ふうと猫

@mmm00

第1話

『猫になった少女の物語』

「わたし、本当に猫になっちゃった!……これからどうなっちゃうのぉー!?」

最悪な毎日を捨てて猫になりたいと魔法使いに願った少女。猫は心優しい小学生の男の子に拾われる。温かな寝床、美味しい食事、何もかもが満ち足りていた。だけどそんな生活も、寂しさに飲まれて終わりを迎える。

お世話になった家を飛び出して、魔法使いの家に走り出す。

「戻るんだ……家族のもとに!」

そして、人間に戻る。髪が頬を撫でる感覚、痒くない体、すべすべとした手の甲。

それから、自分の帰りを泣いて喜んでくれる両親。女の子はこれからまっすぐ純粋に生きていくことを誓う。めでたしめでたし。

そう。物語のフィナーレはいつだって、めでたしめでたし、なのだから。


――『そよそよ』っていい響き。かあさんとけんかして家をでて3分歩いたふうはそう思いました。けんかと言っても、それは、ふうのかんしゃくのために起こってしまったじこみたいなもの。やわらかいかぜにのって桜が踊るようなもの。そんなふうにも思いました。

だから、見た目では反省の色なんかなさそうに最近広告で流れてきて入れてみたゲームを淡々とやって通学のバスを待っているように見えても、心の奥では『このゲームつまんないな』と思っていて、そのまた奥の奥では、かあさんが最近血圧が高いのだと嘆いている背中を思い出し、けさはかあさんにわるいことをしたとほんの少しばかりだけれど悔やんでいるのですよ。

かあさんには悪いですが、ふうは16、『ししゅんき』です。美味しい紅茶をのんで自分のご機嫌取りしようとしたって、かんしゃくといらいらが募ります。ゆいいつの癒しは野良猫とたわむれること……だけどそれももう嫌になってしまいました。自分とは切り離して考えているようでも、やっぱしいろいろ思い出してしまうものですね。

ああ、このゲームは、本当につまんない。そうこうしているうちに、バスに乗って新学期がやってきました。甲高い電子音が耳の奥に鳴り響きます。スイカの残高がなくて恥をかいてしまったけど、つま先はいまにもふうから離れていくみたい。

新学期はあっけなく、なんともないような顔をして進みます。まわりはもうみんなでお話していて、ふうは話しかけてもらえるのを待っていました。それはもう、せんせいが班わけをするといったときにはじめて焦り始めたくらいに、ふうの感覚は麻痺していました。隣の席のみゆかが、こちらを見ている気がして、助かったと思ってそちらを向いたけど、どうしたって、鼻をすすってみたって目が合いませんでした。かわりに、みゆかの目がふうのつま先からあたまのてっぺんを通る神経の先までつうっと滑っていくような気がして、そしてその目がコンマの差で隣りにいたさきに注がれたとき、ふうは失望しました。ああ、この子は自分とは仲良くしたい子じゃないんだなと思いました。みゆかは多分、このクラスでいちばん派手でごてごてしてて、かわいい女の子でした。だからふうは、けさ教室の扉をガラッと開けてから自分がいっさい何も喋っていないなんて、みゆかがこちらを見つめても全然目を合わせようとしなかったなんて、そんなこと夢にも思わなかったのです。猫になっていたせいでしょうか。いえいえ、ふうはもともとそういう人間だったかもしれませんね。よくおぼえていません。

そうだとしても、ふうはいま、これまでで一番きずついていました。ふうは、じぶんは変わったのだと、これまでの根暗でおたくな自分とは違う自分になったのだと、そう思っていたからです。そう、自分の中では、猫になって、小学生ゆうくんとたくさんの冒険をして、笑いと感動の物語を体験して、いい子でいるってそう思って……。

結局、ふうはそこにいた全然喋んない子と自分のことをたんまり喋ってくれる子とおんなじ班になりました。――ああ、結局またこうか。ふうは思いました。それから、ひとに戻って初めて、小学生ゆうくんのことを思い出しました。そういえばゆうくんは、自分のことも話してくれたけど、ふうがたいくつそうにするとすぐに話をやめて、喉の下をなぜてくれたな、と。

その手のあったかさがなんだか遠い昔のことみたいに思えて、いま目のまえにいるこの女の子の話は、なんてつめたく、わずらわしいんだろうと思いました。

次の授業は、体育でバスケットボールでした。ボールはいつもふうを裏切ります。つかめると思ったらひゅうっといなくなってしまうんで、ふうはボールが好きではありませんでした。女の子たちの励ましめいた笑い声が、ふうの背中に張り付くようでした。

