第十八話
「嫌ってなんていません! 嫌うわけがない! あなたのそういうところが私は大好きなのですから!」
物静かな幼馴染の大声に三姫は目を丸くした。
そして――。
「……え? わがままを言ったり、
大真面目な顔で聞き返した。
「違わないわけではないですし、そういうところも好きですが……でも、そこだけを切り取ると変態っぽくなるのでやめてください」
ちょっと引いている様子の三姫に鬼童丸も大真面目な顔で首を横に振る。
かと思うと――。
「伊勢殿や私が止めるのも聞かずに屋敷を抜け出して、慌てて追いかける私に向かって手を差し出すあなたの笑顔が大好きです。その手を取って握り返した時に見せるあなたの笑顔も大好きです」
「ちょ……ちょっと、何!?」
臆面もなく、三姫が
「ケガをした私を心配して泣きながら怒るあなたの顔も大好きです」
「き、きい丸……やめ……!」
「唐菓子を横取りした後、所用で何日か屋敷に行けずにいたら私を怒らせてしまったのではないか、二度と来ないのではないかと心配そうな顔をしていたあなたも大好きです」
「もう、やめて……って、見てたの!?」
大真面目な顔のまま深々とうなずく鬼童丸に三姫の顔がみるみる赤くなる。
心配で、
右の額から生えた角も赤くなっている顔も袖で隠したくて、三姫は左腕で花籠を、右腕で頭を抱え込んだ。
でも――。
「それに……あなたはご自身をわがままだと言うけれど、わがままを言う相手や時、場所をきちんと
鬼童丸の言葉に三姫はそろそろと袖を下ろした。見ると幼馴染は優しい目で三姫を見つめている。
「お父様は仕事で疲れているから困らせてはいけない。お母様にこんなことを言ったら心配させてしまう。伊勢は今、忙しそうだから話し掛けてはいけない。……そんな風に一人で黙って我慢をしてしまうあなただから、私の前でだけはいつでも、どんな時でも、わがままでいてもらえるようにと努力してきたんです」
「……努力?」
「ええ。だから、努力が実っていたことを喜びこそすれ、怒ったり、嫌ったりなんてするわけがないんです」
「……過保護が過ぎない?」
尋ねてみたけれど絶対に過保護が過ぎる。
そう思う三姫とは裏腹に――。
「いいえ、まったく」
鬼童丸はきっぱりと言って首を横に振る。
「あなたのお父様から婚約者候補の名前を聞くたびに相手の身辺調査をして匿名で報告したりもしましたが、これも過保護ではありません。当然のことです」
「身辺調査……?」
「……他の候補者は叩けば埃が出るし、罠を仕掛ければひょいひょいと引っ掛かったのですが」
「埃……罠……?」
「さすがは名門貴族というか、いずれは当主になる方というか。桂家の次男だけは何をどうやっても出てこなかったんですよね。あれが季嗣殿の弟とは世の中、わからないものです」
「……ねえ、きい丸。今、舌打ちしなかった?」
季嗣の顔を思い浮かべてため息をついているらしい鬼童丸を見上げて三姫は額を押さえた。
――可愛い三姫に相応しい相手がなかなか見つからなくて頭を抱えていたが。
――呪われているんじゃないかと思うくらい決まらなくて困り果てていたが。
――最後の最後にやっと良いご縁に恵まれたよ。
鬢削ぎの儀の前――この先、行われる婚礼の儀について聞かされた時の父親の言葉を思い出す。
この幼馴染は昔からそこいらの大人よりもよほど頭がまわった。その結果、三姫の父親に呪われているんじゃないかと思わせる程の困惑を与えたらしい。
「埃一つない相手、あったとしても上手に隠し切るだけの権力と実力を持った相手。きっと、あなたを幸せにしてくれる。守ってくれるでしょう」
ただ、幼馴染の頭を
「私はずっとあなたに幸せでいてほしいと思っていました。あなたが成人して、良縁に恵まれて、嫁いで行くのを見届けるまではそばにいて守りたいと。だから、年齢不相応の髪もそのままにしていたんです」
みずら髪は成人していない男の子がする髪型。まだ子供という証だ。
貴族として元服するにしても、無位の庶民になるにしても、みずら髪を
「それで、ずっと……?」
「あなたが嫁ぐのを見届けたらみずら髪を解いて私の役目はおしまい。あなたを幸せにするのも守るのも夫となる男の役目になる。わかっていた、呑み込んでいた……つもり、だったのですが」
