無題。

@Rei_Kaduki

第1話

 早く書かないと。そんな焦燥感に駆られながら僕はノートとにらめっこをする。当然、負けるのは僕の方。B5ノート見開きいっぱいに乱雑に散らばった文字を見て込み上げてくるのは笑いじゃなくてほんの少し昔の僕に対する失望感。


 僕は小説家だ。何年も何年も新人賞に応募し続けてようやく特選をつかみ取ることが出来た。そして、特選を獲得した小説が書籍化されると、自分の予想以上にヒットして、僕は新しく小説を書くことになった。担当編集者さんも明るい人で、困ったことがあればすぐに力になってくれた。


 最初は本当に楽しかった。僕の書いた小説が沢山の人に愛されて新作を待ってくれているっていう事実が目の前に広がっていてそれだけで僕を突き動かす原動力になった。自分の作り出す世界が大好きで、この文字で沢山の本の中の住人が生まれているんだって思ったら、心が躍るような心地だった。


 プロットも順調に書き出して、僕が書きたいことを詰め込んで担当編集さんに見てもらいながら調整してどんどん書き進めて。待ってくれてる人がいるんだって思ったら時間も日付も忘れて小説を書くことに没頭した。それのせいで連絡が取れなくて心配になった母さんが家に乗り込んできたことはあったけど。


 そんな日々を送ってやっと完成した小説家としての二作目。話題の新人だなんて大げさに言われて少し照れ臭かったけれど、また沢山の人に見てもらえるんだって思ったらどうでもよくなった。


 発売から二週間くらいたって、そろそろ次回作の話をしましょうか。って担当編集さんに呼ばれて編集部に行って今後のスケジュールとかの話をした後、初めてファンレターを受け取った。ぱっと見十通はあるくらいのファンレターを貰って、本当に努力は報われるんだなあって思ってた。


           あのSNSの投稿をみるまでは。


 ある日、僕は旧知の仲である同級生と久しぶりに外食やらショッピングやらを楽しんでた。その途中でふらりと入ったカフェでありきたりな近況交換的な話をしてた。


「そういえばさ、お前SNS系なんかやらんの?」

「うーん、今は仕事で忙しいから。それに、そういうのあると何時間も見ちゃいそうだし。」

「それは否定できんわ。けど、SNSって情報早いからファンレターよりも先に感想聞けたりする「その話詳しく」お前本っ当に読者の事大好きだな……。」


 同級生から詳しく話を聞いて、僕もSNSの中でも知名度の高いアプリを入れて、所謂鍵垢で見るだけのSNSライフを送って言った。僕の作品を大好きだって次回作も楽しみにしてるって言ってくれている人が沢山いて、SNSならなんらかの理由があってファンレターを送れない人でもこうして作者側に感想を届けられるんだって初めて知ることが出来た。


 そんな中、僕の心を砕くのに十分すぎる投稿が目に入った。批評でも、悪質な情報操作でもない。それなのに、その投稿は僕の心を恐ろしいくらいに抉った。


『新作めっちゃ面白かったんだけど、なんか大衆向け?みたいな感じだった。前の方が私は好きだな~』


 前の方が、好き。その人だけが言っているのであれば、抱く感想は個人の自由だし、そういう人がいるのも仕方ないな、くらいで片づけられた。けれど、当時の僕は何を思ったのかその投稿の返信欄を見てしまった。


『分かる~面白いんだけど、なんかちょっと違うんだよね~』

『面白いには面白いんですけどね。』

『なんかありきたり?とは違いますけど、前みたいな不思議な面白さってないですよね。誰でも面白いって思える感じがします。』


 返信欄の反応で、僕の心が砕けた音がした。前の方が好き?必死に一つの賞に縋って乱文駄文になってしまったあの小説が?じゃあ、時間をかけた新しい方は無駄だった?時間も、心も余裕をもって制作できたのに。


 今思えば正常な判断ができなくなっていたんだと思う。今までSNSというSNSに触れてこなかったから。他の投稿は前向きで、肯定してくれて、優しく包み込んでくれるようなものばかりだったのに。真っ新な原稿用紙に一滴だけ真っ黒なインクを垂らした時みたいに、やけにその投稿が目立って、他の大部分が見えなくなっていた。


