唐子ちゃんのろりこん

@Zouge_kaigan

唐子ちゃんのろりこん

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ ・ リー ・ タ 。」――ウラジミール・ナボコフ著『ロリータ』より。

 中学の頃だった。当時You○ubeで音楽を聴くことが趣味だった私――伴場唐也はんばとうやは、画面越しに一人の少女に心を射抜かれてしまった。彼女はゲームのキャラクターで、所謂ロリキャラ(厳密に言えばロリババアだが私はこの呼称が苦手だ)だった。桃源郷のような飾らない髪。その幼さの中に確固とした意志を持つ瞳。艷やかで一点の濁りもなく、それでもって生命の樹のような命の重みを感じさせる足。感じたことのない胸の高鳴りであり、間違いなく私の初恋であった。だが、この感情が異常であると気付くのに、時間はかからなかった。雨の中で傘をさすように、自分の気持ちを守るため私は自分を偽って過ごすことを決めたのだ。彼女――夏井霧霞なついみずきが転校してきたのはそれからすぐの頃だっただろうか。彼女の自己紹介は物議を醸した。「夏井霧霞です。趣味は絵を描くことで、ロリばっか描いてます。理由も何も、私がロリを好きだからです」。教室が、職員室が、学校中が騒然とした。しかし、第一印象が悪いほど……というものか、はたまた彼女自身の魅力がそうさせるのか、彼女を咎めるものはいなくなっていった。その奇異にして決して善良とは言えない趣味――性癖?にも関わらずだ。ケの日もハレの日もクラスの内外で最前線に立つ霧霞をみるに、後者なのだろう。初日に隣の席になった私と霧霞はすぐに打ち解けた。霧霞の前なら自分をさらけ出せたのだ。私は絵が上手いわけでも、明るい性格なわけでもない。某牛丼チェーン店でチーズ牛丼を頼むのがお似合いな冴えない男子だったが、霧霞の趣味を真に理解できる人物が自分だけだということもあり、私は充実した日々を過ごした。二人で同人誌即売会に行ったときは霧霞の暴走を止めるのに苦心した。「あたし、ホエールX先生の本が欲しい!うまいこと年齢誤魔化せばいけるって!」「いや、駄目だから。全年齢で我慢して。」「あ、コスプレイヤーさんだ!しかもちっちゃい!合法ロリじゃん!可愛すぎて死ねるわ〜」目を輝かせながら私の手を引いて走り回るものだから、そのときの疲労は計り知れなかったが、それ以上に楽しかった。ちなみにその時買った同人誌――全年齢向けであるは今も大切に保管してある。「趣味思想に善悪があるんじゃなくて常にあるのは行動の善悪だと思う。人間の自制心を舐めるな」この本の中で霧霞が好きな言葉だ。彼女のそばにいると、自分を肯定されたような気がして心から安心できたのだ。親の都合で遠くの高校に進学すると知った時、私はひどく驚嘆した。高校受験が終わったあと、引っ越しの前日まで我が家で一緒にロリ漫画を読み耽った。「あたしもこんな本が描きたい」と言っていた霧霞は引っ越しの翌週あたりから連絡が途絶えた。理由を私は知っているが、彼女の名誉のため、あえて言わないでおこう。

 高校進学後、私の生活は一変した。我が高校は部活への入部を強制してきた。冴えない私も部活に入っていれば輪は広がるわけであり、部活の友達と話すことも悪いわけではなかった。だが、大きく以前と違う点があった。私は自分が異常者であることを隠さなければならなかったのだ。「お前もこういうの興味あるだろ?」と、大人の女性が映っている雑誌を見せられたこともある。その時は一応肯定しつつもどうにか話を逸らした。理解できなかったが。合わせるしかなかった。その時から、友達と何処か見えない壁のようなものを感じるようになった。

 そんなある日の朝、ある衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。「☓☓県☓☓市で、30代の男性が10歳の女児を誘拐し、わいせつな行為を行った末、殺害した容疑で逮捕されました」。全身が硬直し、冷たい汗が背筋を流れた。心臓が胸を突き破りそうな勢いで鼓動し、息の詰まるような圧迫感が襲ってきた。この世界にはこんなに最低で最悪な人間が存在しているのか。登校すると学校はその話題で持ちきりだった。クラスでは「犯人の家からアニメのグッズとか、小さい女の子が出てるマンガが見つかったらしいんだよ。しかも、それって国によっては違法なやつだったとか……」と朝から騒ぎ立てている。「ロリコンってこと〜。キモすぎ」。クラスの一軍女子たちの会話が聞こえる。自分を否定されているようで耳が痛い。だが、昨今は性の多様性やらなんやらに煩くなったんだ。只の犯罪者と前科のないロリコンの区別くらい流石につくだろう。そう楽観的に考え、心の奥底で渦巻く不安と恐怖を隠すため、いつもの無関心な仮面をかぶって今日もなんとか一日をやり過ごした。