不意に低くなる鬼童丸の声に三姫の肩がびくりと跳ねた。
「私はいずれ〝人〟ではなくなる身。これまでのようにこれからも、あなたと共に過ごすことなど叶わない」
三姫を見つめる鬼童丸の表情は、視線は、低い声は、
「……人で、なくなる?」
聞き返す三姫に鬼童丸は苦い笑みを浮かべた。
貴族以外は人ではない。
そんな風潮があることを名門貴族の三の姫であり、御簾の奥に隠れていなければならない立場の三姫が知る
でも、都の外れに暮らす鬼童丸はそんな風潮があることを良く知っていた。貧乏貴族の四男で、いずれは無位に落ちて庶民となる身、〝貴族以外〟になる身と小さい頃からわかっていたからこそ、そんな風潮を痛いほどに感じていた。
諦めていたはずだった。
でも――。
「あなたを奪われるという現実を突きつけられて、私以外の誰かの花籠に入って、
そうして用意したのが鬢削ぎの儀の日に贈った花籠だったのだ。
「あなたを鬼に変えてでも、足首を掴んで〝
三姫が胸に抱えている幻術の呪符を隠した花籠だったのだ。
「あなたが鬼になったと知れば桂家との婚約は破談、他の貴族もあなたを
見慣れない怖い顔のまま、鬼童丸は三姫を見つめて言う。
でも――。
「御簾越しでも、今までとは違う形でも、あなたに会える。あなたのそばにいられる。これが最善の策と、そう思っていたのですが……」
不意に鬼童丸は眉を下げると困ったように微笑んだ。
「あの日、あなたの言葉に気付かされたのです。あなたを
「さ、攫ってもって言うか、なんて言うか……!」
――きい丸に私を攫うくらいの度胸があれば……!
鬢削ぎの儀の当日、頭に血が上ってうっかり口走った恥ずかしい言葉を蒸し返されて三姫は顔を真っ赤にして唇を
でも――。
「なかったのはあなたを攫う度胸ではありません。差し出せば手を取ってもらえるかもしれない。そんな考え自体がなかったのです」
そう言って手を差し出す鬼童丸の笑顔に全て吹き飛んだ。
「あなたを攫っていける算段が付いたのです。三姫様、私に攫われてくれますか」
「は……」
はい、と言って手を取ろうとして――三姫は伸ばした腕をふと止めた。鬼童丸に贈られた花籠をきつく抱きしめる。
今の自分は右半分だけとは言え、鬼なのだ。恐らく、ずっと、このまま鬼なのだ。
「……怖く、ないの?」
小さな声で尋ねると鬼童丸は不思議そうな顔をした。でも、すぐに三姫が何を考えているのか思い当たったらしい。
「怖いわけがありません。三姫様の心が三姫様のままなら、どんな姿であっても構わない。どんな姿でもいいからそばにいたい。そう思ったからこそ、あなたにこの花籠を――鬼になるようにと呪符を隠した花籠を贈ったのですから」
三姫が抱きしめる花籠に触れ、左半分は人のまま、右半分は鬼に変わってしまった目を真っ直ぐに見つめて鬼童丸が言う。
言われてみれば言えばそうだな、と三姫は思った。
それと色々と落ち着いたら、今回の件はちょっとやり過ぎだと怒らなければとも思った。昔からそこいらの大人よりもよほど頭がまわるけれど、やり方が極端かもしれない幼馴染は今回の一件以外にもちょっとやり過ぎているかもしれない。ちょーーーっとやり過ぎているかもしれない。聞き出して、怒って、これからは事前に止めるようにしなければ、と心に誓いながら三姫はくすりと笑った。
そして――。
「それもそうね。私をこんな風にした責任を取ってもらわなくちゃ」
差し出された鬼童丸の手を、今度こそ取った――瞬間。
「……っ」
「きい丸!?」
鬼童丸の手のひらから腕にかけて刀で切ったかのような傷が出来た。
「三姫……様?」
鬼童丸の手を振り払って三姫はふらりと後退った。みるみるうちに青ざめていく。すっかり忘れていたのだ。祖母に言われたことを。
――その角は鬼の角。
――鬼に触れれば人は傷付く。
――どんなに寂しくても、不安でも、決して触れてはいけないよ。
――母上様にも、伊勢にも、誰にも触れてはいけない。
そう言った時の、祖母の恐いほどに凪いだ声と目を。
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