ゆい

 リアルな夢だった。体が宙に浮いて、自由に空を飛べる。夜に自分の部屋を飛び出して見る街は、いつもより輝いて見えた。部屋を出て、すぐ近くにある曲がり角を曲がったところに見える赤い屋根。吸い寄せられるように、その屋根を目指してふわりと飛んでいく。あと少し、あと少しで届く。


 ジリリリ、と耳を劈くような音がして目が覚めた。時刻は朝の六時半。朝の支度をしながらあおいは今朝見ていた夢のことについて考えていた。最近やたらとよく見る夢。いつもあの赤い屋根を目指しているが、あと少しというところで目が覚めてしまう。だが、その距離は毎日少しずつ近くなってきている気がする。

 朝食は毎日同じメニュー。髪は時間がないから毎日ポニーテール。シュシュは毎日青色。ルーティンかのように朝の支度を済ませると、バタバタと駆け足で家を出ていく。急いでいるのは時間に間に合わないからではない。

「おはよう、待った?」

毎日ここで、親友のあかねと待ち合わせをしているからだ。色違いの赤色のシュシュをつけている、私の幼稚園からの幼馴染。何もかも完璧な彼女だが、唯一苦手なものは蝶々だという少し不思議な人。

「ううん、待ってないよ。」

あかねはいつも私より早く着いていて、毎日同じ会話から始まる。あかねは私にとって特別な存在で、二人で一つだと思っている。あかねと一緒にいられるなら他はどうだっていい。きっとあかねも同じように思ってくれているだろう。


 その日も夜になると、同じ夢を見た。だが、今日はいつもとは違った。赤い屋根の家についにたどり着くことができたのだ。しかし、そこで私はあることに気がついた。いつもは意識がぼんやりとしていて気が付かなかったけど、家の中を見てハッとした。

 あかねの家だったのだ。何度も夢に現れて、私が何度も向かっていたのは。どうして私がこんなにも必死でここを目指していたのかはわからない。少し気持ち悪いと自分でも思う。だが、ここは夢の世界。私が何をしようと自由で、なんだか冒険のような気持ちが芽生えてきた。せっかくだから、ここでしかできないことをしたい。そう思い、私はほんの出来心で彼女の部屋に近づいた。カーテンの隙間から少しだけしか見ることはできなかったが、あかねの様子が少しだけ見える。目を凝らしていると、そこでなにか違和感を感じた。彼女が目を覚ましてしまったのだ。夢だとわかっているが、あまりにその光景がリアルだったため少し身構えてしまう。しかし、その意味もなく彼女はこちらを伺うように、少しずつこちらに近づいて来た。もしかして、私が見えているのか、と考えたその時、カーテンが開いた。彼女と思いっきり目があう。

 その時、彼女はまるで幽霊でも見たかのように、目を見開いて何かを叫んだ。私には何を言っているのかよく聞こえなかった。しかし、その時彼女が放った言葉は聞こえはしなかったものの、はっきりと分かった。

「気持ち悪い」

 彼女がカーテンを思い切り閉めた時、窓に写った自分の姿を見て驚いた。

 私は、蝶々になっていたのである。


 アラームの音で目が覚めた。今日はなんだか、寝付けたような気がしない。それもきっとあの夢が関わっているのだろう。

 重い体で朝の支度を済ませ、今日も先に着いていたあかねに声をかける。いつもと変わらない世間話をしていると、その流れであかねがこんな話を始めた。

「そういえば、夜中ベランダで蝶々見ちゃって最悪だったんだよね。」

 私は耳を疑った。あれは、夢じゃなかったのだろうか。もし夢だとして、あかねが今日この話をするのは偶然にしては出来すぎている。だとしても、あの時見た蝶々の姿はとてもじゃないけど現実だとは思えなかった。

 「あおい?どうしたの、ボーっとして。」

あかねに肩を叩かれて、意識があかねの方に戻る。

「それってどんな蝶々だった?」

そう聞かずにはいられなかった。あかねは、私がこの話題に興味を持ったのが珍しかったからか、少し不思議そうな顔をしながらも蝶々の特徴をぽつりぽつりと話し始めた。 

「えーと、色は黒くて、すこし青いラインみたいなのが入ってたよ。大きさは、、、これくらい?」

そう言って、親指と人差し指で大きいとも小さいとも言い難いサイズ感を表現する。

 その特徴は、あの時窓に反射した蝶々と全て一致した。


 その日は、蝶々のことしか考えられなかった。実際に私が蝶々に変身したなんて、信じられるものではないが偶然と言うには出来すぎている。考えてはため息を付き、堂々巡りだ。

 きっと、これが他の動物だったら受け入れられたのだろう。多少、とは言い難いが、あり得ないことだとしても。なぜよりにもよって蝶々なのだろうか。

 なんだか、ご飯も美味しく感じられなかった。あの時見た記憶を頼りに調べてみると、私が見たのはアオスジアゲハという蝶々らしい。結局、寝るギリギリまで考えて、気がついたときには眠っていた。