汗だくになってボールをおっかけまわしたあとで、声が聞こえました。

『ああ、まじ最悪。あいつのせい。』と。


ふうはもう限界でした。しかいがぼやけてしまう、と思いました。

だけど、ふうの眼球はいくらでも乾燥していられたので、嗚咽の支度をしていたふうはなんだか背中と両頬がざわざわして走り出しました。

ふうは自分が風になったのかと思って、それで長距離走のときみたく詰まっていた胸のもやもやがいなくなって、お空を眺めました。なんだかかあさんがむかし、ふうを膝の上に乗っけて歌った鼻歌を思い出しました。ふうは、あのときのかすかな記憶の中のかあさんと今の眉間にしわ寄せたかあさんがおんなじ人とは到底思えませんでした。だけどなんだかおなかんとこがしくしくしました。天井には、まだ太陽の跡ものこってきれいなキャンバスに少しかけたような月が微笑んでいました。それでふうは安心して、いつものように想像するのです。

自分は満ち足りていて、なんにもなやんでいなくて、それでも、こんなきれいなおそらを眺めたって心が落ち着かないのなら、そんな空虚な心を持ちながらバスケの授業の後、女子更衣室で悪口大会のフリースローおこなわんといけんなら、そんなんなら、ふうは自分とこのきれいなお空と、雲みたくふかふかのお布団さえあればそれでいと思いました。


「ねえ、聞いてる。」

え、先生?

「ふう、ちょっと」

かあさん……

「聞いてるの?」

「あ、はい」

「どうして授業中なのに教室を出たの。」

「……。」

とにかく、ふうは喋っちゃいけないと思いました。今喋ってしまったら、自分の辛かった気持ちが、ぜんぶ言いくるめられてなかったことのなってしまうんじゃないかって、そう思ってしまって。

「……とにかく、ご家庭でもしっかり様子を見てくださいね。」

帰りの車の中で、「あなたは、いつもこうだね。」と言われました。そんなことを言われたのは、小4のとき、熱々のラーメンをまるごと零したとき以来でした。かあさんは「コーヒー買ってくるね」といって、コンビニに寄って行きました。

ふうは、この場からまた逃げ出してしまいたいと思いました。

こんなことならずっと猫のまんまでよかったのにとふうは思います。ふうのことを傷つける人がいるのは変わんなくても、それでも猫でいられたら少なくとも、ふうのことを好きでいて、確かに愛してくれる人がたくさん居たのにと。

そのとき、コンビニの真横にあった郵便局のなかから、誰かに呼ばれているような気がして、ふうは車を降りました。のろのろと、導かれるようにふうはその中に入っていきました。春の日差しすら、ふうにはジリジリと熱く感じられました。

郵便局の自動ドアを抜けて、なんだかわからないままふうは椅子に座っていました。ドアが開くたびにかあさんじゃないだろうかと、やけに現実的にビクビクして、またみるとそこには、


『ゆうくん……?』

そのかわいい瞳が、ふうをゆっくり見据えました。

『ゆうくん、だよね。わかるかな、えと、私……』

『誰。』

『え?』

『だれ、誰ですか。おばさん。』

耳慣れない単語。みみなれない、響き。それから……怯えるかお……。

『おば……え、え、ねえ、ゆうくん、違うじゃん!ゆうくんは、ゆうくんだけは私のこと……!』

『やめて、こっちこないで‼』

ふうは、ランドセルについた、振り回されてガチャガチャと傷ついたそれを知っていました。


防犯ブザーの甲高い音が脳裏に響き渡りました。ブザーについた、小学生の教材の、猫がモチーフのキャラクターが、ふうのことを笑っているような気がしました。


気がつくと、ふうはじぶんのおうちのおふとんのうえで、見慣れた天井を眺めていました。どうやって帰ってきたのかはわかりませんでした。

ああ、ああ。ふかふかのおふとん。じぶんのおへや。あんしんあんぜん……。

なんて素敵なんだろうか。なんて、あたたかいんだろう。

なのにどうしてか、ふうの目からは、水が流れて止まらないのでした。

私の居場所はここで、私はここに居るはずなのに、それが全部まぼろしだと思いました。そうであってほしいと思いました。

滲んだ視界で眺めたピンクの手のひら……

「あ」


猫は、悲しいとか、嬉しいとか、そういう感情では涙を流さないんだそうです。

ならば、ここまででもそうなら、こんなでも猫になれてしまうのなら、それは、もう、自分はどんなに冷酷なにんげんなのだろうと。

さあ、今度こそ、ゆうくんに会いに行きましょう。今度こそ、ふうの顔を撫ぜ回して、それで『おかえり』って言ってくれるでしょう。今度こそ、ふうは、ふうはもう間違えたりしない。箱の中でも、生き苦しくても、それが自分のうんめいならば甘んじて受け入れよう。ああでも、もう少し、もう少しだけ、この二階から、三日月を眺めていたいと思いました。


かあさんが階下からふうを起こしにくる音がしました。朝ご飯のおいしそうなにおいがして、ふうは、人生でいちばん泣きたい気持ちで胸がいっぱいでした。

カーテンのゆらゆらするのに身を任せ、ひかりが身体を包む。

子猫は、華麗に着地を決めて走り出していきました。

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