第二十話
屋敷の主人や家族が暮らす寝殿や対の屋と、外の世界へと続く外門との間にあるのが
「三姫様!」
中門の下でそわそわと待ち人を待っていた三姫は聞き慣れた声にほっと息をついた。
額の鬼の角と猫のような金色の目を隠すために頭からすっぽりと単衣を被っている。胸には竹できた鳥籠を――幼馴染みから鬢削ぎの儀の祝いにと贈られた花籠を抱えている。
「髪、切ったのね」
「はい、名も桐昌と改めました」
単衣を手の甲であげて笑顔を見せる三姫に桐昌は微笑み返した。
「そう、きりまさ……桐昌。……なんだか不思議な感じね。慣れる気がしないんだけど」
「そうですね。私もまだ、あなたのその髪には慣れません」
困ったように微笑む桐昌に三姫はくすりと笑った。見知った幼馴染が大人びた姿になるのは戸惑うし、くすぐったいものがある。
ただ、三姫が
三姫が苦笑いしていると――。
「あば、あばばば……!」
胸に抱えた花籠から鳴き声が聞こえてきた。布で折られた百合の中から震えながら顔を出したのは白い綿毛のあやかしだ。
クラベに怯えて散り散りに逃げて行ってしまった小さなあやかしたちだったが皆、無事だったらしい。鬼門の対の屋が壊されて祖母の部屋に隠れていた三姫の元に代わる代わる顔を見せに来た。
綿毛だけは百合の花の中が気に入ったらしく、すっかり花籠に居付いてしまっている。
無事だったと言えば――。
「準備は出来てるかい、姫さんたち!」
クラベに叩き潰されてしまったと思っていたスズメ天狗も無事だった。
いや、もう、スズメ天狗ではない。三姫と桐昌とでスズの名前をあげたのだ。
ケガが治るまでの短い間だったけれど三姫と鬼童丸の二人で世話をしていたスズメのスズ。三姫と鬼童丸の鳥籠を出た後、天狗を目指すスズメの奥さんになったスズ。
「こっちの準備も出来たってさ。そら、行くぞ! 新天地ってやつだ!」
亡くなった
「何か
とのことだ。
茶色い羽を羽ばたかせて飛んできたスズが竹でできた鳥籠に止まる。スズの額を撫で、綿毛の額を撫で――三姫は首を傾げた。
「ところで、どうしてスズも綿毛も震えているの?」
「良く聞いてくれた、姫さん。どうしてかって言うとだな、きい丸のやつが容赦ない殺気を向けてくるからだよ」
スズの言葉に三姫はゆっくりと顔をあげるとじろりと桐昌を睨み付けた。
「私には触れようとしてくれないのにスズや綿毛はしょっちゅう撫でられていてズルい。……
「ひ、ひぇえええーーーっ!」
「あばばばば!!!」
「きい丸、目が
クラベの一件でと言うか、呪符を隠した花籠の一件でと言うか。この幼馴染みは色々と吹っ切れてしまったらしい。嫉妬も殺気も少しも隠す気がない。
ぶるぶる震えるスズと綿毛を抱きしめて三姫はますます目をつり上げた。
「そもそも、私がきい丸に触れたらケガをさせちゃうじゃない!」
「あなたが触れてくれるのならケガの一つや二つや百、なんてことありません」
大真面目な顔で言う桐昌を前に三姫は額を押さえてため息をついた。本気で言っているから怖い。三姫が許可した途端にべたべた触りまくって、笑顔で全身ケガだらけ、血だらけになっていそうだから怖い。
と――。
「大丈夫だよ、鬼童丸君。僕も良仁君も鬼のお姫さんには触れられないから。触れられないのは君だけじゃないから」
「季嗣様、鬼童丸君が言っているのはそういうことではないと思いますよ」
外門の方向から声がした。
「そんなことよりもこっちに来て! 早く来て! 鬼の結界だよ! 結界の中はどうなっているんだろうね、楽しみだねえ!」
見ると飛び跳ねて手招きする季嗣の隣で良仁は呆れ顔でため息をついている。
表向きは季嗣が、実際には三姫の祖母が鬼の秘術を使って用意した結界付きの屋敷に三姫はこれから軟禁されることになる。間近で鬼の秘術を見られたことがよほど嬉しかったのだろう。季嗣は上機嫌で謎の舞いを舞っている。