 その日は、あの夢を見ることはなかった。気がついたら目が覚めていたのだ。きっと、あれはただの偶然だったのだろう。そうに違いない。そう思い、少し浮ついた気持ちでリビングに向かった。今日は休日だからいつもよりもゆっくりご飯が食べられる。疲れた体をいたわって、今日はいつもより少し豪華な朝食を用意した。

 しかし、調子の良さとは裏腹に大きな違和感を覚えた。味がしないのだ。正確に言うなら、味が薄い。匂いも薄い。風邪ではないことはわかる。それ以外に、体になにか変化が起こっている。

 散歩に出かけたときも、何かが変だった。いつもは何も感じたことがないのに、花になぜか惹きつけられるのだ。ご飯のときは感じなかったのに、なぜか花からはとてもいい匂いがする。

 段々と、違和感程度だったものが恐怖へと変わっていった。

 怖くなって、そこから逃げ出すように家に戻った。家についてからも、バタバタと駆け足で自分の部屋にこもる。

 しかし、畳み掛けるように恐れていたことが起こってしまった。ひどい眠気が襲ってきたかと思えば、目が覚めた時には体が宙に浮いていたのだ。慌てて鏡で自分の姿を確認した。そこに映っていたのは、紛れもない、あの蝶々だった。初めて、これが現実であると思い知らされ、目の前が真っ暗になったような気がした。体が戻ってから私は、絶対に周りの人にバレてはいけないと決意した。特に、あかねには知られたくない。

 この日をきっかけに、変身の頻度が高くなってきた。一日に最低でも二回は変身してしまう。それに加えて、ご飯の味がどんどん感じられなくなり、花の匂いが強くなってく。変身している時間も長くなっていて、このままではいつか完全に蝶々になってしまうのではないかと思うようにまでなった。


 今日も、いつものように夜中、気がついたら空を飛んでいた。最近は夜中に変身しても、あの赤い屋根には近づかないようにしていた。万が一でも、あかねにバレてしまわないように。しかし、今日は違った。行かないようにしようとしても、なぜか勝手に赤い屋根に向かって進んでいってしまう。最初の頃のように、赤い屋根にたどり着かずに目が覚めるわけでもなく、みるみる近づいてあっという間に着いてしまった。それからも、うまく体を動かせない。

 このまま、あかねが目を覚まさずに朝を迎えられないかと考えた矢先、あかねがこちらに向かってくる様子がカーテン越しに感じられた。

 このままではまずい、と思い体をジタバタしてみてもちっとも動かない。あかねはすぐそこにいる。もしかしたらバレてしまうかもしれない。バレてしまったら私はどうなるのだろうか。カーテンに手がかかり、もうどうしようもなくなった私は覚悟を決めて目を瞑った。カーテンが、空いた音がした。

 しかし、あかねの反応は前とは違った。音がしなかったため、ゆっくりと目を開けて様子を見ると、あかねはこちらの様子を伺いながらも、じっと観察しているような、そんな感じだった。

 「あおい?」

彼女は、確かにそうつぶやいた。私は、動くことができなかった。

 彼女に気づかれたのだ。なぜ気づいたのか、私にはわからない。だが、嫌われるとか当初心配していたことはこの時には何も出てこなかった。彼女は私だと気づくと、ゆっくりと手を伸ばしてきて私に人差し指を差し出した。考える前に体が動いて、私は彼女の指に乗る。彼女は、小動物を見るかのような優しい眼差しで私を見た。その目はまるで、私の心を見透かしているようだった。

 「なんだ、あおいだったのか」

そういった彼女の言葉には、私が心配していたことへの答えがすべて詰まっているかのように思えた。

 その時、私は自分の小ささに気付かされた。あかねは私とは違った。あかねに嫌われないように、あかねに好かれるならと他のことを蔑ろにしていて、結局は自分の居場所がなくなるのが怖くてあかねに依存していた私とは大違いだった。私はあかねの一番になろうと必死だった。あかねは私がどんな姿だろうと受け入れてくれるのに。

 きっと、だから私は蝶々に変身してしまったのだろう。一番を追い求めるあまり、気がついたら真逆の存在であるあかねの嫌いなものになっていた。

 あかねは私を見ると、いつものように笑いかけた。


 目が覚めた。アラームに頼らずに起きられたのはいつぶりだろうか。なんだか、体が軽い。いつもの朝食だが、今日は味がする。それだけで何か特別なように感じられた。今日はいつもとは違う、だから青色のシュシュは使わない。白いシュシュを手にとって、私は待ち合わせ場所に向かった。今日は、あかねよりも早く。

 赤信号が青に変わり、歩き出した先にはあかねがいた。

「おはよう、待った?」

 あかねがそう言って私に笑いかけてくる。雲間から覗いた日光は私達を煌々と照らしていた。

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ゆい @yui404

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