…誰も笑いながら電気をつけてくれる人もいない。

…だめだ。やめだやめだ。

外に…飲みに行くか…


 俺は、シャツに着替えた。シャツもズボンもシワは無く…

 もう…最後のキレイなシャツだ。

…ありがとう。もう。遅いけどな…

俺は、アイロンのかかったシャツとズボンを履いて町に出た。


      ∶∵∴∵∴∶

[夜]

 俺は最寄りのバス停でバスに乗った。

飲み屋街までバスで30分。1人で乗るのは久々だった。

窓から外を眺めた。いつもは通路側に座るが、今日は、窓側に座った。

窓側に座りたがる気持ちが分かる気がした。

 小さな声で


「夜。キレイだね。」


って話て笑いあえること…もうできないんだよな…


『ーー駅。ーー駅。お降りのお客様いらっしゃいませんか?』


俺は慌ててバスから降りた。


繁華街。と言っても。昔の話。

今は、金曜だって言うのに閑散としている。

ふらっ。ふらっ。としながら昔二人で通った店の前まで来た。

店の前に立ち止まる。

店からは以前のような人々がガヤガヤと楽しむ音は漏れ聞こえることはなく。

かすかなJAZZだけが流れていた。

JAZZは…変わらない曲調。しっとりかすかに漏れて聞こえる。

ドアに手をかけ開ける。

チリンっとドアのベルがなった。


「いらっしゃいませ。…お久しぶりですね。どうぞ。こちらへ。」


俺は、無言のまま。マスターの目の前のカウンター席へ通された。

マスターは、ニコっと笑いおしぼりとお通しを用意してくれた。


「少しビターな生チョコです。お口に合えば。」


コトっと机に置かれた上品な生チョコを眺める。


「…よければ。生チョコに合うお酒…作ってもらえますか?」


俺は、生チョコを見つめながらマスターへ伝えた。

…ここの生チョコ…好きだったよな…

そして。いつも生チョコに合うお酒を注文してた。

俺はいつも…生チョコを頬張り、嬉しそうにお酒を飲んでる君が…好きだった…


ポタッ…ポタポタ…


マスターがスッと新しいおしぼりを出してくれる。

俺は、新しいおしぼりを取り、まぶたを覆った。

そして。声を殺し。泣いた。


「…今日は、誰も来ないようです。独り言を言っても私しか聞いていません。」


マスターはそう言ってお酒を作り始めた。

…俺は。みっともないほど泣いた。


マスターは。何も言わず作り続けた。

俺は泣きながら独り言を呟いていった。


「今日は。彼女の命日なんです。」


「今日。彼女のご家族に言われました。君は娘と結婚したわけじゃない。君には…未来がある。って。」


「これからの事は私達にまかせてくれ。」


「薄々…わかってた。わかってはいたんです。正式な家族じゃないこと。だけど…だけど…まだ。思っていたい自分がいてしまった。」


「葬儀…四十九日…命日…線香をあげに行って…墓に行って…きれいにして…葬儀での彼女…まるで寝ているようだった…頭から…離れない…墓に名前が入っていても。現実とは思えなくて…」


「突然。突然…事故で…ただ。ただ。歩いていただけ。歩道を歩いていただけだった…なのに……」


感情も。頭もごちゃごちゃだった。

独り言にしてはだいぶおかしい事を言っていたし、文脈もめちゃくちゃ。

ずっと…ずっと好きのまま。止まってる。


「今日、彼女のご両親が家にきたんです。君は。前を向いてほしいから君の家にある娘の物を回収するって。ご両親だけなら…僕は自分で折り合いをつけますと説得して部屋をそのままにしていたかもしれない。でも。ご両親の後ろには業者の方らしき姿が見えました。俺。観念しました。あー。この人達は真剣だし。もう。潮時なのか。って。写真も…思い出のものもコップも歯ブラシも化粧品も…全部持っていかれました。最後…ご両親の顔は…清々しい顔をされていた。やっと区切りをつけられたような…その時。思ったんです。俺は…ご両親にとって…足かせでしか無かった。って前をむこうとしているご両親の邪魔をしている。謝っても許されない。頭の中はぐちゃぐちゃで。周りからは…目の前しか見えていない現実を受け入れたフリをした壊れた人間に見えてたんじゃないかって…」


俺はおしぼりを握りしめ、強く目元を押さえた…


      ∶∵∴∵∴∶

[真夜中]


俺は、強く…強く顔におしぼりを押し付けた。

声を殺そうとなだれ込む心情を押し殺そうと必死だった。


コトっ。コトっ。と机に何か置かれる音がした。

俺は目元からおしぼりを外し、霞む目で音のした方を見る。

ゆっくりと視界が戻ったとき。

机に二つのカクテルが置かれていた。

マスターがゆっくりと教えてくれる。


「あなたから見た右側にあるカクテル名前は「モーツアルト ミルク」彼女がよく飲んでらしたカクテルです。そしてあなたから見て左側にあるカクテルは「マルガリータ」これは、私から今のあなたへ。」