 その日から、決定的に何かが変わった。マスメディアは総力を挙げてロリコン叩き、「変質者の温床」やら「犯罪者の養成学校」とロリコンコミュニティを攻撃した。学校でも全校集会が行われた。教師は「小さい子どもたちに性的に興奮する所謂ペドフィリアは病気です」と言う。私も知っているアニメキャラのキーホルダーをつけている生徒が、後ろ指をさされている。誰かが私に「あいつ、ロリコンだよ絶対。キモいよな〜」と話しかけているが、返答する気にはなれなかった。性の多様性を声高に叫んでいた性的マイノリティ界隈も飛び火することを恐れているようで、小児性犯罪者と小児性愛者、ひいてはロリコンを一緒くたにし、しきりに異常者と自分たちの違いを強調して根拠のない袋叩きに加担していた。苛めなければ苛められるという暗黙の空気があった。何よりも、社会から犯罪者とロリコンを同一視されたことで、私もいつかこの悍ましい犯人のようになってしまうのではないかという恐怖に囚われていた。その恐怖は心の深い部分で絶えず膨らみ続け、自分が「ロリコン」としてのアイデンティティを守り続けることが本当に正しいのか、それとも自分もいつか社会の枠に合わせるべきなのか、答えが見えなくなってしまった。実際、今回の事件を受けて、ロリコンから『足を洗った』者も大勢いた。彼ら彼女らは自分たちがそうしたように、他のロリコンも「転向」するように訴えた。社会の「転向しろ」が煩い。私のような犯罪者予備軍も転向して自己批判してしまったほうが良いのではないか?

 私は善良になろうと努力することに決めた。私だけのエル・ドラドを自らの手で破壊することを決めたのだ。タペストリーも、アクリルスタンドも、フィギュアも、CDも何もかも全て。大洪水のように全てなかったことにしよう。『真っ当で正しい私』に転向するために。私は自分の心に区切りをつけるため、全てを箱に詰め、物置の奥そこに封印する決断を下した。

 『転向』には数日を要した。霧霞との思い出に比べたらとても短い時間だったが、その数日はどんな時間よりも永く感じた。社会からの圧に屈して決意した日から、世界全てが色を失ったように見えたのだ。部活も勉強も、全てが嫌だ。担任は心配そうに相談を提案したりしてきたが、指導の矢面に立っていた人物に今更何を言えよう。私には自らの傷口を広げてまで善良になる覚悟はなかったのだ。

 洪水で部屋を洗い流すたび、私の心は痛んだ。ロリとは我が罪であり、同時に我が魂なのだ。ようやく、棚の一番奥にあった物を手に取るときがやってきた。それは、霧霞と初めて買ったロリ同人誌である。ロリコンで、かつ紳士を標榜する男の創造したロリが、生みの親や仲間たちに支えられて存在しなかったはずの魂を手に入れるという筋書きだ。感慨深い気持ちで我を忘れて読んでしまった。

 

 「先輩。心ってなんでしょう。善い心とか悪い心って、何なんでしょう?先輩は私みたいな人が好きなロリコンでしょう?それって悪いことなんじゃないでしょうか。」

「そうだな〜、趣味思想に善悪があるんじゃなくて常にあるのは行動の善悪だと僕は思う。人間の自制心を舐めるなってこと。ま、革命思想みたいな行動ありきの思想ってのも多いから難しいけどね。」

「そんなものなんでしょうか。」

「僕は望んでロリコンになったわけじゃないけど、ロリコンを誇りに思う。大半のロリコンはYESロリータNOタッチ。それってつまり発散不可能か欲求を常に持ちつつも行動に移さない自制心の塊、まさに紳士だと思わない?」

 

 ページには呑気に「たそがれてるユイちゃん、カワいすぎる」と霧霞の付箋が貼ってあった。その付箋を見た途端、私の双眸からは一筋の涙が零れ落ちた。その理由は今でもわからないが、決定的な何かを感じたのは確かだ。無理に社会からの圧に怯え、自分を変える必要なんてなかった。私が自制心を持つ人間であり続ける限り、私は犯罪者予備軍ではないのだ。そう思うと、今までの苦悩は全て消え失せていくように思えた。

 『転向』という試みが失敗に終わったとしても、その過程で得たものは決して無駄ではなかった。自分と向き合ったことで、初めて見えてきたものがあった。ロリコンとしての自分を否定し、自分を変えようとした試みは、自分をより深く理解するためのものであったと今なら断言できる。これを機に、ロリに対する私の思いはますます尊く、価値あるものであると感じられるようになった。自己受容の過程を経て、私はより強く、より真実な自分を見つけることができたのだと確信している。

 

 ――――――

 

「昔書いたもの読まれるって、なんでこんな恥ずかしいんだろうな。しかもノンフィクションだと余計に。」

「いや〜、面白かったよ。これさ、薄い本にしていい?タイトルは……『唐也くんのろりこん』でどうかな?」

「良いんだけどさ……霧霞。ロリ以外描けるの?男と犯罪物は描かないって言ってたけど。」

「あ……は!唐也をロリにするってのは!?ロリコンの行き着く先はロリとか言うじゃん。」

「え……」

「じゃ、決定〜。」

 

『唐子ちゃんのろりこん』

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