 そして現在。僕はあの時の、新人賞を必死に狙っていた時の状況を再現しようと思ってプロットを書いて、〆切四日前まで十分に煮詰めた。そして本文に取り掛かったけれど、全く頭が動かない。早く書かないと、沢山の人に迷惑がかかる。印刷してくれる人も担当編集さんも表紙のデザイナーさんも暇じゃない。僕が遅れるとそのあとも連鎖的に遅れていくから、早く書かないといけないのに。


 焦れば焦るほど頭が混乱して、全然書き進めることが出来ない。プロットはできてるのに。あとはこれを小説にするだけなのに。なのに……


「なんで、なんでかけないんだよ!早く書かないといけないのに!」


 どうしてだろうか。求められている作品を生み出すためにあの時みたいな状況をわざわざ作り出したのに。あの時はちゃんとこなせたのに。どうして今、出来なくなっているんだろう。


 今更もう遅い。とにかく出来るところまでやってみよう。B5のノート見開きいっぱいに散らばった文字とにらめっこしながら、勝敗なんて気にする暇もないくらい僕は作業に没頭した。


 あれから色々あって無事に刊行された僕の新作は、「前の方がよかった」と言っていた人たちにとっては求めていた作品だったみたいで、ああ、これが正解なんだと思った。けれど、その書き方は僕が好きな書き方じゃない。切羽詰まって小説を書いても何にも楽しくない。文字に、何の感情も乗せることが出来ない。僕は、どうするのが正解なんだろうか。


 そんな感じで悩みに悩んでいた時、また同級生から誘われた。彼なら色々なことを話せるかもしれない。そう思って彼を思い切って僕の家へと招いた。朝も早くから学生時代に戻ったように二人でゲームをして、好きなタイミングで出前を取って。親の目を掻い潜って悪いことをしていたあの青春時代を思い出せた。


 夜も更けて、学生時代とは違い、僕達はお酒を飲めるようになっている。度数の低いお酒を飲みながら二人で前のように近況の話をしていた。そして僕は思わずお酒の力で緩くなった口を滑らせてしまった。


「……もうわけわかんないよ」

「どした?お前がそういうなんて、なんかあったか?」

「ぼくは小説が書きたい。けどもう書きたくない。どうしたらいい?」

「ちょっと一回水飲め。時間はあるしゆっくり話聞くから。」


 彼が差し出してくれた水を一気に飲み干して、口と一緒に緩くなった涙腺で僕は大粒の涙を流しながら彼に全てをぶちまけた。

 彼は貶すことも、茶化すことも、否定することも無くただただ肯定するように相槌をうって話を聞いてくれた。そして、ぐちゃぐちゃの文を垂れ流して満足した僕に目線を合わせて


「お前が好きなように書けばいい。周りなんて気にするな。お前は、お前の世界を文章にして届けるのが仕事だろ?他人を気にしなくていい。」


 そう、力強く言ってくれた。


 そうだ。僕は小さい頃から本を読むのが大好きで段々と読む楽しさも書く楽しさも誰かに伝えたくて。僕の頭の中に広がる世界を誰かに伝えたくて小説を書き始めたんだ。

 初心忘るべからず、まさにこの一文に尽きるな。


「……そうだね。ごめん、僕見失ってた。」

「大したことしてねーよ。それよりさ、この酒開けてもいいか?」

「そろそろ辞めといたら?明日頭痛いって言っても知らないよ。」


 なんだか妙にすっきりした気分だ。彼のお蔭で次の作品は今までにないくらい良いものが出来上がる気がする。いや、きっと僕が良いものに仕上げて見せる。


 原稿用紙の空白を埋める。それは最初はきっと簡単だろう。けれど、後半になるにつれ段々と苦しくなってくる。最初と整合性を取って、自分の意見を入れて。そうすると長ったらしくなって読み手に意図が伝わり辛くなる。それならば、あえてシンプルな作品を作ってみるのも一つの手だろう。

 だから、僕は自分の書きたいことを書きたいように書く。


 そんな僕が書く話は散らかっているけれど、形容しがたい面白さがある。散らかっているのは自分で思ってるけど、そこに面白さを見いだせるのは読者のみんな想像力や考察力のお蔭。

 じゃあ、次の小説は一緒に作ってみようか、なんて思ってみる。勿論、それはそう簡単なことじゃないけれど、あえて読者のみんなの想像力に任せてみよう。


 登場人物の名前も無くして。

 タイトルも、無題にして。


 読者のみんなが思うままに、僕の書く物語を解釈してみてほしい。

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