一方、桐昌は――。
「何が大丈夫なんですか、季嗣様。あなたの場合は触れる云々以前に近寄らないでください。三姫様に、それ以上、決して、近寄らないでください」
冷ややかな目で季嗣を見つめている。手は腰の刀に触れているし、厳重警戒態勢だ。
三姫を警護するために桐昌は屋敷で暮らすことになっているが、季嗣と良仁も頻繁に屋敷を訪れることになっていた。
三姫や桐昌の身のまわりの世話をしてくれるのは季嗣が使役する式神達だし、
「ええ!? 近寄らないと観察できないじゃないか! 鬼の角とか鬼の目とか、観察できないじゃないか!」
完全なる好奇心からだ。
爛々と輝く細い目にじろじろと見つめられて三姫は単衣を深く被り直すとそろそろと桐昌の背中に隠れた。
「……ちょっと殺気が
「好きな女の子に頼られたら嬉しいものでしょう……が、露骨ですね、鬼童丸君」
季嗣と良仁がひそひそと話す言葉が聞こえていたのはスズメとはいえ天狗にまでなった、嗅覚だけでなく聴覚も優れているスズだけ。だから、季嗣と良仁の言葉にうんうんとうなずいているスズを見て、外門へと歩き出した三姫は首を傾げた。
「大丈夫だよ、鬼童丸君。職務として正々堂々、観察できる環境を手に入れたからねぇ。
「……」
桐昌の目を下からのぞきこんでニヤニヤと笑う季嗣と、そんな季嗣を見下ろしてこれまで以上に殺気立つ桐昌を三姫ははらはらしながら見守った。
クラベの一件の時か、その前に何かあったようなのだが何度聞いても桐昌は絶対に話そうとしないのだ。
「ここを開けたら目の前が用意した屋敷です」
ぴたりと閉じられた外門の前に三姫が立つと良仁がにこりと微笑んで言った。緊張した面持ちで三姫はうなずく。
伊勢や幼馴染みが止めるのも聞かずに屋敷を抜け出し、外門の外に出て行くことなんて何度もあった。だけど、今回は違う。
二度と桔梗家の屋敷には帰ってこられない。
二度と軟禁先の屋敷から出ることはできない。
鳥籠の中の鳥、花籠の中の花だ。
「三姫様」
うつむく三姫の視界にすっと鞘に収まったままの刀が差し出された。顔をあげると幼馴染みが微笑んでいる。
「触れたりはしません。私が傷付けば、あなたが傷付くことを知っていますから。あなたがぐしゃぐしゃな顔で泣くことを知っていますから」
子供の頃、屋敷を抜け出した三姫はこの幼馴染みの手を引いてあちこちを駆け回っていた。差し出された刀は手の代わりなのだろう。
くすりと微笑んで手の代わりの刀を取ろうとした三姫だったが、何故か刀を引っ込められてしまった。驚いて顔をあげると三姫を見下ろす桐昌がすっと目を細めた。
息を呑む三姫を見つめたまま、桐昌は刀の先端――
そして――。
「必ず、守ります」
三姫の唇に、その柄頭を押し当てた。
「行きましょうか」
顔を真っ赤にする三姫を嬉しそうに見つめて桐昌は改めて手の代わりの刀を差し出した。三姫は無言で刀を掴むと――。
「痛い……、痛いです、三姫様」
そのまま奪い取ってバシバシと桐昌を叩いた。
「姫さんもきい丸も何やってんだよ」
「あばば……」
「ついに……ついに鬼の結界の中にぃー! どうなっているんだろうね! どうなっているんだろうね、良仁君!」
「落ち着いてください、季嗣様。……落ち着いて」
外門の扉がゆっくりと開く。鳥籠の扉、花籠の扉が開く。
三姫は隣に立つ桐昌を見上げると握り締めたままだった刀を無言で差し出した。鼻先に突き付けられて目を丸くした桐昌だったが、にこりと微笑んで刀を握る。
「行くよ、きい丸」
「はい、三姫様」
手を引く代わりに刀を引いて三姫が歩き出す。その後に桐昌が続く。
外門の向こうには牛車も
鬼姫様は籠の中。 夕藤さわな @sawana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます