第十七話
最初こそ怯えた表情で足元の青白い腕たちを見つめていたが三姫だったが鬼童丸を受け止め、そっと地面に下ろすのを見て表情を変えた。同じく鬼の死霊たちに驚いている様子の鬼童丸と目が合った瞬間――。
「……」
三姫は唇を引き結ぶと大きく頷いた。覚悟を決めたかのようにキッと顔を上げ、前足を掴んだまま、鬼の死霊に
「……
幼馴染の目配せの意味に気が付いた鬼童丸はくすりと笑うと刀を握り直した。再び駆け出す。
「この……離せ、離せ!」
十体にはなるだろうか。
鬼の死霊たちはクラベの手足にしがみつき、すっかり動きを封じてしまっている。クラベは必死の形相で手足をばたつかせているが相手は鬼の死霊。クラベの力を鏡のように映し、クラベと同様の腕力を得ている。鬼の死霊と同様、クラベの力を鏡のように映す三姫もいる。
鬼に数で押さえ込まれてはクラベも身動きができない。
その隙にクラベの背後へとまわりこんだ鬼童丸はひょい、ひょいっと身軽な動きで牛車の屋根ほどの高さにある背中へと飛び乗った。無事に飛び乗れてほっとした鬼童丸は下を見て困惑の表情を浮かべた。
鬼童丸が足場として
「失礼、しました。……それと、先程は助けてくださりありがとうございました」
鬼童丸は困り顔ながらも深々と頭を下げた。
鬼の死霊一人が仕方がない、許してやろうと言わんばかりに深く頷く。別の鬼の死霊が無事で何よりだと言わんばかりに手をひらひらと振る。それを見て鬼童丸はさらに困り顔になった。
スズメ天狗の言う通り、鬼が〝気の優しい連中〟らしいということはわかった。でも、目の前にいるのは鬼の〝死霊〟なのだ。どういう心持ちで接すればいいのか。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「わかっています」
鬼の死霊の一人がさっさと行けと言わんばかりに追い払うように手を振るのを見て、鬼童丸はクラベの背中を駆け出した。
見た目は蜘蛛だが足に伝わってくる感触は亀の
でも、人間と牛を混ぜたような赤ら顔と、続く首のあたりなら――。
「邪魔をするな! 力比べの邪魔をするな、コバエ共ぉー!」
三姫と鬼の死霊たちを振り払おうとクラベは激しく身じろぐ。気を抜けば足を滑らせて落ちてしまいそうな状況で鬼童丸は
高く飛び上がると刀を垂直に構える。狙うはクラベの首。最も細く、柔らかい場所。一点を睨み付け――。
「……っ!」
突き刺した。
「ぐあぁぁぁ……っ!」
断末魔が響く。仰け反って、しかし、クラベはまだ
鬼童丸は柄を握る左手を離すと柄の先端――
貫通したらしい。クラベの喉から、ひゅ……と、笛のような音がした。三姫が後退るのが見えた。
でも――。
「……っ」
三姫が何かに気が付いて目を見開き、しかし、何かを堪えるように胸の前で手を握りしめて唇を噛むのを見て――。
「……!」
鬼童丸はクラベの額から生えている牛に似た角に飛び付いた。左右に生えた角の、左側の角を掴む。そのまま。クラベの背中から飛び降りて角にぶら下がった。鬼童丸の体重に引っ張られてクラベの巨体が大きく、左へと
「きい丸……!」
悲鳴をあげたのは三姫だ。
クラベの体が倒れ込んだのは鬼童丸がぶら下がっている左側。鬼童丸の体に圧し掛かるようにして倒れ込んだのだから。
クラベの巨体は瓦礫の上に倒れ込み、木片や割れた瓦を飛び散らせ、砂埃を巻き上げてようやく動かなくなった。砂埃が納まるのを待たずに三姫はクラベへと駆け寄った。
「きい丸……きい丸!?」
クラベの
駆け寄り、のぞき込み、そして――。
「無事ですよ、三姫様」
鬼童丸がへたり込んでいるのを見た瞬間――。
「……きい丸」
三姫はくしゃりと泣き笑い顔になった――のも束の間。
「何やってるの、きい丸!!!」
三姫の顔が鬼の形相に変わった。
いや、右半分はすでに鬼なのだがそういうことではなく。ピリッとした空気に鬼童丸は穏やかな微笑みのまま背筋を伸ばした。気持ち、耳の感度を下げておく。
案の定――。
「バカなの!? あのまま刀にしがみついていればいいのになんで角にぶら下がったりしたの!」
三姫は金切り声を上げると地団駄を踏んで暴れ出した。
膝に手を置いてよろめきながら立ち上がると口から勝手に呻き声が漏れた。鬼童丸自身が思うよりもあちこち痛めているらしい。
「下手したら押し潰されてきい丸がぺしゃんこになってたんだよ! こんな大きいのの下敷きになったら死んじゃうのに……って、聞いてる!?」
「三姫様。三姫様が気にしていたのは……これ、ですか?」
そう言って鬼童丸が持ち上げて見せたのは竹でできた鳥籠だ。
昔、スズメのスズを二人で世話していた時に使っていた鳥籠。布で折られた百合の花が入っている鳥籠。
そして、幻術の呪符が仕込まれた――右半分とは言え、三姫が鬼になる原因となった、鬼童丸が贈った花籠だ。
鬼童丸の言う通りだった。クラベが倒れ込む寸前、三姫は瓦礫の山の中に落ちている花籠に気が付いた。きっとクラベの巨体に押し潰されて粉々になってしまう。
嫌だ、と思った。悲しい、と思った。けれど、あんな状況だ。言葉は飲み込んだ。
でも、幼馴染は三姫の表情の変化に気が付いたらしい。気が付いて、何を気にしているのかもわからないまま、クラベが倒れる方向を無理矢理に変えたらしい。
「……バカ」
自分が押し潰される危険性を
「きい丸のバカ! バカ、バカ、バカ! 何、考えてるの!? 押し潰されて死んじゃってたらどうするつもりだったの!?」
「……申し訳ありません」
「申し訳ありません、じゃない! 頭良い癖にどうしてそういう無茶をするの! 心配をかけるの!」
花籠を手に瓦礫の山を下りてくる鬼童丸を睨みつけて三姫は金切り声をあげた。あげながら、三姫は花籠へと腕を伸ばした。
そして――。
「でも……ありがとう、きい丸」
胸にぎゅっと抱きしめた。
「お礼なんて言わないでください」
自分が贈った花籠を大切そうに抱きしめる三姫を見て鬼童丸は唇を噛んだ。
「むしろ、責めてください。私が渡した花籠のせいで……幻術の呪符のせいでこんなことになったのですから」
鬼童丸の視線が鬼の角が生えている右の額に向けられるのを感じて三姫は今更のようにうつむいた。顔の右半分を隠すための単衣はクラベとの取っ組み合いの最中にどこかにいってしまった。袖でどうにか隠そうとする三姫を見て鬼童丸はますます後悔に顔を歪ませる。
でも――。
「謝らなきゃいけないのは私の方。こんなことをさせてしまうくらい、きい丸を怒らせてしまっていたのだから。嫌われてしまっていたのだから」
「……え?」
三姫の言葉にぽかんと口を開けた。
「嫌われて……?」
「わがままばかり言って、
「違います……違います、三姫様!」
今にも泣き出しそうな三姫の声に鬼童丸は慌てて
「嫌ってなんていません! 嫌うわけがない! あなたのそういうところが私は大好きなのですから!」
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