第十九話
桔梗家の一室ではひっそりと鬼童丸の元服の儀が執り行われていた。
部屋にいるのは鬼童丸と三姫の祖母の二人だけだ。
老婆は鬼童丸のみずら髪をそっと撫でた。十八才になる鬼童丸がするには年齢不相応な髪型。その髪を解いて櫛を入れる。
「鬼が人を食べるなんて話は人が勝手に作ったホラ話。鬼は相手を映す鏡。人が傷付けるから鬼に触れた時、人は傷付く。鬼が人を傷付けるわけじゃない」
老婆はしゃがれた声で言った。
「だが、人は私たち鬼の言葉を信用せず、鬼は人を傷付けるものだと……あまつさえ人を食らうものだとまで言いおった」
手馴れた様子で鬼童丸の長く艶やかな黒髪を高い位置で一つにまとめると麻の紐で結う。
「鬼門の対の屋の庭に眠る同胞たちを見たのだろう? 桔梗家の――私の夫が同胞を殺したわけじゃない。彼は私や同胞たちを
長い白髪を揺らして老婆は鬼童丸の正面に立った。
「生き残った同胞は傷付き、絶望し、人を見限り、隠れ里で暮らすようになった。私とて、人を信じてなどいない。彼を愛していただけ。彼の血を引く子孫達を愛しているだけ。人を許してなどいない」
前髪を整え、腕を
「その点、お前は実に人間らしい。なぁ、鬼童丸」
鬼童丸の腕には包帯が巻かれている。三姫の手を取った時に出来た傷だ。刀で切られたかのような傷はまだしばらく癒えそうにない。
「幻術とは言え、三姫に呪いをかけた。自分の欲望のために鬼にした。その傷は三姫がつけた傷じゃない。お前の
囁いて笑った老婆の目は猫のような金色をしていた。額の左右の皮膚が盛り上がっていた。
どんな術を使ったのか。
三姫の祖母は――桔梗家に混じる鬼の血の大元である鬼の長の娘は二百年もの間、桔梗家で人に
三姫のように子孫の誰かが鬼になってしまった時、守れるように桔梗家に棲み着いていたのだ。
「ざまあないな、人間の小僧よ」
耳の横で老婆が小刀を
「その傷も、この状況も、お前が招いたこと。三姫をあのような姿にした責任を取り、しっかりと仕えるといい」
皺だらけの手で鬼童丸の髪を乱暴に掴むと老婆は小刀を当てた。
「しかし、触れることは許さぬ。私が許すまでもなく触れようがないだろうがな」
しゃり……と、音がした。みずら髪を結えるほどに長かった鬼童丸の髪は小刀によって肩につく程度の短さに切り落とされた。
「お前の新しい名は
顔をあげると老婆の目も額も人間のそれに戻っていた。見慣れた〝三姫様のお祖母様〟の姿だ。冷ややかな失望と嘲りの混じった目に鬼童丸は――いや、桐昌は自嘲気味に微笑んでうつむいた。
鼻を鳴らし着物を引き摺って部屋を出ていく老婆に桐昌は
鬼は様々なあやかしや厄介ごとを引き寄せる。クラベの一件もあり、帝や多くの貴族は三姫を〝退治〟するべきという意見だったらしい。それに反対したのが実家である桔梗家。それから桂家と
四家ある名門貴族のうち、二家が反対したこと。占いや天文、呪術やあやかしに関するあれこれを担当する陰陽寮が反対したこと。何より、その長である季嗣が責任を持って監視し、軟禁先の屋敷に結界を張ると宣言したことから三姫の〝退治〟は一旦、保留となった。
これで元服の儀は終わりだ。
桐昌は色褪せた
桐昌の身分は今日から桔梗家お抱えの武士団の一人、三姫専属の警護ということになるのだから。
同じ名門貴族とは言え、家格が上の藤野家、中原家に異を唱えることに当初、桂家現当主は難色を示した。季嗣に――孫息子に頼まれても渋い顔だった。むしろ、不肖の孫息子に頼まれたからこそ渋い顔だったという可能性もあるのだが――それはさておき。
結局、桂家現当主の背中を最後に押したのは桐昌が三姫を
――盗賊の首と共に奪われた花籠や花嫁衣裳、嫁入り道具を持って来た者にはそれらの盗品すべてを与える。
――他、望むもの・願いがあれば一つ叶える。
桂家に届けた婚礼用の花籠も、持ち切れずに盗賊がねぐらにしていた庵に置いてきていた盗品も、全てを桂家と亡くなった花嫁の実家である上級貴族の手に返した。その上で望むこと、願うこととして三姫を〝退治〟することに反対し、桔梗家側に付くことを求めたのだ。
三姫を鬼に変えて桔梗家の屋敷に閉じ込める計画も、三姫を攫う計画もご破算だ。それでも桐昌の頬は緩んでいた。
どんな身分でも、どんな関係でも、大切で愛しい幼馴染みと共にいられるのだ。大切で愛しい幼馴染みがそばにいることを許してくれたのだ。
桐昌は立ち上がると軽い足取りで部屋を出た。
クラベが桔梗家の鬼門の
三姫の父親は早々に大工を呼び寄せ、屋敷の修繕に取り掛からせた。今日も青空の下、のこぎりやトンカチの音、男たちの威勢の良い掛け声が響いている。
賑やかな声を聞きながら桐昌は庭を流れる川に掛かっている
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