二つのカクテルを見比べた。


右のカクテルは可愛らしいホイップがかかったデザートのような見た目。

匂いは品のいいチョコが香る

左のカクテルはグラスの縁にキラキラときれいな結晶が散りばめられたおしゃれなカクテルだった。

俺はまじまじと二つを見比べた。


なんで…このカクテルなのだろう…


俺の表情に気づいたマスターが語り始めた。


「彼女さんがよく飲んでいらしたカクテル。「モーツアルト ミルク」のカクテル言葉を知っていますか?」


「…いえ。」


「このカクテルには「心理状態をうまく調整できる天才」という意味が込められています。以前、お一人でご来店いただいた際に、彼女さんからカクテル言葉についてご質問がありました。それは他愛もない質問でした。その時にモーツアルトミルクのカクテル言葉やチョコレートはリラックス効果があることなどお話をしました。彼女さんは、少し考え込まれた後、彼氏さん…あなたの事を話し始めました。」


「チョコレートのように甘い関係だけれど…その関係が心地よくて…彼といると凹んだ事があっても前向きになれたり、泣いた日には何も言わず。包みこんでくれた…私がこんなに心穏やかにいれるのは彼のおかげ。このカクテルみたいに安心出来る。彼と一緒にいるときはこれを注文して彼に伝えてみたい。あなたといると私はリラックスできる。そして幸せ。って。」


「彼女さんは、あなたとご来店された時、毎度注文されていましたが…恥ずかしさがあったのでしょうね。なかなかその事をお話になれないようでした。あなたは、彼女さんからとても大切にされていたのですね…」 


俺は、モーツアルトミルクを見つめた…

そんな…風に思っていてくれたなんて…


「一口飲んでみてはどうでしょう?今日はまだまだ暑かったので氷を入れて作っています。」


俺は一口。口をつけた。

口の中に香るチョコレートの香りとミルクのまろやかな口当たりがとてもいい。上に乗せてあるクリームも甘すぎずちょうどいい。

彼女は、毎回、これを頼んで…俺に伝えたかったのか…

俺も…俺も……


俺は、グラスを置き、目元を拭った。


「…愛されていますね…あなたは。」

「…はい。…よかった…」


俺は、彼女との思い出を噛み締めながらモーツアルトミルクを飲み干した。


「…もう一つのカクテルは、私から。」


マスターは、左側にあるカクテルに手を差し伸べていた。

俺は、そのカクテルへ視線を落とす。


「こちらは「マルガリータ」と言います。このカクテルにも言葉があるのを知っていますか?」


「…いえ。知りません。」


マスターは、少し間をおいてから話し始めた。


「こちらのカクテル言葉は「悲恋」「無言の愛」だそうです。このカクテルを作った方の恋人との悲恋が生み出したカクテル…それがこちらの「マルガリータ」というカクテル。

彼が若かりし頃。恋人マルガリータと二人で狩りに行ったそうです。その際…流れ弾にあたり…彼女は亡くなったそうです。」


俺は、バッと顔を上げ。マスターを見た。


「彼は、彼女を偲び。作ったカクテルが「マルガリータ」だそうです。」


俺は、マルガリータへ目を向けた。


「あなたの恋…愛…それは無情にも…「悲恋」となってあなたの心に残っている…忘れることもできない悲しみを無理矢理にでも押し殺そうとしている。マルガリータをみてください。忘れるどころか後世まで語り継がれ…愛されている。無理に気持ちや記憶を忘れる必要はない。この日だけは…静かに。静かに。彼女を想ったっていいじゃありませんか。」


俺は。マルガリータというカクテルを自分の方へ引き寄せた。


「俺は…俺は…」


また。目に涙が溜まるのがわかった。

だが、無理に止める事もできない。

俺は、彼女が最後にアイロンがけをして、きれいにしてくれたシャツの胸元に手を当て目を瞑った。


あぁ。愛していた。今も…

世間や周りがなんと言おうと…


 俺は目を開けて一口二口飲みながら、彼女との思い出や彼女の記憶を噛みしめた…


       ∶∵∴∵∴∶

[夜明け]


 あれから随分たった。

俺が置かれていた環境は変わり、あれから少しだけ前に進むことができた。

 就職をしたあと社会にもまれ二十数年。

俺は、あのカクテルを出してくれたマスターの店を継ぐことになった。

実は、会社員をしながらカクテルやリキュール。ワイン、日本酒、焼酎などありとあらゆるお酒について勉強していた。

そんな時にBARを引き継がないかと提案された。

マスター曰く。もうそろそろゆっくりと余生を考えたいとのことだった。

マスターもいい年になっていた。


俺は、何年かマスターの下で修行をさせてほしいと伝え、修行した。


会社は営業周りやお客様対応をする場面の多い会社だった為、多少は大丈夫と思っていたが、場所が違えばやり方も姿勢も違う。

俺は、マスターのする接客、お酒のレシピ、雑務いろいろなことを吸収していった。

あの時、人生で一番貪欲に学んだような気がする。


そして、今日が独り立ちの日。

マスターは、何かあったら電話してほしい。と言ってくれた。

俺は、ぐっと口を一文字にしてうなずいた。

マスターはその様子に笑いをこらえながら


「リラックスだ。大丈夫。」


そう言って肩にポンっと手を置いた。

少しだけ肩の力が抜けたような気持ちになった。


「…ありがとうございます。」


俺はニカッと笑ってみせた。

マスターは少しホッとしたような表情をしたあと、店を出ていった。


ドッドッドッと鼓動が高鳴る。


チリン…


店の戸が開く音がした。


俺は、ふっと軽く息を吐いたあと、落ち着いた口調で…





「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ。」





終わり。

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夜風は冷たい @wataru-kaiki

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